編集者の草彅洋平氏(写真中央)。編集のスキルと全方位型の知識を活かし、広告やブランディング、メディア運営から場所づくりまで幅広く手がけている。そんな草彅氏が愛してやまないのが「サウナ」。「フィンランド政府観光局公式サウナアンバサダー」を務め、さながら伝道師のようにサウナの魅力を啓蒙している。
サウナはリフレッシュのためだけの空間ではなく、思考を整理したり、人と人の出会いを結んでくれたりする場所でもあるという。現に、草彅氏はこれまでサウナ室で多くの人と出会ってアイデアを語り合い、水風呂と外気浴で考えをまとめてきた。結果的にサウナが、ビジネスの潤滑油の役割を果たしているのだ。
2021年8月には、サウナについて書いた本『日本サウナ史』も出版。自らの好奇心を起点にした草彅氏らしいアプローチで、日本のサウナの歴史を深掘りしている。今回は、そもそもなぜ『日本のサウナ史』をまとめることになったのか、その顛末を綴ってもらった。
きっかけは、深夜のバッティングセンターでの一言
街を歩く。ふと建物やサービスの名称が目に付く。その時に施設やサービスがいつから存在しているのか、疑問に思ったことはないだろうか。毎日使っている物やサービスが、どんな歴史を辿ってきたのか、気になったことはないだろうか。
僕はあるのだ、それも頻繁に。性格や気質なのかもしれないが、気になって調べてしまう。特に自分と同じ昭和に存在し、いま廃れてなくなろうとしている施設やサービスのことが気に掛かる。
思い返せば、この性分となったきっかけは、僕が働いていた職場の後輩・酒井くんの一言だ。平成のはじまり、二人で夜な夜な新宿のバッティングセンターに通ってストレス発散しているときに、彼はよくこう呟いた。
「バッティングセンターっていつからあるんですかね〜?」
たしかにいつからあるのだろう?その時の僕は、歴史的なものに興味があるようで興味のない、凡庸な一人の若者だった。
「いつかバッティングセンターの歴史調べたいですね〜」
「いいね、そのアイデア。きっと調べたら面白いね」
彼からしてもたわいのない一言だったに違いない。 僕は建築好きの酒井くんらしいアイデアが素敵に思えた。確かにバッティングセンターの歴史を紐解いた本は存在していない(これは今日までそうだ)。古い施設やサービスがどのように誕生したのか、その成り立ちがわかれば、きっと面白いだろう。
そんな酒井くんは、数年後に若くして突然死してしまった。取り残された僕は、時折気が向くと墓参りの代わりに、一人新宿のバッティングセンターの打席に立っていた。打球がネットに飛び込んでいくと、「いつかバッティングセンターの歴史調べたいですね〜」という酒井くんの軽妙な声が聞こえる気がした。
衝撃を受けた「スナック研究本」との出合い
彼が亡くなってから20年が過ぎた。
万年、会社でうだつのあがらなかった僕は、転職先の面接に受かることなく、細々した仕事を引き受けているうちに、いつの間にか小さな会社の社長になっていた。若い頃と比べるとあまり読書もしなくなっていたが、酒井くんが好きそうな系統の本を見つければ、買って読む習慣は続けていた。
2017年、そうした<酒井くんが好きそうな系統>の一冊が刊行された。日本全国にあまたある「スナック」とは一体なんなのか、起源・成り立ちから現状に至るまで、はじめて学術的研究として解き明かした『日本の夜の公共圏:スナック研究序説』(白水社)である。著者は首都大学東京・教授の谷口功一が主催する「スナック研究会」(以下・スナ研)で、彼らは「日本に十万軒以上もあると言われる「スナック」について、学術的な研究がまったく存在しないことに憤り」を感じて決起した学術的集団だ。
たしかに「スナック」というお店の存在は知っている。経営者にもスナック好きは多く、社員には吐露できない不安や悩みをママに打ち明けるという。僕が愛するサウナのように、心身を浄化する作用もあるのだろう。だが、そんなスナックが、いつ、どのようにはじまったものなのかはわからない。
この本を見つけたとき、「酒井くんの発想みたいな本だ!」と興奮したことを覚えている。そして読んでみて驚いた。スナ研のメンバーは大学教授や研究者だらけで、憲法から社会学、文学まで、多方面からスナックという世界を紐解いていたのだ。
僕が面白かったのは、スナックが生まれる経緯だ。1964年の東京オリンピック開催に伴い、深夜に食事を出さず酒のみを提供する店の営業が規制されたこと。その締めつけに対抗する苦肉の策として、酒だけでなく軽食(スナック)も出す「スナックバー」を名乗り始めたことが、その起源であると書かれていた。
結果、現代の「スナック」という店舗に派生していくのである。「スナック」とはそのまんま「軽食」を出す店を意味していた。そう、つまりスナックとは1964年の東京オリンピックをきっかけに生まれた可能性があるのだ。僕は知的興奮を感じた。
続いて2019年に出版された橋本倫史『ドライブイン探訪』(筑摩書房)にも同様の匂いを感じた。本のホームページには次のように記されている。
平成も終わりを迎えつつある今、「ドライブイン」といっても通じない方もいるかもしれません。高速道路にあるサービスエリアやパーキングエリアでもなく、近年注目を集めつつある道の駅でもなく、ドライブイン。ロードサイドを走ると、現在では廃墟になってしまったお店も含めて、数多くのドライブインを見かけます。どうして日本全国に「ドライブイン」と看板を掲げるお店が誕生し、どうして現在ではその数が減りつつあるのか。
著者はリトルプレス「月刊ドライブイン」をつくりつつ、「ドライブイン」がどのようにして生まれ、広がっていったのか、大きな歴史では語られることのない個人の歴史を一店舗一店舗インタビューしてまわり、一冊の本にしていた。
僕は著者の姿勢に感銘を受けた。本来であれば大学で研究すれば面白いような研究対象が、日本の大学では不思議と黙殺されている。著者のように滅びゆく昭和の遺物を、在野のスタンスで収集していく姿に感銘を受けたのだ。そしていつの間にか、知らず知らずのうちに自分も感化されていたのである。
いつしか、僕は「サウナ史」をまとめてみたいと思うようになった。
そう、僕はずっと気になっていたのだ。バッティングセンター、スナック、ドライブインといったものと同等に、オヤジ連中に愛されながら大学で研究されず、歴史書も存在しない「サウナ」という施設に。そして気づけば世の中的にも空前の「サウナブーム」が巻き起こり、友人と酒を飲めばサウナに行き、漫画化され、テレビでドラマになっていた。
とてもおかしな現象だと思った。というのも誰もサウナが日本にどのように入ってきて、どのように人々に広がったのか気にもとめないのだ。これだけサウナブームなのに、研究者すらいないのだ。
こうして僕はサウナの歴史を調べることを決めたのである。
■プロフィール
草彅洋平
編集者。フィンランド政府観光局公式サウナアンバサダーの一人。著書に『作家と温泉』、『日本サウナ史』など。
日本サウナ史 ※外部リンクに移動します
■スタッフクレジット
写真提供:草彅洋平 編集:榎並紀行(やじろべえ)、株式会社CINRA
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