すべてのはじまりはニューヨークだった
ファウンダーの澤木雄太郎氏(右)、ディレクターの小池勇太氏(左)
──まずはお二人の出会いから遡って教えてください。
澤木雄太郎氏(以下澤木):自分たちが出会ったのはニューヨーク(以下、NY)です。昔商社に勤めていた際、繊維事業部でOEM営業を経験したあと、社内の研修制度でアメリカへ2年間留学に行かせてもらいました。2013年の話です。NY州立ファッション工科大学(FIT)に入学したのですが、実務も学びたかったので、インターンとしてアメリカのファッションブランドで働かせてもらいました。在籍は約6、7ヶ月くらいなのですが、そこで出会いました。
小池勇太氏(以下小池):2011 年に⽂化服装学院の4 年コースを卒業しました。東⽇本⼤震災をきっかけに、興味のある事に正直に行動しようという想いが強くなり、NYへの留学を決めました。語学を学びながら、インターンとしてアメリカのファッションブランドで勤務し、最終的にはフルタイムで雇用してもらい、ビザを出してもらいました。任されていた業務はデべロッパーというポジションです。デザインチームから出るアイデアを製品化する部署で、3、4年ほどアシスタントをしていました。その後、デザインチームに異動し、メンズラインのデザインに携わり、計6年間お世話になりましたね。澤木さんが在籍していた間は、週に3回くらい夜お酒を飲みに行くほど仲良くさせてもらいました。
澤木:小池くんは学校を卒業してそのまま渡米していたということもあり、僕が日本のサラリーマンとして見てきた日本のアパレルの動向や市場の状況ついてなどをよく語り合っていましたね。そして帰国後、在籍していた商社でまた営業として働き続け、2018年末に退社し起業しました。今年で4期目をむかえます。
小池:自分もアメリカのファッションブランドを退社して、2018年に帰国しました。帰国後は友人のアパレルブランドを手伝いながら、海外に向けたアパレルのセールスなどにも携わっていました。澤木さんとは帰国してからも定期的にコミュニケーションを取っていたんです。
コロナ禍のマスク不足をきっかけに挑戦したテストマーケティング
「RYE TENDER」のニット+ロゴ
──「RYE TENDER」はどのように立ち上げられていったのでしょうか?
澤木:一緒に何かやりたいという話はしていたんですが、計画的に進めていたわけではないです。ですが、起業したときからブランド立ち上げはいずれしたいとずっと考えていました。商社のビジネスはBtoBです。お客様から受注を受けて、お客様の倉庫にちゃんと納品できればノーリスクでお金が回収できる。いわゆるOEMと呼ばれる事業です。自分の会社でも同様のビジネスを扱っていますが、OEMはリスクの少なさという意味では素晴らしいビジネスモデルだと思うのですが、実際はそこからエンドユーザーの方が手に取り購入し、本当の売り上げにつながっていきます。アパレルに携わる身として、在庫のリスクを抱えながらも販売する小売のビジネスをやりたい気持ちが、ずっと自分の中で想いとしてあったんです。
小池:実はNYにいる当時から「RYE TENDER」の礎となるような話はしていたんです。仕事の中で出てくる「残糸・残布」について、もったいない、これを活用して還元できれば価値あるものを提供できるのでは?といった内容です。NYは当時から当たり前にエコバッグを持っている人がいたりと、サステナブルに対しての意識が浸透していたので、可能性はあるなと思っていたんです。
──それが具体的に動き出したのは?
