リスクや挑戦から逃げていては
成功はつかめない
――まずは、起業された経緯と現在手掛けている事業について教えてください。
学生のころから高杉晋作や国内外の著名な経営者に憧れ、大きなことに挑戦したいという思いがありました。大学を卒業してすぐの起業も考えましたが、当時の日本ではベンチャー企業にあまりいいイメージがなく、親が大反対。大学卒業後は大手保険会社で働いていました。ですが、どうしても起業への思いを諦めきれず、30歳のときに退職。アメリカの大学でMBAを取得し、以前から興味を持っていたシリコンバレーへ。6年ほどメガベンチャーのハンズオン支援を行い、キャリアを磨いたのちに帰国して、テラモーターズ株式会社を2010年に起業しました。
主軸はスクーターやトゥクトゥクのようなEV二輪車・三輪車の製造・販売で、現在はインドを中心に年間約2万台の販売実績があります。2022年4月からは電気自動車の普及や日本のEV化を推進するためのEV充電インフラサービス事業「テラチャージ」にも力を入れています。
2016年には2社目となるテラドローン株式会社を設立しました。海外でドローンの社会インフラ化が始まったことに着目し、ソリューションプロバイダーとして測量や点検、航空管制システムの開発などを手掛けています。海外では欧州や東南アジアを中心に事業を展開しており、2021年には世界的なドローン市場調査機関のDrone Industry Insightsによる「ドローンサービス企業 世界ランキング2021」で、産業用ドローンサービス企業として世界2位に選ばれました。
また、2021年には建築業界のDXを推進する、テラDXソリューションズ株式会社を設立。現場を効率化するための施工管理ソフトなどの提案を行っています。建築業界は自動車産業の次に大きな産業であるのに、デジタル化が一番遅れている業界。そこに大きなチャンスを見出し、事業を進めているところです。
――なぜベンチャー企業を立ち上げようと思われたのでしょうか。
挑戦することが好きな性格なので、自分にはベンチャーが向いていると思ったからです。修業の場としてシリコンバレーを選んだのも、世界を変えるようなイノベーションを起こし、グローバル企業へ成長したメガベンチャーがシリコンバレーには多かったからというのが理由にあります。
日本独特の保守的なマインドを変えるきっかけを作り、世界でのプレゼンスを高めたいという思いもありました。バブル期以降の日本ではリスクを避ける風潮が浸透してしまい、イノベーションを起こせない企業が増えていきました。その結果、世界における日本企業の存在価値が低下しつつあります。そのことを肌で感じ、現状を改善したいという思いが、「シリコンバレーでノウハウを学び、日本で世界に影響を与えるようなメガベンチャーを作る」という目標の原点になっています。
もちろん一筋縄でいくとは思っていません。ずっと積み上げてきたものをリセットしたからこそ、一番難しいと思えることや新しい道にチャレンジしようと心に決めたのです。
――EV事業はテラモーターズの主軸となっていますが、着目された理由を教えてください。
フィルムカメラがデジタルカメラに変わったように、テクノロジーが移行する際の産業構造の変化というところには、必ず事業機会が生まれます。次に来る潮流を模索し、行きついたのが「もし100年続いたガソリンエンジンが電気モーターに変わったら、世の中の仕組みは大きく変動する」という発想でした。
テラモーターズを創業した2010年当時の日本では、まだEVという言葉すら知られていませんでした。だからこそ、「今なら日本のベンチャー企業が、ガソリンエンジンの大手に取って代わる存在になることができるのではないか?」というチャンスを見出し、二輪・三輪EVの事業を始めるに至ったという次第です。
――一歩先を見据えた事業展開をされていますが、前例のない事業への挑戦には苦労もあったのではないでしょうか。
慎重に考えながら経営することは大事です。しかし、新しい事業は実際にやってみないと、どのような結果になるかわかりません。何よりリスクを避け、挑戦することから逃げてばかりでは、さらなる高みを目指すことはできないと思うんです。
とはいえ、周りから反対されることは多いですね。特にテラチャージ事業はテラモーターズの上場準備に入っていた時期に始めたので、経営陣からも株主からも「今はリスクを取る時期じゃない」「EVでうまくいっているのだから上場を優先させるべきだ」と相当なお叱りを受けました。
しかし、メーカーとしてEV機器を作ることと、そのプラットフォームとなるインフラを整えることは、ビジネスモデルも社会への役割も全然違います。テラチャージを軌道に乗せることは会社の価値を上げるだけでなく、日本のEV化を推進し、電気自動車が普及しやすい環境づくりの後押しにもなる。すなわち、よりよい社会を実現するための貢献につながるわけです。
