編集者の草彅洋平氏。編集のスキルと全方位型の知識を活かし、広告やブランディング、メディア運営から場所作りまで幅広く手がけている。そんな草彅氏が愛してやまないのが「サウナ」。「フィンランド政府観光局公式サウナアンバサダー」を務め、さながら伝道師のようにサウナの魅力を啓蒙している。
サウナはリフレッシュのためだけの空間ではなく、ビジネスにもいい影響を与えてくれると草彅氏。思考を整理し、人と出会い、サウナを通じてさまざまなことを学んできた。今回は草彅氏が足繁く通っているという「船橋サウナ」の魅力、そしてサウナの本質について考察します。
草彅洋平氏(写真中央左)
船橋サウナの魅力
最近、千葉県の船橋という街にハマっている。
僕がサッサと足を運ぶということは、当然サウナの魅力があるということだ。
船橋というエリアは都内近郊でもとにかくサウナが多い場所だ。居酒屋のような館内レストランが素晴らしい「船橋グランドサウナ&カプセルホテル」や、まるでベルサイユ宮殿のような内装に度肝を抜くほどの大音量でB級映画が流れるアンマッチさが絶妙な「クアパレス」といった、僕が大好きな独自進化系のサウナも多い。
なぜに船橋市にサウナがこれだけ多いのか? その理由は1955年というとにかく早い時期にオープンした「船橋ヘルスセンター」にあると僕は考えている。「12万坪の海辺に1万坪の白亜の温泉デパート」をキャッチフレーズにした船橋ヘルスセンターは、健康ランド的施設の先駆者だ。惜しくも1977年に閉店したが、近隣の人たちに温浴の楽しさが初期段階から伝わっていたに違いない。さらに自衛隊の駐屯地も存在し、その中にはサウナがあり、ゆえに自衛隊員には自然とサウナーが多いという噂話もあるそうだ。肌(!?)の肥えた近隣に住む方々にユーザーが多ければこそ、施設も維持できるというもの。だからこそ施設側もレベルが軒並み高くなっていくのは自然の摂理である。
利用する側の意識(リテラシー)も大切だ。
以前『サウナあれこれ』を書かれている中山真喜男先生にインタビューしたところ、「1966年から本格的なサウナが流行ったんですよ。でも、経営者にしても利用者にしてもサウナの正しい入り方を、今みたいに誰もがきちんと分かってないんです。そもそもサウナは繁華街に出来るんです。すると、お客はしこたま呑んで、酔っ払った連中が結構入ってくる。そういう連中がいたずら半分に、ストーブに桶ごと水をザブンと掛けちゃったりする事件が頻繁に起きた。蒸気がいっぺんに湧き出てしまうから、室内にいた人たちが火傷してしまう。そんなこんなで、どの施設もロウリュが禁止になったのです」と話してくれた。
施設側だけが努力してもダメなのだ。利用する側が育たなければ、良い施設も生まれない。これはあらゆるビジネスに通じるヒントだろう。
サウナから学ぶ機会は多い。
初めての「ウィスキング」に失神
そんな数ある船橋サウナのなかでも、大切な人をサウナに連れて行くことになった場合、いろいろ悩んだ結果、僕は「ジートピア」にお連れしたい。
なぜに「ジートピア」に連れていくのかというと、答えは「ウィスキング」が体験できるからだ。ウィスキングはヴェーニク(白樺などの枝葉の束)を使って身体を叩いたり、蒸気を操ったりする行為の総称だ。ヴェーニクからは森の香りが発せられ、なんともいえない気持ちにさせられる。身体中を叩かれていると、マッサージ効果も高く、普段サウナに入っているよりもさらに深く、極限まで身体が温まる。そこに水風呂を入れられると、サウナに慣れていない人でも確実に「ととのう」という領域までもっていくことができるのだ。
船橋の名サウナ「ジートピア」
現在、ウィスキングは都内でも実施している施設が数少ない(「サウナラボ神田」や「かるまる池袋」ぐらいだ)。なかでも「ジートピア」の費用(入館料込みで4 ,400円)は群を抜いて安いように思える!(僕の実体験価値としては3万円くらいの価値がある) そのため、はるばる船橋まで足を運んでしまう自分がいる。
