地域は食とデザインで変わる
——まずはご経歴からお伺いできますでしょうか?
私は昔から絵を描いたりデザインしたりすることが好きで、高校卒業後には芸大に進みたいと考えていました。ですが、残念ながら芸大には受からず、18歳の時に地元の建設会社でアルバイトを始めたんです。そこでの仕事があまりにも楽しすぎて、そのまま現場監督になって現場をこなすようになりました。2年経った20歳の頃に、自分でやってみたいということで独立した、というのが私の事業のスタートでした。初めは自分一人、軽トラック1台で始めた建設会社が、3人5人20人30人…と大きくなっていきまして、10年くらい経った頃には売上が10数億くらいの会社になりました。その頃には建設だけではなく、不動産事業をしたり、ビジネスホテルを経営したりと仕事の範囲も広がってきていました。そんな中で、三重県の湯の山温泉にある片岡温泉という宿を買い受けたのが、最初のリゾート事業です。
——温泉リゾートの「アクアイグニス」が生まれた経緯ということですね。
四日市の山側にある菰野町(こものちょう)(こものちょう)の、片岡温泉というお宿で、後継者がいないので譲り受けてほしいというお話をいただきました。そうして作ったのが「アクアイグニス」です。
株式会社アクアイグニス代表取締役の立花哲也氏。「VISON」のサンセバスチャン通りを歩き、お店スタッフや関係者と気さくに挨拶を交わす姿が印象的だ
——「アクアイグニス」の開業は2012年ですが、当時から食の力というようなものは意識されていたのでしょうか?
当時はまだ、山の温泉街に行ってもお刺身が必ず出てくるような、どこか団体客のために頑張って営業しているといった印象のお宿が多かったのですが、少しずつ、個人で美味しいものを食べに来る人に向けたお宿が求められるようになってきていた頃でした。ですが、地元から新しいことをやるというのはなかなか難しく、料理人さんにも馴染まないことが多かったです。そこで、あえて外から有名な方を誘致しました。(パティシエ/ショコラティエの)辻󠄀口 博啓さん、(イタリアンシェフの)奥田政行さん、(和食料理人の)笠原将弘さんを「アクアイグニス」に誘致して、若い料理人さんや、地域の生産者さんたちと一緒に地場の食材を使って、「癒し」と「食」をテーマにして作っていきました。
80万人ぐらいまで減っていた菰野町の観光客数も、「アクアイグニス」ができて施設単独で100万人、町としては200万人訪れるようになりました。そこで、「地域は食、デザインで変わるんだ」ということを、一つのモデルケースとして認識していただけたと思います。それから、全国の色んな町からお話をいただくようになったんですけど、そのなかで、同じ三重県の多気町(たきちょう)でアクアイグニスのようなものができないだろうかと、町長からお願いをいただいて「VISON(ヴィソン)」が始まったというところです。
日本の食の本物を集めて
100年200年続くモデルを作る
——多気町が抱えていた課題感というのも菰野町などと同じく、観光客も人口も減っているということだったのでしょうか?