すぐに利益が出なくても、いずれ誰かがやらなければいけない事業だという確信もありました。だから周囲の反対を押し切って、事業展開に踏み切ることにしたんです。結果としては非常にうまくいきました。日本、インド、東南アジアなど、現状の僕たちが進出している地域では、EVの充電インフラ事業でトップになれるだろうという未来が見えています。
インドでシェアNo.1の三輪EV車「EVリキシャ」。同国のEV主要メーカーとしてのプレゼンスを活かしてインド政府と連携し、国とユーザーにとってよりよいEV産業のルール作りにも貢献している
現在の日本の経営者には
「信念」と「覚悟」が問われている
――周囲から反対されても信念を貫く秘訣や、意思決定を下す際、決め手とされていることはありますか。
いろいろな経営者の本から受けた影響は大きいと思います。特に印象に残っているのは、多くの経営者が言っていた「役員会で10人中8~9人が賛成する案は、時すでに遅く、失敗する。10人中1~2人しか賛成を得られない案のほうがすごいことになる可能性がある」という言葉です。僕自身の経験を振り返っても、本当にその通りだなと実感しています。
松下幸之助やあらゆる成功者たちも同じことを言っているのですが、意思決定の決め手は、最後はやっぱり勘なんです。具体的にはこれまでの成功体験や失敗、挫折に基づく総合的な判断によるものだと思っています。
あとは、「信念」と「覚悟」を持って意思決定することです。これが経営者の一番大事な仕事だと、僕は考えます。リスクを恐れて思い切った決断ができないのは、経営者としての信念と覚悟が足りないから。だから周囲の反対を押し切れないし、大事な場面で守りに入ってしまう。メディアの批判や意見に振り回されやすいのも、確固とした信念がないからではないでしょうか。
昔の経営者の多くは社会や会社のことを真剣に考えた、パブリックな意思決定ができていました。「自分が社会を良くしていこう」という気概や責任感があったわけです。しかし現在は短期的な思考で、将来のことを考えていないリーダーも多いように思います。
世界中で仕事をしていると、日本人はやはり真面目で優秀だなと実感する機会が多いんです。ですが、日本は制度の仕組みややり方に問題があることも多く、ほかの国に負けてどんどん貧乏になってしまっている。人を育てるよりリスクを避けることを優先する風潮も考えものですよね。若手の感性や能力を生かしてあげられないのは、非常にもったいないことだと思うんです。
もちろん「このままではマズイ」と危機感を抱いている人は多いでしょう。けれど、世間的なしがらみや面倒なことがたくさんあるから、「自分が状況を変えていく」という覚悟がなかなか決められない。このような現状を改善するための一石を投じていくことも、経営者としての責務であると僕は考えています。
事業展開を通じ、よりよい社会の実現に貢献していくことも同社の大きな行動指針。EV先進国であるインドを本拠地とし、深刻な環境被害や貧困といったさまざまな社会課題の解決をめざす
失敗や挫折を経験させることが
優秀な若手を育てる近道に
――未来を担う若手を育てるために大事にされていることを教えてください。
僕は会社を松下村塾(しょうかそんじゅく:江戸時代末期に長州萩城下の松本村〈現・山口県萩市〉に存在した私塾。幕末〜明治期の日本を主導した人材を多く輩出したことで知られる)のような場所だと思っているんです。仕事のやり方だけでなく、先人である名経営者たちの教えを次世代に身をもって教える場、いわゆる「テラ道場」ですね。住友銀行の元頭取である磯田一郎の「“向こう傷”を恐れるな!——人を育てるためには、修羅場をつくれ!」という言葉のように、会社を支える若い人材を育てるには、失敗や挫折といった修羅場を経験させる必要があると考えています。だから、やる気のある社員には海外の新規事業もどんどん任せるようにしています。
僕自身がそうであったように、大きな失敗や挫折を経て成長する社員は多いです。一度でも挫折を乗り越えることができれば強くなれるし、本物を見極める感覚と覚悟も身についていきます。また、大きな仕事を任せたり失敗をフォローしたりすることで上司との絆や愛社精神が強まるためか、その後の会社に大きく貢献してくれる人も多いと感じています。
仕事を任せる際に大事にしているのは、失敗と成功をバランスよく体験させること。ウィークポイントはサポートし、マンツーマンで指導もします。3回の失敗に対して、1回成功するくらいがちょうどいいと思っています。慎重さを磨きながら自信をつけられるため、いい意思決定ができるようになるんです。