最初にウィスキングの施術を受けたとき、おそらく僕はあまりの心地よさに失神してしまったのだと思う。それくらい異次元の世界に飛ばされてしまった。
帰りの船橋のサ飯の美味いこと!!サウナ明けに街ブラし、飲んで帰れば浮世の疲れは一瞬で吹っ飛んでしまう。最高のエンターテイメントが船橋にはあるのだ。
喋りすぎるサウナ
そんなジートピアに、つい先日も友人のMさんをお連れした。Mさんは毎朝サウナに入っているという古参のサウナー。だからこそ、通常と異なる体験をして頂きたくウィスキングにお連れしたのだ。
すっかり満足してくれたMさんと、飲み屋でサウナ談義していると話が尽きることはない。
草彅「近頃の流行はどうですか?」
オールドサウナーの知見から、サウナブームに対してMさんの意見を聞いてみた。
Mさん「コチとら『ととのう』という言葉以前からととのってきたからね。いろいろ思うところがありますよ」
草彅「どんなところがですか?」
Mさん「とにかく喋りすぎるよね。客も運営側もどちらもね。僕が若い頃は、先輩にわけもわからずサウナに連れて行かれて、カラカラのドライサウナでずっと耐え、水風呂に漬けられ、飲みに連れて行かれるという流れがありましたけど、サウナ室で喋っている人は、そんなに見かけなかったですよ。客も緊張感あったし、時代も時代だったんでしょうね。いまは黙浴といえど、若い子がゾロゾロと連なって喋るのも気になるけど、熱波する側も喋りすぎるよね。『お前が喋るな!』と思いますね。昔は黙々と皆楽しんでいたんですよ。だからとにかく居心地が良かった。外で浴びてきたいろいろな主張とか言葉とか空気を流しに来る場所が本来のサウナなんじゃないですかね」
このMさんの思いもがけない言葉に僕はハッとさせられた。
熱波師も個性的になり、「アウフギーサー」と名前を変え、独自のカルチャーとして進化する流れがサウナ業界に生まれている。どちらかといえばサウナ室内で自己主張する風潮である。この風潮を僕は面白いと遠目に眺めていたが、歴戦のサウナーからすると、決して居心地の良い空間ではなかったことに気付かされたのだ。
皆サウナが好きだから、思わず饒舌になってしまう。かくいう僕もサウナに関する文章を書いたり喋りすぎているきらいがある。確かにそれはMさんの言う通り、本来の静寂を感じるためのサウナらしくないのかもしれない。昨今のサウナブームをビジネスチャンスととらえる向きもあるが、それにより本来の魅力が損なわれ、旧来の愛好家が離れてしまっては元も子もない。ブームを文化として定着させるためにも、こうした先人たちの声に耳を傾けることも大事だろう。
Mさんの言葉は「大垣サウナ」に貼ってある石板「われらサウナ人。」という詩を思い出させてくれた。有名な石板にはこう書いてある。
サウナは自然を愛する人に好まれている。
サウナには、野趣があるような気がする。
サウナに入ると、旅情を感ずる時もある。
なぜか、仕事のできる人に好まれている。
サウナは、明日を考える人に向いている。
サウナは、人生を楽しむためにある。
しかし、サウナに入ったからといって、いばる人はひとりもいない。
そう、サウナは自己主張するものではなく、ただそこに存在するためのものなのだ。
たかがサウナ。されどサウナ。だからこそ、さまざまな意見がある。
Mさんと別れて帰る道中、改めてサウナのことをしみじみ考えてしまった自分がいた。
■プロフィール
草彅洋平
編集者。フィンランド政府観光局公式サウナアンバサダーの一人。著書に『作家と温泉』、『日本サウナ史』など。
日本サウナ史 ※外部リンクに移動します
■スタッフクレジット
写真提供:草彅洋平 編集:榎並紀行(やじろべえ)、株式会社CINRA
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