小池:きっかけはコロナ禍です。マスクが供給不足になった時期があったと思うのですが、マスク価格の高騰と共に、周囲でもマスクを作る人が増えたんです。そんな中で澤木さんからマスクを作らないかと連絡がありました。
澤木:マスクを作れる工場が整っていて、市場価格に対して値段も安くでき、フィルターなどの品質も担保できるものが提供できそうだったので、小池くんに声をかけました。その話から、せっかくならブランドを立ち上げる前のテストマーケティング的なことをやってみようという話になりました。ゼロベースでサイトを立ち上げ、パッケージングも工夫したものにし、デザインもオリジナルで作り、PR TIMESでプレスリリースも打ちました。初日はすごく売れ行きが良かったんですが、どんどんサイトへのトラフィックがなくなり売上も落ちていってしまいました。知人に助言してもらったりして、結果的には少し赤字くらいで済んだのですが、そこで初めて「商品を世に出す」とどういった反応があるかを知ることができました。例えば商品が破損したといったクレームが直接メールで来たり、逆に感謝の連絡が北海道から来たりと、商社時代では味わえなかった感覚、体験を得られたことで、ブランド立ち上げへの想いが強まりました。
ブランド名も、デザインも、基本はすべて残紙・残布をベースにしたボトムアップの考え方
──いよいよ「RYE TENDER」が始動していくんですね。
小池:元々ブランドの構想は軽く話し合っていたんですが、本格始動はマスクの発売後ですね。澤木さんがOEMの事業をやっていて、残糸・残布は手に入りやすい状況にはありました。なのでNY時代からお互い思っていた“もったいない”を具現化できるような、アップサイクルをベースにしたブランドにできないかとコンセプトを固めていきました。ちなみにブランド名ですが、英語で余りものを「Left Over」と言いますが、その余りものを解消するということで、逆の言葉、つまり「Right Under」だとなり、そこから語感やスタイリッシュな字面を考慮した結果、「RYE TENDER(ライテンダー)」と名付けました。
澤木:主に自分の役割は、実際の物づくりと、マーケディングや受発注・在庫管理、あとは資金面です。デザインなどのクリエイティブに関しては小池くんが担当しています。もちろん、商品そのものへのアイデアはお互いに出しあいながらやっています。
小池:マスクの発売が2020年の5月だったので、「RYE TENDER」としての1シーズン目はそこから5ヶ月間で、デザインも作り、生産もして、10月のローンチへと急ピッチで進んでいきました。というのも、1シーズン目はウールカシミアの糸をメインに展開したかったので、ローンチを10月に間に合わせる必要があったんです。ニット5型+アクセサリー1型の展開でした。
──「RYE TENDER」は残糸・残布を使用しアパレルを展開していますが、残糸・残布のメリット・デメリットを教えてください。
小池:メリットは、やはりコストカットになることです。選択肢が少ないような印象があるかもしれませんが、意外と種類は豊富にあり、選べるほどです。デメリットは、際限なく材料があるわけではないというところですね。
澤木:補足すると、残紙・残布を扱っているので、作りたいものに対して素材が足りないことも起きます。そういった際は残糸・残布にこだわらず、新品の糸や布も買い足します。これはユーザーに対しても公言をしています。ただし、残糸・残布をまったく使わずに商品を作ることはありません。あくまで、残紙・残布をベースにした、ボトムアップの考え方になります。普通のアパレルブランドと違うのは、通常は「こういうのを作りたい」といったイメージから素材を選んでいくところ、「RYE TENDER」は素材ありきで商品を作り上げるところですね。
新しい発想やビジネスが生まれるのは、人がつながっていくところ
「RYE TENDER」の特徴的なニットデザイン
──素材ありきで洋服を生み出していくというプロセスは、表現の幅を狭めてしまうようにも思えるのですが……。
小池:常日頃、糸と向き合っています(笑)。残糸・残布ありきでデザインを膨らませているので、むしろ逆になんでもいいよって言われると大変に感じる気がします。デザインをするときに、ビジネスの主体がどこにあるかというのを意識していますね。デザインが主体なのか人が主体なのか、アプローチはそれぞれのブランドによって違うと思いますが、自分たちは残糸・残布という制限があり、それをアップサイクルするブランドです。つまり“洋服を作っている現場に近い”というのが主体だと思っていて、それをブランド運営や洋服のデザインする際に意識しています。
澤木:OEMの現場にいる人間からすると、ニットって特殊なんですよ。カットソーやシャツは生地を切り貼りしたものですが、ニットは本当に糸から作ります。また同じ素材でも、編み方を変えるだけで全く異なる表情になるのも特徴です。実は服飾学校出身のデザイナーでも扱うのが難しいんです。小池くんは「RYE TENDER」でニット製作に濃密に取り組んでいるからか、型数やOEMの数を多くこなしているわけではないけど、最近「わかってる」商品が増えてきて、素晴らしいと思っています(笑)。
