「want to」がなくならない限り、
どんなにへこんでも、希望をもって前を向いていける
――これまで多くのスタートアップを立ち上げてこられ、直近ではAGRISTを創業し、農業課題に取り組まれています。経営者として大事にされている信条について教えてください。
僕が大事にしているのは、「have to(しなければならない)」ではなく「want to(したい)」で生きることです。しなければならない、という義務感ではなく、本当に自分がしたいこと、わくわくすることを行動の源泉にするよう、意識しています。やっぱり、経営者がわくわくしている会社は伸びると思うんですね。
僕も「have to」で必死に仕事をしている時期がありました。でも、自己犠牲の経営は長く続きません。特に今の時代は、内面から湧き出る「want to」を大事にし、経営者自身がわくわく、いきいきとウェルビーイングに生きることが大事だと思っています。
――うまくいかないこと、心が折れることもあると思います。どのように乗り切ってこられましたか?
どうやって乗り切るか、それは今でも課題です。3日に1回くらい心がポキポキ折れているので(笑)。僕もそうなのですが、経営者の皆さんはそれぞれ熱い思いを持っていると思うんですよね。熱い思いを持っていればいるほど、へこむこともあれば心も折れます。でも、心が折れながらも、夢を追いかけているからこそ、人々が共感して仲間が増えていくのだと思います。
最近は落ち込んだときのリフレッシュ法として、絵を描いたり、朝早く起きてランニングをしながら音楽を聴いたり、認知行動療法のYouTubeも見たりしますね。これまで健康を疎かにしがちだったのですが、心身ともに健康であることはすべてのベースになります。また、海外に行っていろいろな景色や文化に触れるとか、自分をちょっと違う場において眺めてみることも重要だと感じます。いつもと違う人と会ったり、話したりすると、自分をメタ認知できるんですよね。木も見て森も見る、というのを実践するよう意識しています。
――落ち込むことはあっても、心に「want to」があることで前を向き続けることができる、というイメージでしょうか。
そうですね。前に「want」の語源を調べたことがあるのですが、古ノルド語の「vanta」で、「欠けている」という意味だそうです。「欲しい」という意味はのちに生まれたそうですが、欠けているから、求める。ですので、飢餓感や渇望感のようなものに素直に生きていくことが重要なのだろうなと思います。「want to」を大事にしていると、行動力も上がり、周囲もいきいきしてくるので、結果的に会社の雰囲気も明るく前向きになります。会社は経営者を投影するものなので、トップのオーラやパワーが周囲に伝播していくのだと思います。
「want to」を軸に取捨選択をしていくと、決断のスピードと質は間違いなく上がっていきます。反対に、マイクロマネジメントをしすぎて視野が狭くなってしまうと、意思決定のスピードも質も下がってしまいます。
それから、自分自身が苦手なことは、人に任せることにしています(笑)。一人の力というのは、たかが知れていると思うんです。経営者にとって大事な能力は、得意な人に良いパスを出せること。そうすることでさらに、決断のスピードと質を上げることができると感じています。
食はウェルビーイングの根幹
だからこそ、農業課題の解決に挑戦したい
――AGRIST創業の経緯や、掲げているミッションについて教えてください。
前編で宮崎県児湯(こゆ)郡新富町のこゆ財団についてお話ししましたが、僕は地域の農家の皆さんと一緒に、農業を持続可能にするための「儲かる農業勉強会」や研究会などを開催してきました。その中で、農家の方から上がった「農作業ができるロボットが必要だ」という声を受けて立ち上げたのが、AGRISTです。
とはいえ、ロボットを作るお金もなければ、作れる人もいない。各地に講演に行きながら一緒にできる人を探していたところに、北九州工業高等専門学校内の合同会社Next Technologyに参画していた秦裕貴(現・AGRIST代表取締役CTO)と出会い、2019年にAGRISTを設立しました。
資金については、さまざまなVC(ベンチャーキャピタル)に自分たちが描いている夢をプレゼンして回った結果、現在9社から出資を受けています。
メイン事業は、ピーマン収穫ロボットの開発です。ただし、AGRISTはロボット製造会社ではなく、ミッションは、農業の未来をデザインすること。金融や不動産、保険など農業の未来にまつわるさまざまな領域をアップデートしていきたいという大きな夢を掲げています。AGRIST FARMという農業生産法人も作り、当社のエンジニアがピーマンの生産もしています。人がおいしいものを食べて生きることは、ウェルビーイングの根幹だと思うんですね。野菜の生産やロボット開発で得た知見によって、世界の食糧危機などの課題に立ち向かっていきたいと考えています。
――農業の難しさと楽しさはどんなところに感じられますか。
