地域にプラスをもたらす
「4者に優しい」観光を目指して
――起業されたのは、三重県鳥羽のご実家の旅館を再建するために帰郷されてからとのことですが、当時の観光業は、どのような課題に直面していたのでしょうか。
集客には力を入れても、鳥羽の魅力を伝える部分が足りていなく、観光客のニーズとのずれが生じていました。そこで、ハコ物だけに頼るのではなく、漁業や島、海女さんなど、鳥羽ならではの観光資源を活用してお客様に鳥羽の魅力を伝えたい、それも地域にとってプラスになる形で提供したいと考え、同級生4人で有限会社オズを設立しました。
当時の観光業者は、観光客を受け入れる「種まき」の段階で「(たぶん)いいことがある」「知名度が上がる(だろう)」と地元に協力を求めるけれど、最後に「刈り取り」をするのは観光業者だけで、協力者には収益を拡大する要素が残らない状態でした。そこで、私たちが観光業で新しいことや面白いことをやっていくにしても、「どこにもマイナスをつくらない」、これだけは貫こうと決めました。
たとえばツアーの企画書では、事業指針である「お客様、自然、住民、ガイドの4者への優しさ」がどのように実現されるかを一つひとつ記入するフォーマットにしています。エコツアーでは稚魚の生育空間や住民の生活エリアなどデリケートなゾーンにも足を踏み入れるので、「同じ磯場に3日以上続けて入らない」などのルールを設定して関係者に提示し、自然にも人にも負荷をかけないようにしています。
――起業後3年の企業生存率は約50%とも言われます。ゼロからのスタートで、どのように事業を軌道に乗せられたのでしょうか。
起業時に観光業以外の経営者に話を聞いて回りました。時代に合わせて繊維業からプリント配電基板へと業種を転換した知り合いから、自社の価値・強みを明確に打ち出すことが会社の軸となり、競合他社との差別化につながったと聞き、まずは「強みを持つ」「窓口を広げる」の2点を徹底しようと考えたんです。たとえば、売上がほとんどない状態でも新ツアーの記者発表会を地道に続けました。地方紙に取り上げてもらうことで、他のメディアや地元企業に少しずつ知られるようになり、問い合わせも増えていきました。また、毎日街に出ていろいろな人から困り事や変化を聞き回り、顔を知ってもらうと同時にビジネスのソリューション収集にも励みました。これは今でも続けています。
歩き回って地元の困り事や変化をインプットするのは、江﨑氏の日課
――毎日のコミュニケーションがあるから「4者に優しい」が実現できているということですね。
経営は釣りと同じで――私のたとえは、いつも海がらみになってしまうんですが(笑)――強みの「竿」と弱みの「エサ」の両方があった方が、うまくいくものです。強みだけでは「ひとりでやればいい」と思われてしまうけれど、弱みがあると「そこはやってあげよう」と手を差し伸べてもらえる。つまり、弱みは連携の接点になるんです。
とはいっても、連携は顔見知り程度の関係で実現させられるものではありません。私も、とにかく直接足を運んで話を聞き、「4者に優しい」を徹底したツアーを実施しながら関係性を築き上げてきました。私たちの活動にいちばん否定的だった方が、今では最大の協力者となっています。これが、現在の私たちのビジネスモデル「成幸(せいこう)エコツーリズム」の手法です。
楽しそうに働く海女さんに憧れ、自らも海女として漁をするようになった
「気付き」を強みにした戦略で
新規マーケットを開拓
――企画・実施されている「海島遊民(かいとうゆうみん)くらぶ」のエコツアーはどのように生まれたのでしょうか。
起業当初のツアーは釣り体験が中心でした。釣り体験に適した場所を離島の漁村で探していたときに、競りに間に合わせようと猛スピードで港に入ってくる漁船を目のあたりにしたことがありました。漁師は、鮮度命とばかりに、魚市場の競りの寸前まで漁をします。そういう漁業の緊迫感と、のんびりした島の雰囲気が隣り合わせている状況を、ぜひ観光客に見てもらいたいと思ったのがエコツアーを始めたきっかけです。あのときは、「これなら鳥羽水族館とミキモト真珠島に続くコンテンツになる、10年後には日本一になれる!」と一人で舞い上がりました。ちょうど設立10年目の2009年度に環境省のエコツーリズム大賞を受賞できたので、ある意味ではそれを実現できたかなと思っています。
――その後特別継続賞も受賞されました。継続力は企業の武器ともいわれますが、それをどのように高められたのでしょうか。
