“城崎ならでは”にこだわった挑戦は城崎のまち全体を動かした
お酒を中心に展開するお土産屋にも「本と温泉」はフルラインナップで陳列されている
──短編小説『城の崎にて』で知られる文豪・志賀直哉の来湯100年という機会であったとはいえ、「本と温泉」のプロジェクト立ち上げは、出版や文学にあまり詳しくないメンバーで挑戦するのには勇気がいることだったのではないかと思います。何が皆さんの挑戦を支えていたのでしょうか?
みんな出版の素人、かつ文学に対しての造詣も深くないため、本当にうまくできるかという不安はありました。ですが、できないからといって無難に難易度が低いことをやるとうまくいかないことは、B級グルメやゆるキャラに挑戦して学習していました。流行りだからやったところで、“城崎ならでは”というのがちゃんと伝わるのかは疑問でしたし、ましてB級グルメやゆるキャラでは、まちのファンとして定着してくれない可能性が高い。「本と温泉」に関しては、文学のまちと城崎はずっと言われてきたことに対してのフックなので、文化的な面でひっかかる人がファンになってくれたら、城崎ならではの部分に惚れ込んでくれた良質なお客さんになるはずと理解していました。なので、難易度は高いけどチャレンジできたんだと思っています。
──「本と温泉」のプロジェクトによって城崎温泉の皆さんの意識も変わったのでしょうか?
変えることができたと思っています。今までは二世会の面々が何かしても、「旅館の若手がまた何かやっている」という見られ方をされてしまい、まちの皆さんとの壁を感じていました。「本と温泉」をはじめてからは、喫茶店やお土産屋で、お客さんが本のことを質問してくださるということが起こり始めたんです。それがきっかけになって、問い合わせをしてくれるようになり壁がなくなっていきました。お客様の質問に答えようと、皆さんも自ら勉強してくださるようにもなりましたし、「本と温泉」についても詳しくなってくださって。そういった連鎖がつながり、売り場の拡大へと広がっていきました。色々なお店が、うちでも売るよと言ってくださるようになっていったんです。そうすると、依頼を受けて10冊納品したら「1日で売り切れたので、30冊持って来てほしい」と連絡が入り、翌日また持っていくというような現象が起き始めたんです。目に見えた結果が出てくると、世代や業種が違っても、まちで会った際に声をかけてくれるようになっていきました。銀行で順番待ちしていたら「うちにも10冊持ってきて」と言われることもあったぐらいです(笑)。
そのうち、取り扱ってくださっているお店の人たちが、本について“自分の言葉”で喋れるようになっていきました。今まで、お土産屋・居酒屋・コーヒー屋などで、お客様と文学の話をするなんてことはなかったことなんですが、それが当たり前になっていきました。その輪が広がって、最終的にはまちの人たちの多くが、それぞれの言葉で「本と温泉」について話せるようになったんです。町おこしに寄与できていることに、すごく手応えを感じました。
とてもいいかたちがつくれているのは、「本と温泉」をビジネスとして捉えずにはじめたことが大きかったかもしれません。初めての出版の際は、資金にするために、二世会20人がそれぞれお金を出し合いました。しかしその後は本の売上で増刷を続けられています。専属の人を雇ったりもしていません。「本と温泉」をもっと大きくしたい、ビジネスとして成功させたいなどの想いはなく、僕らの目的はシンプルです。「城崎にお客さんが来てくれてまちが活性化すること」。本が売れたことで話題になったことも要因のひとつだとは思っていますが、ビジネス的な下心がなく、純粋にまちを盛り上げたい一心でやってきて、今もやっているということが、結果的にまちの交流も増やすようになったのではないかなと考えています。
豊岡市との二人三脚のPRで、観光客を10万人増に
浴衣でそぞろ歩きで知られる城崎のまち並み
──「本と温泉」を立ち上げられてから、城崎温泉に訪れる方はどのくらい増えたのでしょうか。