大変なのは「農業とはこんなもの」という思い込みとの闘いですね。実際、僕らがロボットを作ったときも、周囲には「そんなものうまくいくわけがない」と言う人がたくさんいました。そんなことを言っていたら、イノベーションは起こせません。農業従事者の平均年齢が67歳と高齢化が進む中で、農業の課題を解決するためには、その思い込みを捨てる必要があります。
一方で、だからこそ農業には、イノベーションを起こせるポイントがたくさんある。それが農業の楽しさだと思います。僕は街づくりにおいても、農業においても「不易流行」の精神を大事にしています。いろいろな解釈がありますが、古いものを大事にしながら、新しいものを生み出していくことにより、古いものを再定義できる、というのが僕の解釈です。過去を全否定するのではなく、尊重し大事にしながら、新たな価値を再定義することを重要視して、農業ビジネスに携わっています。
――スタートアップにとって、資金調達は大きな課題です。9社に出資を受けられているとのことですが、調達の秘訣があれば教えてください。
AGRISTの強みは課題ドリブンであることです。とにかく、目の前の農家の課題解決を大事にしていること。そしてもう1つが、ミッション・ビジョン・バリューを重要視していること。その上で、テクノロジーによって課題を解決しようとしている。この強みをきちんと伝えられたことが、資金調達につながったと考えています。
プレゼンにおいては、取り繕わないこと、ありのままの自分を伝えることが重要です。投資家の皆さんは多くのスタートアップを見てきているので、どれだけ自分を良く見せようと取り繕っても、一瞬で見抜かれてしまいます。どんなに緻密な事業計画書を書いても、その人自身に魅力がなければ出資してもらうことはできません。
相手の声を聴くことも重要です。一方的に自分たちのビジョンを語っても、相手が必要としている情報でなければ響きません。相手の声にもきちんと耳を傾けることが重要なポイントだと考えています。
リスペクトを忘れず、大きな夢に向かって
仲間と一緒に一歩一歩進んでいきたい
――AGRISTの経営者として、今後の展望をお聞かせください。
農家さんの声から始まったという原点を見失うことなく、農家の皆さんに「こういうものを待っていた」と言っていただけるような、新しい農業のデザインを見せていきたいですね。どんなに大きなビジョンを語っても、目の前で困っている農家さんを助けられなければ意味がないと思っています。
その上で、やはり日本全国の農業をより良くしたいですし、テクノロジーを活用して世界の課題解決といったところにまで昇華していくような、新しい農業の未来をデザインしていきたい。その過程で、僕自身も人間として成長していければいいなと思います。
先日、ドバイやアフリカの農業の視察に行ってきました。今後も、アメリカやオランダに行く予定です。さまざまな場所を訪れ、そこで出会う人たちと新しいイノベーションを生み出していける自分であり続けたいですね。
――経営者の皆さんにメッセージをお願いします。
前編でもお話しましたが、今はDAO(ダオ:分散型自立組織)的に人と人がつながっていけるため、チャンスの多い時代です。チャレンジすることは苦しいし、辛いこともたくさんあります。それでも、行動を起こしチャレンジしなければ何も変わりません。だからこそ、経営者というのはチャレンジを続けています。もしチャレンジの過程で辛いことがあったときは、「have to」ではなく「want to」を増やしていくことを意識してみてください。
僕自身、これまでにいろいろなベンチャー企業を立ち上げて、短距離走を繰り返してきました。でも、40歳になり、改めて経営は長距離マラソンだなと思う部分があるんですよね。走りながら、時には水を飲んだり、街頭で手を振って応援してくれる人に手を振り返したりすることも大事だな、と。短距離走ばかりだと疲れてしまいますから。みんなで楽しく、ゆっくり走ってみると、周りの景色もどんどん変わってくると思います。日本をより良くするために、一緒にチャレンジしていきましょう。
■プロフィール
齋藤潤一(さいとう・じゅんいち)
一般財団法人こゆ地域づくり推進機構 代表理事
AGRIST株式会社 代表取締役
1979年、大阪府生まれ奈良県育ち。米国シリコンバレーのITベンチャー企業でサービス・製品開発の責任者として従事する。帰国後、2011年の東日本大震災を機に「ビジネスで社会的課題を解決する」を使命に活動を開始。全国10カ所以上で地方創生プロジェクトに携わる。
2017年、宮崎県・新富町役場が設立した地域商社「こゆ財団」の代表理事に就任。1粒1000円ライチのブランド開発やふるさと納税で寄付金を累計70億円集める。2018年に総理大臣官邸にて国の地方創生の優良事例に選定される。2019年、農業課題を解決するために収穫ロボットを開発するAGRIST創業、代表取締役社長に就任。2020年にはIVSなど国内外10以上のアワードを受賞。2021年、総務大臣賞受賞、Forbes Asia 100選定などその活動はCNNで世界に紹介される。
■スタッフクレジット
取材・文:尾越まり恵 編集:後藤文江(日経BPコンサルティング)
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