2003年に三重県から提案があって始めた無人島ツアーが、一つの転換点になりました。その準備・実施を通じて地元の漁師、住民、行政などさまざまな人や機関と関われたことで、「地域資源を守る」というビジョンを共有でき、信頼関係を構築できたことが、いろいろな意味で継続と成長につながったと思います。従来の観光には地域資源の使い捨てという面もあったため、当初私たちは、環境を守る=立ち入らないという姿勢をとっていましたが、この無人島ツアーの企画をきっかけに、「地域資源は産業や教育、暮らし、人、観光をつなぐ結び目になる。その結び目を作り、地域によい循環を生み出していくのが私たちの仕事だ」と意識するようになり、それがビジネスモデル「成幸エコツーリズム」の軸となりました。
――ツアーの年間参加者数が、2001年度の100人から2021年度は7500人と大きく伸びているとのことですが、「海島遊民くらぶ」のエコツアーが成功した理由は何だとお考えですか。
ガイドの「気付き」を強みにするという戦略だと思います。ツアー客には旅行先で何かを見たい、何かしたいという潜在的な欲求があるわけで、それを読み取って実現させる。気づくだけでなく行動に移せてこそ、プロのガイドです。そうなるためには、会話や表情から相手の潜在的欲求を感じ取るセンスを磨くこと、そして日頃からアンテナを張り巡らせて、「あそこを見せたらどうか」「あの人と話すと楽しいかもしれない」と現場で臨機応変に対応できる知識や地域の方々との関係性を深めておくことが大切です。
自然や文化についての解説もしますが、私たちのツアーは「フィールドを舞台にしたエンターテインメント」だと考えているので、「鳥羽の台所つまみ食いウォーキング」「漁師のアフターファイブツアー」などツアー名をアトラクション風にしたり、印象が深くなるようストーリー性を持たせたりといった工夫もしています。
最近、エコツアーを提供する会社が他にもいくつか出てきているのは、鳥羽にエコツーリズムの市場が生まれ、エコツアーがビジネスチャンスと捉えられている証拠なので、とても喜ばしいことだと感じています。
――昨年からは「海島遊民くらぶ」でもオンラインツアーを実施されています。工夫をされていることはありますか。
オンラインツアーとはいえ、エンターテインメントとして提供するからには、単なる映像や情報だけでなく、リアル感を伝えなければと考えています。においをかいだり触れたりできない状況でどうリアル感を出せばよいのか、そもそもリアル感って何なのか?と試行錯誤をしているところです。メタバースなども出てきていますが、オンラインツアーとリアルツアーを分けるのではなく、私たちらしく、どこかに接点を持たせて、うまくつないでいきたいと思います。
SDGsの本質は、ゴール達成ではなく
「誰ひとり取り残さない」アプローチにある
――2020年に開始した「市場での入札体験」は、SDGsの一環として開発されたものだそうですね。
はい。鳥羽市では、観光と漁業が連携し、地域の活性化につなげる観光エコシステムづくりが進行中です。これまでも魚市場で入札(競り)の見学は行っていましたが、漁協組合からの「体験できたらもっと面白いのでは」という提案をきっかけにツアーに取り入れました。漁業関係者と関係を積み上げるフェーズから、連携を生み出すフェーズに進みつつあるのを実感しています。
SDGsというと17のゴールの実現に目が行きがちですが、肝心なのは「誰一人取り残さない」というアプローチの方だと思うんです。これは、私たちの活動方針「4者に優しい」と共通するもので、「誰かの笑顔のために、誰かの笑顔を消さない」と考えればわかりやすいのではないでしょうか。市場で値段を付ける際には、「安いと漁師が困る」「高いと自分が買えない」とさまざまな利害関係者のバランスを考えることになります。これぞまさに究極のSDGs行動です。それを説教くさくなく、楽しんでもらえる形で商品化しました。今後もエコツアーという枠組みに限定せず、漁観連携のオプショナルツアーを提供していくつもりです。
鳥羽市エコツーリズム推進協議会の会長として、地域の漁業・観光・行政の連携を率先している
――エコツーリズムをハブとして地域の課題を解決していくということですね。
気候変動の影響なのか、全国的に漁獲量が大幅に減少し、獲れる魚種も変化して、漁業関係者は「収入が減る」「魚の値段が安くなる」と頭を抱えている。でもそれは、自然の変化しか見えていないからなんです。私たち観光業は、エコツーリズムを通して自然はもちろん、マーケットの変化も感じ取ることができる。だからこそ、大切な地域資源を利用する側として、一次産業とマーケットの接点になる商品づくりをしていかなければならないと考えています。