多気町はもっと観光客が減っていましたし、1万5千人の人口も少子高齢化で減り続けているという、地域課題の象徴のような町だったと言っていいと思います。ですが、伊勢神宮に近く、熊野古道に行くちょうど分岐点でもあるジャンクションのある町ですので、町長にはその魅力が伝わればという思いがありました。お伊勢さんに色々な食材を納めている町でもありますし、農業が盛んです。それから(徳川吉宗に重宝された本草学者の野呂元丈生誕の地という縁もある)薬草の町でもあるということで、そうしたものを活用して町おこしができないかというのがスタートになりました。
「野に遊び、野に学べ」をコンセプトに、美しき村を見渡せる宿泊施設「ホテル ヴィソン」は山肌に沿うように建てられている
「ホテル ヴィソン」から見渡した景色。右手前に「サンセバスチャン通り」、中央に「和ヴィソン」、左手に見えるのが「アトリエ ヴィソン」
——敷地面積が約119ヘクタールと、規模も別格ですが、「VISON」が通常の商業施設と大きく違う点を教えてください。
まず一つは、建物のほとんどが木造であるということです。地方の商業施設の多くは、20〜30年の定期借地契約というケースです。したがって、建物も長くても40年で役目を終えるという前提で建てられるんです。我々は、メンテナンスを施すことでずっとこの場所に続くようにしたいという思いで、ほぼ木造の建築にしました。式年遷宮(1,300年以上前から続く、伊勢神宮などで20年に一度行われる社殿などの造り替え)の1,300年には及ばないにしても、本当に100年200年続くようなモデルにしたいという思いがあるんです。
二つ目が、テナントにいわゆるナショナルチェーンが1軒もないことです。コンビニも自動販売機も置かない代わりに、普通なら出店しないようなメーカーさんに出ていただけるようにお願いしました。味噌、味醂、醤油、お酢、それから昆布出汁、鰹出汁、日本酒など、日本の食の本物を集めたのが「和ヴィソン」というエリア。そこには、天ぷら、鰻、すき焼き、蕎麦などの料理店も、調理道具のミュージアムもあります。「マルシェ ヴィソン」には、三重県内また近県から肉や魚、野菜・果物を集めています。出店者の皆さんが抱いている「日本の食文化を残していきい」という思いに対して、我々は土地を買って、木造建築を建てて、100年先も継続させていきたいというコンセプトをもって出店をお願いしました。
先日、スペインからバスク・カリナリー・センター(食大学)の方たちが来た時に言っていた言葉なのですが、お酢のミュージアムや醤油のミュージアムなどが単体ではなく、どれもあって、さらに料理として食べることもできる。「日本食のワンダーランドだ」と。日本食に関しては日本で一番集積された場所であって、それはつまり世界一の日本食の場所と言えるのかなと思っています。
——多気町として考えると、雇用も生まれて地域の人口課題の改善にも一役買っているということになるでしょうか?
雇用という意味では、オープンと同時に約600人の方が働くようになりました。三重県は毎年千人単位で大都市に人口が出て行きますが、今回はUターンで三重に帰ってくるという人もいらっしゃって、よかったと思います。家族のために戻って来たいとは思いつつも、何かやりがいのあることがないと実際には戻って来づらいものですが、“ここにしかないもの”があるからとUターンして来てくれた方がいるというのは、「VISON」ができた一つの意義かと思いますね。
木造建築の「和ヴィソン」エリアの向こう側(写真右奥)には、“食の美術館”と位置付けられる「AT CHEF MUSEUM」が2023年7月にオープン。中に入ると、ミシュラン星付きシェフ7名を含む、全国の有名料理人18名が監修した料理にぐるっと周りを囲まれ、フードコート感覚で一流の料理やドリンクを楽しむことができる
「商売できるわけない」と言われた土地だからこそ、
世界の人が集まる場所が必要だった
——先ほどお話がでましたが、美食の街として世界的に知られるスペインのサンセバスチャンと多気町は「美食を通じた友好の証」を結んでおり、「VISON」にもサンセバスチャンのバルが海外初出店として営業していますよね?
はい、ちょうど先日、サンセバスチャンの市長がようやく来てくださって、2泊され、喜んで帰って行かれました。世界にも通じるような日本の食といいますか、発酵文化をはじめとした日本の大事な食文化を世界に発信したいですし、世界に認められるような場所にしたかった。先ほど申し上げた通り、多気町は人口が1万5千人しかいなくて、隣の町も6千人、1万人だとか、もう本当に人が住んでいないところなので、普通で言ったら商業施設が成り立たない場所なんです。
そうすると、いかに大きな商圏から人を呼ばないといけないかということなのですね。アクセスがいい名古屋、大阪、でもそれだけでは足りない、もっと広く世界から人に来てもらわないと成り立たないエリアなんです。よほど専門性がないと集客できないという環境ですので、かなり振り切ったことをしようと考えました。採算度外視というのはおかしいのですが、そのくらい徹底的に食を集めることで、弱みを強みに変えたといえると思います。
——しかし、徹底的に食を集めるというのは大変なことだったのではないでしょうか? 地域の生産者やメーカーの方々にはどうやって協力を仰いだのでしょうか?