小池:ありがとうございます(笑)。
──お互いにリスペクトされていて、とても素敵な関係ですね。
澤木:リスペクトもしていますし、二人でやっていてよかったなと強く実感しています。責任や重圧の分散もありますが、ひとりだとどうしても近視眼的になってしまう。フェアな目線で対等に話ができる仲間がいるってことは、すごくありがたい。不安なことも、客観的に聞けるパートナーがいて良かったなと何度も思う場面がありました。それに自分は商社に勤めていたので、お金勘定やビジネスがどうやったら成立するかを先に考えてしまいがちです。小池くんはクリエイティブな側面やアートな気質が強く、周囲にいる人間のタイプも違います。だからこそ、そこから新しい発見を得ることができたり、勉強になることが多々あるんです。
小池:お互い違う価値観の世界で生きている側面があるのですが、それを越えた共通点もあるんだと思っています。たとえば、ブランドがきちんと売上が立っていない状態だと楽しくなくなってしまうところなどです。澤木さんほどではないですが、自分もビジネスとして回っているという状態をキープすることは常に意識しています。「RYE TENDER」を始めて、人がつながっていくところに新しい発想やビジネスが生まれていくということを実感しましたし、価値観が違う二人だからこそ生み出せているブランドの価値があるなと思っています。自分の価値観を中で物事を決めつけるのではなく、お互いリスペクトし合うことは、活動していく中ですごく大切だなと感じていますね。
自信を持って取り組み、自分たちが持っている価値をマネタイズしていく
──今後の「RYE TENDER」について教えてください。
小池:まず「RYE TENDER」というブランドの可能性を広げていきたいです。今はいちばん得意なニットを主力にビジネスを展開していますが、商品の幅をもっと広げていきたいと考えています。ひとつ例をあげると、仲良くなったデニム屋さんと布帛のデニムアイテムにチャレンジしたいと考えています。他にも、ニット用のシャンプーやファブリックミスト的なものを作ってみたいなと思っていますし、ゆくゆくはバッグや帽子などにも挑戦したいですね。
澤木:売り方の戦略を3つ考えています。1つ目は、物をリアルで見られる場所が少ないことの解消です。ECでの販売がメインでお客様と対話する機会が少ないため、ポップアップショップをやっていく予定です。東京・静岡・名古屋・京都などで場所を借りて、月に1度のペースで開催していきたいと思っています。2つ目は、海外展開。ECのグローバルシップメントを始めようと思っています。海外向けのサイト構築はハードルが低いので、まずは仕組みを整えてスタートさせてしまい、反応を見ていきたいですね。いずれは海外でのポップアップショップにも挑戦してみたいと思っています。3つ目は、国内での卸売。認知度の拡大やリーチを増やしていくことが狙いです。ただ、どこでも良いわけではなく、ブランドのストーリーなどをきちんと語ってくれるお店とやっていきたいなと思っています。
──最後に、経営者として活躍されている方や、これから起業される方へのアドバイス、メッセージをお願いします。
澤木:ビジネスは千差万別です。そして、どういう風にお金が生まれているか、見定めなければいけない。基本ビジネスは、相手に自分の価値を認めてもらうことが重要だと考えます。つまり自分がもっている価値をどうやってマネタイズするか。どんなビジネスでも、相手にダメだと思われたらそこで終わってしまう。ブランドもサービスもそうです。購入されなくなったり、使われなくなっていきます。自分の思っている価値を相手に認めてもらって、お金をもらうことを意識しないといけません。だから独りよがりにならないよう注意することが大切だと考えています。
小池:ビジネスをやる上で、多くの人との関わりは必須です。ですので、周囲を理解しリスペクトをしながらも、自分自身もきちん自信を持って取り組む。それに尽きる気がしています。自分たち二人の関係もそうだと思っています。「RYE TENDER」が考えていること・感じていることは、すべて洋服に乗せているつもりなので、ぜひこれを機会に手にとってみてください。
■プロフィール
澤木雄太郎
「RYE TENDER(ライテンダー)」ファウンダー。株式会社インターソナー代表。同志社大学卒業後、商社の繊維部門へ就職。米国ニューヨーク州FITへ研修留学し、米系アパレル企業でのインターンシップを経て、帰国後はニットのOEMを担当したのち、独立。
小池勇太
「RYE TENDER(ライテンダー)」ディレクター。文化服装学園卒業後、渡米。澤木氏と同じ企業で商品開発、デザインの経験を積む。帰国後、テキスタイル企業で製品の開発と海外セールスを担当したのち、独立。
「RYE TENDER」 ※外部リンクに移動します
■スタッフクレジット
取材・文・編集:井上峻(監修:コンデナスト・ジャパン)
写真:澤海瑞穂
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