これからの時代は、どんなに斬新な製品やサービスのアイデアがあったとしても、業界や企業の規模を問わず、他者との連携なしには成長も継続も難しいでしょう。その点を意識して強みづくり、関係づくりを進めていくことが大切だと思います。
――鳥羽市の「漁観連携」では、「答志島トロさわら」のブランド化など、すでに成果も上がっていますね。
伊勢湾では、ものすごく脂ノリのいいさわらが獲れるんです。特産品として知名度もある伊勢えびやあわびなどが獲れなくなっているので、漁獲量が増えているさわらをブランド化して、新しい観光の目玉とし、かつ漁師の収入アップにつなげようというプロジェクトでした。私はそのブランド委員長を務めているのですが、メディアで取り上げていただいたこともあって、実は価格が3倍にもなりました。「脂ノリがよくておいしい」と言うだけでは商品価値になりませんから、脂肪の含有量を一尾ごとに計測して脂ノリを見える化し、鮮度劣化につながる傷をつくらないよう漁や処理の方法も見直しました。こうした差別化や品質保証には、漁師以外の視点や知識も必要です。とはいえ、私たち観光業者の目線で思い付くことには限界がありますから、漁業に関する専門知識を身に付けたいと思い、大学院で資源循環システム学を勉強中です。
漁観連携プロジェクトでブランド化を実現させた「答志島トロさわら」
――全国各地からの視察・研修者が年間200人を超えるなど、ガイドやコーディネーターの育成にも力を入れられていらっしゃいますね。
生意気にも、大学生の頃から「究極の魅力は人」と言い続けてきました。地方創生というと、都市部の専門家にプランニングやプロデュースを依頼するケースが少なくありません。しかし、人口減少や若者雇用といった課題の解決という視点から言えば、地元の人がその土地ならではの接点を見いだし、それを結び付けて何かを創出できる人材を育てていくことこそが、本当の意味での地方創生だと思っています。
――最後に新たな事業に挑戦しようと考えていらっしゃったり、挑戦を始めたばかりといった経営者の方々に向けて、20年にわたる経験からアドバイスをいただけますか。
よくあることではないかと思うのですが、私はすべてを自分一人で背負いがちな社長でした。あるときスタッフに「ワンマン経営は終わり。これからは経理もシフト作成もみんなでやります」と宣言されたんです。そこで社長だからと強がる必要はない、手に負えないときは「大変」「助けて」と言ってもいいんだと気付かされました。経営者には、外部へ会社としての情報発信はしていても、周囲に対して自分の情報発信をしていない人が多いのではないでしょうか。だから追い込まれてしまう。「自分にしかできない」こともあるけれど、「自分だけではできない」と思って頼れるようになると、会社が生き生きとしてくると思います。
人材育成の担当者も含め、人を導く立場にある人が「ブレない」ことも大切です。言動に一貫性や整合性がなくなると、スタッフが現場で判断できなくなるため、ブランドステートメントや指針を作っています。重要なのは、言葉だけで終わらせないように、現場のオペレーションにまでそのコンセプトが落とし込まれるシステムをつくることです。特に、企画書の必須項目にする、人材育成の評価基準に入れるといったチェック機能が不可欠です。また、人数が多くなると難しくなってしまうかもしれませんが、私たちはその場、その場で感覚や情報を共有するようにしています。そのために仕事を中断しなければいけなくなることもありますが、ブレを防げるなら意思疎通の時間は惜しみません。
「誰かの笑顔を消さない」の「誰か」に、社内・社外の区別はありません。真のエコシステムを構築するには、どこに対しても、誰に対しても、一貫した姿勢でのぞんでいくことが大切なのではないでしょうか。
■プロフィール
江﨑 貴久(えざき・きく)
有限会社 オズ 代表取締役。
1974年三重県鳥羽市生まれ。京都外国語大学卒業後、エトワール海渡入社。1997年実家の老舗旅館「海月(かいげつ)」を再建するために帰郷し、5代目女将となる。2000年有限会社オズを設立。10年より鳥羽市エコツーリズム推進協議会会長、18年より伊勢志摩国立公園エコツーリズム協議会会長。環境省中央環境審議会自然公園部会、国立公園満喫プロジェクトなどの行政委員も務める。17年総務大臣表彰受賞。21年度アカデミア賞社会部門受賞。三重大学大学院生物資源学研究科在籍。
■スタッフクレジット
取材・文:坂下明子 編集:後藤文江(日経BPコンサルティング)