オープンの約3年前から各地域に顔を出して回りました。付き合いのある生産者さんにまた取引してくださいねとか、こんな野菜作れませんか?とか、オーガニックを頑張っている人がいたらレストランで買い取らせてくださいとか、そういうことをかなり前の段階から始めていました。「こんなところで商売できるわけない」と最初はたくさんの人に言われて、「これはよほど頑張らないといけない」と、それがパワーになりましたね。本物が集まらないと意味がないので、いかに直接、自分で足を運ぶか。
また、時には、シェフにも一緒に行っていただきました。例えば、漁師さんのところにシェフと一緒に行って、夜にはエビと野菜で料理してご飯を食べる。最後、交流するんですよ。家族で底びき網漁をやっている方に、市場だと買い叩かれてしまって悲しくて仕方がなかったんだけど、自分たちが活躍できる場所があるんだと気づいていただける。シェフたちにとっても、生産者さんたちとの繋がりは重要なので、そうしたマッチングができたということも良かったと思います。そこまですることで、「それなら頑張ってやろうか」となっていただけたりもしました。“出たがっていない人をどう口説くか”には、情熱だけではなくて、協力してくれるシェフや建築のこだわりだったり、いろんなものを合わせ技で提案するということが大事だと感じました。
長い期間をコミットするために、木造で建設工事をすることだけではなく、ソフト面というか、大事な“魂の部分”によって地域の方に参加してもらいやすい場所を作れたのかなと思いますね。皆さんのマイホームを作るという感覚に近かったかもしれません。オープンまで8年と、時間はやはりかかったなという。
——長い道のりの中でプレッシャーもあったのではないでしょうか?
それもまた楽しいというか。できない壁が出てきて、思い切って何かをやるときって燃えてくるんです。そこで生まれてくる人と人との出会いも楽しいですよね。すごく助けられたり、学ばされたりとか、思い知らされたりだとか。今回もこの8年間で勉強させてもらって、自分自身成長したなと感じます。
「和ヴィソン」に入る、三重の伝統的な漬物を作る「林商店」にて。立花氏は毎日のようにここのきゅうり棒を食べに来るのだとか。400年以上の伝統を持つ伊勢たくあんのために、敷地内の農園で大根を栽培、店内に設置された高さ2mを超す木樽でぬか漬けにする作業はアクアイグニス社員も参加して行なったそう
——これから挑戦されたいことを教えてください。
「VISON」と「アクアイグニス」、それから菰野町にもう一軒「素粋居」というオーベルジュをやっていて、大中小それぞれの規模のモデルというかショーケースができたことになりますが、今後我々が他の地域に出て行くということではなく、各地域の方々と一緒にそこの思いを活かして場所を作るということをしたいと思っています。
例えば、仙台で、津波で流れてしまった場所に賑わいをつくりたいということで、「アクアイグニス仙台」を作りました。地元の企業さんたちが立ち上がって、一緒になってやろうということで実現しましたが、何が面白かったかといえば、場所が変わると魚も野菜も果物も全然違うんですよ。全国で発酵文化も違いますし、水も違えばお酒も違う。だから各地域の個性ある食文化を復活させるようなことができればと思ってます。地域の特色を出せるというのはすごく面白いですよね。建築も変えてみたいですし、地元出身の建築家の方に活躍してもらえたらいいですよね。(アクアイグニスという)名前を変えてしまってもいいと思います。我々が関与していなくてもいいですし、一緒にやっていってもいいですし。一つだけポツンとあるとやっていけないものでも、集まれば元気になる場合がある。そうやってその地域の大事な文化を残していくような場所がいくつかできていったらいいなと思ってはいますね。
——最後に、挑戦を続けている仲間である、経営者の方々にメッセージをお願いします。
私はまだ若輩者ですし、学びながらやっているので偉そうなことは言えません。まだまだ成功したわけではありませんので、奮闘中なわけですが、こんな無謀なチャレンジをして、そうやって地方を盛り上げようと頑張っている人間もいますので、「皆さんもぜひ頑張りましょう」ということ、また、「応援をしてください」という想いをお伝えできればと思います。
■プロフィール
立花哲也
1974年、三重県生まれ。高校卒業後、建設業界に飛びこみ、20歳で独立。その後、温泉経営に乗り出し、複合温泉リゾート「アクアイグニス」、離れ宿「湯の山 素粋居」を手がける。2021年、三重県多気町に全国初認可のスマートインターチェンジ直結の民間施設「VISON(ヴィソン)」をオープンした。
VISON(外部サイトに移動します)
■スタッフクレジット
写真:阿部拓朗 取材・編集:舘﨑芳貴(RiCE.press)