失敗しても責任を問うことはありません。いちいち責めても人は育ちませんからね。もとより新規事業はやってみないとわからず、誰がやってもうまくいかないケースが本当に多いものですから、どんな場合でも最悪のケースを想定し、失敗するとどのくらいの損失が出るかを把握したうえで、チャレンジさせています。
大きなリスクを取り、前のめりでガンガンに攻めるというのが我々の社風ですが、その分しっかりとリスクヘッジをするようにしています。僕はこれを「バッファー経営」と呼んでいるのですが、あらかじめリスクを想定し、バッファーを持たせたうえで決断することにしています。これまで3回ほど倒産の危機がありましたが、乗り越えてこられたのはバッファー経営をしていたからです。もし失敗しても会社がつぶれなければ何とかなりますからね。
2019年からテラモーターズでは取締役会長のポジションに。現在は徳重氏の起業家精神を受け継ぐ若き取締役たちとともに、新しい価値の創造に挑み続けている
――ご自身にとって、「成長」とはどのようなことでしょうか。
常に上の視座を持ち続けることです。たとえ雲の上のような話でも、高い目標を持ち続けることは成長に不可欠だと思っています。僕が、起業当初は遠い夢だったメガベンチャー構想に少しずつ近づいてこられたように、達成に向けて成長し続ければ、実現の可能性は見えてきます。上を目指そうとする気持ちがあれば、成長には年齢も関係ないんです。
ちなみに僕が人生で一番成長したと感じているのは、事業の失敗や社運をかけたプロジェクトの頓挫、社員の離脱、家族の病気など、打ちのめされるほどの挫折と困難が続いた46~47歳のときです。社員にこの話をすると、「40代からも成長できるんですね!」と希望を持ってもらえますが、当時は本当に大変でした。
絶体絶命の状況だからこそ、「落ち込むより行動するしかない」という感じでしたね。これは僕が困難と向き合う中で実感してきたことなのですが、がむしゃらに頑張っていくと失敗や挫折を上回るような良いことが起きるんです。ずっと2億円で伸び悩んでいた売り上げが一気に10億円まで上昇したり、当初の予定を大きく上回る融資を得ることができたり。結果的に会社のレベルを大きく上げることができました。
――最後に今後の展望と経営者の方々に向けてメッセージをお願いします。
テラグループが「成功」の定義として考えているのは、日本をもっといい社会にすること。そのためにはテラモーターズ、テラドローン、テラDXソリューションズの3社全てをユニコーン企業にするのが、経営者である自分に課している最低限の目標です。僕の尊敬する野球選手の野茂英雄氏が「日本人選手が大リーグで活躍する」という道を切り開いたように、世界にインパクトを与える事業を実現し、「日本のベンチャーでもこんなにすごいことができるんだ」「思いきりやれば結果はついてくる」という姿を見せることで、若い世代の視座を上げるきっかけにつなげていきたい。そして、ゆくゆくはテラグループで成長したメンバーが、もっとすごいことを実現してくれたら最高に嬉しく思います。
経営者の皆さんにお伝えしたいのは、「とにかくやってみようよ」ということです。一歩踏み出してみれば、見えることはたくさんあります。そもそもイノベーションを起こすということは、理屈では無理なことをやりきること。結果がどうなるかは、もちろん誰にもわかりません。でも、成功するまでやり切れば失敗はないですよね。だからもっと前のめりにやればいいんです。
倒産しないようにバッファーを持たせつつ、「多少の失敗はいいから、みんなで前を向いて頑張ろうよ」という空気感を作り出す企業が増えていけば、社会が元気になって経済も伸びていくはずだと思います。
■プロフィール
徳重 徹(とくしげ・とおる)
テラモーターズ株式会社 取締役会長/テラドローン株式会社 代表取締役社長/テラDXソリューションズ株式会社 代表取締役社長
1970年生まれ、山口県出身、九州大学工学部卒。住友海上火災保険株式会社(当時)にて商品企画・経営企画に従事。退社後、米Thunderbird経営大学院にてMBAを取得し、シリコンバレーにてコア技術ベンチャーの投資・ハンズオン支援を行う。2010年にEV事業を展開するテラモーターズを起業、アジアを中心に年間3万台のEVを販売する事業に育て上げる。その後、2016年にはドローン事業を展開するテラドローンを設立し、世界で勝てる事業の創出へ挑んでいる。著書に『「メイド・バイ・ジャパン」逆襲の戦略』(PHP研究所)千葉大学大学院融合科学研究科非常勤講師。
■スタッフクレジット
取材・文:松島佑実 編集:後藤文江(日経BPコンサルティング)