「本と温泉」だけの効果ではないと思いますが、来てくださる方が増えたことは実感しています。実は、来訪者がいちばん少なかったのが2011年あたりなのですが、当時の宿泊者数は約53万人でした。その後、2014、15年から増えていき、2017〜19年は毎年63万人にお越しいただきました。増加した10万人のうち、半分の5万人がインバウンドの旅行客となりますので、残り5万人が国内からお越しいただいたことになります。残念なことにはっきりと統計はとれていないのですが、「本と温泉」を立ち上げたのが2013年なので、タイミング的にはプロジェクトの後から増えています。
それには「本と温泉」によるメディア露出などのPR効果も起因できているのではないかと考えています。というのも、まず万城目さんの書き下ろしの出版で取材が増えました。その後、湊さんの書き下ろしを出版したことで、更なる反響が起きたのです。テレビ番組の『世界ふしぎ発見』で城崎を取り上げてもらえた程です。加えて、少し前に豊岡市役所が「大交流課」という部署を新設したことも、影響していると思っています。
豊岡市の大交流課は、豊岡市の知名度を上げることを目的とした部署なのですが、立ち上げられたのが「本と温泉」と同じ2013年でした。タイミングが合ったこともあり、二人三脚で、マーケティングを行うことができました。例えば、市役所の広報活動で豊岡市や城崎について取材があった場合、「本と温泉」を一緒に紹介してくたり、逆に自分たち発信での取材が決まった時も、城崎まで来ていただくための交通費を支援してくれたり。そういった後押しもあり、国内からの観光客も増やせたのではないかと思っています。
──本を購入されている方=城崎を訪れた方となると思うのですが、現状の発行部数はどのくらいになっているのでしょうか。
『注釈・城の崎にて』が約1万5000部、『城崎裁判』が約2万部、『城崎へかえる』が約2万1000部、『城崎ユノマトペ』が初版の3000部(2022年10月現在)です。『城崎ユノマトペ』は2020年2月に発刊したので、コロナの影響がなければもっと伸びたいのではないかと思っています。先ほども少しふれたのですが、第1弾となった『注釈・城の崎にて』の初版は、最初に二世会のメンバー20人がそれぞれお金を出し合った100万円を元手にして3000部を刷りました。正直最初は売れるかどうか不安な気持ちの方が強かったのですが、我々はそもそも出版のプロではありませんし、旅館業を生業としていますので、5万円ならもしうまくいかなくてもそこまでダメージは大きくないと思って挑戦しました。マメ本サイズにしたパッケージや先ほどお伝えしたPR効果などもあり、結果として自分たちの想像以上の反響を頂くことができました。
『注釈・城の崎にて』以外の3冊も初版は3,000部刷り、その後はその売上を使って毎回2000~3000部ずつ、ずっと増刷し続けています。おかげさまでずっと一定の売上をキープできているので、実は最初の『注釈・城崎にて』の初版3000部に使った100万円の持ち出し以外、自分たちの持ち出しはしていません。そうやってやり繰りできるのは、城崎限定の発売という希少性や作品のパワーのおかげだと思っています。文学好きの方たちに一定評価されているんだなという実感もあります。『注釈・城の崎にて』以外の作品が売れることは作家さんにファンがついていることもあり理解できるのですが、今の時代に『城の崎にて』が他の本と引けを取らず1万5000部売れるというのは、奇跡ですから。評価された証だと感じています。
大切なのは、昔ながらの良い部分と現代にアップデートする部分を見極めること
片岡大介氏が13代目当主を務める300年続く老舗「三木屋」。「本と温泉」を立ち上げた2013年にリニューアルを果たした
────最後に、同じく挑戦を続けられている経営者の方々や、これから起業を考えている方々にアドバイス、メッセージをいただけますか。
