編集者の草彅洋平氏。編集のスキルと全方位型の知識を活かし、広告やブランディング、メディア運営から場所作りまで幅広く手がけている。その知識やアイデアは、いかにして生まれているのか? なぜさまざまなジャンルの人々から声がかかり、繋がりを持てるのだろうか? そこにはどんな秘密があるのか? 草彅氏から返ってきた答えは「サウナ」。
じつは、「フィンランド政府観光局公式サウナアンバサダー」でもある草彅氏。仕事や出会いのほとんどはサウナにはじまり、サウナで深まり、サウナで帰結するという。近年では「サウナ界の山岡士郎」を自称し、さながら伝道師のようにサウナの魅力を啓蒙しているのだとか。
名刺交換も堅いビジネスマナーもなく、ただただ、「好き」を共有する時間と空間。裸ですべてをさらけ出す付き合いが、お互いの距離を縮めてくれる。サウナにハマればハマるほど、草彅氏の周りには人が増えていった。
損得勘定のない「好き」から生まれる、出会いや日常について語ってもらった。
サウナ室の数時間。その濃密さは数日の旅行にも相当する
ここ数年、仕事でつながる人とはほぼサウナで会っている。僕がサウナ好きなのが周りに知れ渡って、十数年会ってない人、会ったこともない人からSNSで次々と連絡が入る。そこそこ人気アイドルのスケジュール帳の予定並みにびっしりと、夕方以降は大体サウナの予定で埋まってしまう。ある時期から突然、サウナを起点に僕の周りの人が動き出したのだ。
「サウナ連れて行って欲しいんですが……」
そう誘ってくれる人はサウナビギナー。まだサウナでのキマリ方がわからないので、一度で良いので「ととのう」というのを体験したいと願い、僕に教えてもらいたいのだ。「いいですよ」と僕は喜んで同行する。自分の好きなサウナに入れて、サウナの魅力を伝えられて、サウナを肴に酒を飲めば更に楽しいのだから、僕にひとつも悪い話はない。
「水風呂を頭まで浸かって!」
「サウナ室に入る前と水風呂出たあとは体を拭いて!」
指導にも熱が入る(サウナだけに)。お互いに裸なので、言葉も包み隠さない。3度目の外気浴を終え、相手の目がキラキラ輝き出して「もしかして、ととのったかも……」と言われた瞬間、僕も目を輝かせながら「わかったでしょ!!」と思わず興奮して大きな声を出してしまう。初心者がサウナトリップする瞬間が、僕も猛烈に嬉しいのだ。同じことを体験し、新しい扉が開き、好きな感覚を共有できたこと自体が喜びにつながる。何日も一緒に旅行をして、同じ景色を見て、同じ食事をしたかのような濃密な時間を、サウナだと数時間で完成できるから僕はサウナが好きなのだろう。
「サウナ行きましょう」
そう誘ってくれる人はサウナ好きの仲間だ。お互いに何人か誘い合い、その際に紹介したりされたりして、新しい人と次々つながっていく。施設でバッタリ会う知人や友人もいる。皆サウナ好きだから、雑談も楽しい。新しい施設の情報交換や自分流のサウナの考え方をそれぞれ披露しているうちに妙なテンションになり、話が尽きることはない。
好きなものが同じ人同士の結びつきは強い。ゴルフやサーフィン、野球やサッカーなど、スポーツ愛好者同士は連帯感を生むが、文学や映画や音楽といった文化系のつながりも同じだ。好きだから、共通言語があるから自然と仲良くなれるのだ。
損得とは無縁の「好き」がつながり、広がっていく
よく友達を増やしたいとか、人脈をつくりたいと悩んでいる人が世間にはいるが、こういうタイプには無趣味な人が多いように思う。どちらかといえば「お金」が趣味なのだろう。趣味とは個人が「純粋」に楽しむ事柄だ。好きなものがあると、好きなものについて喋りたいから、無償で動いている。そんな真っ裸の人だからこそ、人となりがわかる気がするし、僕もその人柄を好きになる。でも「お金」が趣味な人は損得勘定で動くから、趣味を持つことはそもそも思想と矛盾しているのだ。
サウナに入ると、職種や年収など、社会的な隔たりの垣根を感じることはなくなる。室内は裸の塊がいるだけ。ただ単に「サウナを好きなもの同志」が存在するだけの空間が広がっている。
サウナとは聖域(アジール)なのだ。そんなことにあらためて最近気がついた。熱いとか、冷たいとか、ひたすら感覚の世界に身を委ねることで、日頃支配されている自分の「脳」から強制的に絶縁する。日常生活で、知らず知らずのうちに中毒症状になっているスマホや思考と切断するからこそ、心の底が落ち着くし、居心地が良いのだろう。
「サウナつくったので、来てくれませんか?」
最近では、そう誘ってくれる人も増えてきた。サウナのために汗をかいているプロサウナーの友達だ。数年前にサウナを教えた人たちが、立派なプロサウナーになって、地方創生でサウナをつくったり、自分のオリジナルサウナグッズを配ったり、さまざまな仕事に取り組んでいる。弟子が新たに弟子をつくり、布教に邁進していく姿は、側で見ていると江戸時代のキリスト教の広がりを見ているかのようだ。そして続々とオープンする一連のサウナ施設やイベントは、戦国時代の茶会を見ているかのようで興味深い。今日も「誰が一番センスの良いサウナをつくるのか」をかけて、しのぎを削っている。その様子がクリエイティブを生業にする自分には非常に興味深く、面白い。
つい先日サウナのイベントがあると聞いて遊びに行ったら、友人から「神(→僭越ながら僕のこと)が来ると聞いて、オペレーションを全部見直しているらしいですよ」という話を聞いて、びっくりした。弟子から弟子の話が伝播して、僕の虚像がいつの間にか生まれていたのだ。良いと思って勧めていたら、神にまでなっていたとは!
かつて東大寺大湯屋は、病人や貧しい人々を入浴させる「施浴(せよく)」という仏教の慈善事業を行なっていたが、いつか自分もサウナを教えた弟子たちを集めて、人々を救うサウナをつくる日が来るかもしれない。好きとは、現代の確固たる信念だ。好きなもののために、明日も精進して生きていきたい。損得とは無縁である。
■プロフィール
草彅洋平
編集者。フィンランド政府観光局公式サウナアンバサダーの一人。著書に『作家と温泉』、『日本サウナ史』(2021年8月刊行)。
日本サウナ史 ※外部リンクに移動します
■スタッフクレジット
写真提供:草彅洋平 編集:榎並紀行(やじろべえ)、株式会社CINRA
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