自分自身、旅館を世襲したこともあり、いわゆる新規でビジネスを始められている人とは違い、ゼロから何かを生み出す能力には長けていないと思います。そのため、自分が気をつけていること、常に考えていることは、昔からあるものをどう良くしていくかです。自分が携わる三木屋も、引き継いだ時にまずしたのが、どういう歴史があって、どういう風に今へ伝えるようにすればいいのかを考えました。もちろんそれは今も考えて続けています。
「本と温泉」に関しても、本というアプローチは昔からある手法ですが、それをどう自分達らしく提案できるかを考え“城崎限定発売”に着地しましたし、また城崎がずっと保ってきた“文学のまち”としての誇り、どう現代的にアップデートして届けるかを突き詰め、今の4冊にまとまったと思っています。
その考え方は城崎温泉の成り立ちから学んだことかもしれません。城崎は他の温泉地と違い、浴衣でそぞり歩きをしながら外湯やご飯を楽しむ、昔ながらの温泉街の本質的な良さを守り続けてきました。バブルの時代には団体客を受け入れられない時代遅れの旅館や温泉街だと言われてしまうこともあったのですが、短期的な部分に捉われず長期的な視野で考えを貫いたことで、今では“浴衣がいちばん似合うまち”という風に紹介されるようになりました。
手前味噌ですが、城崎は変えてしまうとダメな部分、変えるべき部分を見極めてきたまちだと思っています。自分が経営する三木屋は木造3階建ですが、法律上、今はもう木造の3階建てを新たに作ることはできません。三木屋と同じような建造物が何十軒も残っている温泉街は城崎だけですし、そのおかげで古き良き温泉街として今の風情を保てています。そういったことを意識せず気まぐれに取り壊してしまったら、手遅れになってしまいます。ちゃんと残さないといけないものを見極めて、変えるところを考えていく。それが、自分が城崎というまちに学んだことです。
読まれている方には、新しいサービス開発に携わられる方もいれば、今まであったビジネスに携わられる方もいらっしゃると思います。自分の経験を踏まえて思うのは、何をやるにしても昔からある残すべき良い部分と、現代に合わせて変えていくべき部分の見極めが重要だということです。もう一つは、“城崎限定で売る”など自分の信念を貫くことの大切さです。自分も時として迷うことがありますが、原点である“城崎のまち”を見つめて常にその意識を保てるよう気をつけています。もし何か迷うことがあれば、原点を振り返るようにすれば、きっとうまくいくはずですよ!
■プロフィール
片岡大介
創業300年以上を誇り、志賀直哉が宿泊した宿として知られる旅館「三木屋」の十代目当主。またNPO法人「本と温泉」副理事長も務める。他にも城崎の観光協会でまちの文化部長を担当。城崎温泉の文化発信の役割を担っている。
本と温泉 ※外部リンクに移動します
■スタッフクレジット
取材・文・編集:井上峻(監修:コンデナスト・ジャパン)
写真:井垣真紀(イガキフォトスタジオ)
■関連記事
My Rulesに関する記事はこちら
空きスぺースのシェアで、スモールビジネスの場を。2008年創業「軒先」が繋ぎ続ける、街のニーズ。―My Rules vol.1―
銭湯経営、在り方を革新し続ける。「黄金湯」が目指す銭湯文化の未来―My Rules vol.2―
「手と手が重なる」出会いができるマッチングサービス、オンライン書店「Chapters」。―My Rules vol.3―
残糸・残布を衣服へアップサイクルする「RYE TENDER」。サステナブルなビジネスを支えるのは互いへのリスペクト―My Rules vol.4―
“地産地読”で地方創生。温泉宿の若旦那衆で立ち上げた城崎温泉発の出版レーベル「本と温泉」。―My Rules vol.5|前編―
売上の大半占める卸取引から撤退。1926年創業 甘納豆専門店・斗六屋4代目が「最高の判断」と振り返る理由―My Rules vol.6 前編―
種のお菓子「SHUKA」を世界に届くブランドに。1926年創業 甘納豆専門店・斗六屋4代目の「長所を伸ばす考え方」―My Rules vol.6 後編―