リモートワークの広がりによって、地方移住や二拠点居住は特別な選択肢ではなくなりつつあります。しかし、地方でビジネスを立ち上げるとなると容易ではありません。事業として成り立つか否かという視点だけでなく、その土地ならではの習慣やコミュニケーションの特性など、考慮すべきことがいくつもあるからです。
東京で広告制作の仕事をしていた横須賀馨介氏は、26歳で会社を辞めて熱海に移住しました。移住当初は自身で店を構え、オリジナルのお土産を制作・販売していましたが、徐々に地元企業や熱海のホテル、喫茶店などのお土産をプロデュースする活動へとシフト。「お土産プロデューサー」として、お土産を通じて熱海の街全体を盛り上げています。
横須賀氏がお土産をプロデュースする際には、依頼主となる企業のについて歴史まで徹底的に調べ上げるといいます。今まで気づかれていなかった魅力が見つかることも少なくないのだとか。
「一過性のヒットではなく、100年先も愛されるロングセラーのお土産をつくりたい」と語る横須賀氏に、依頼主となる企業の気持ちを動かすために必要なこと、お土産プロデュースの際に大切にしている思いなどについて伺いました。
横須賀馨介氏
最初は小さく始め、少しずつ信頼を積み上げていく
――ご自身で制作されたオリジナルのお土産を販売するお店の経営から、地元ホテルや企業などの「お土産プロデュース」に軸足を移された経緯を教えてください。
2017年に東京から熱海に移住し、2年が経過した頃だったと思います。熱海で同時期に移住した仲間たちとふと思い立ち、地元の名宿「ホテルニューアカオ」さんに提案をしに行くことになったんです。「僕らにホテルのお土産をつくらせてもらえませんか?」と。もともと自分自身も、一緒にオリジナルのお土産をつくっていたチームのメンバーもホテルニューアカオさんの大ファンでした。昔の古き良き熱海、いわば「熱海の青春時代」を体現しているようなホテルだと感じ、憧れていたんです。そんな想いをかたちにしたいと考え、思い切ってホテルニューアカオさんの門を叩き、社長や支配人に直で提案させていただけることになったのがきっかけです。
――直接提案ができたということは、すでにホテルとの接点をお持ちだったのでしょうか?
いえ、直接の接点はまったくありませんでした。つながりがない場合、東京の場合は正面から電話やメールなどでアポを取って商談に臨むのがセオリーですよね。でも、地方には地方ならではのルートがあります。ホテルニューアカオさんの場合は、仲間が結婚式をホテルニューアカオさんで挙げていたり、地元で僕らが行きつけにしている喫茶店のマスターがホテル関係者の方と友達だったりで、地元の人たち経由で紹介していただくことができました。こうしたフランクさは地方ならではで、とても面白いと感じますね。
――当時はまだ実績がないなかでの提案だったと思いますが、どのようにして先方の気持ちを動かされたのでしょうか?
そこにメソッドのようなものは特になく、僕らはただ熱い想いを伝え続けました。昔のホテルニューアカオさんのパンフレットや資料を持って行って魅力を伝えたり、とにかく「ホテルニューアカオさんが大好きなんです」と。それは、どこのお土産をつくるときでも同じですね。例えば、地元の老舗喫茶店のお土産をつくるときも、まずは常連になって仲良くなるところから始めています。
喫茶店もホテルニューアカオさんも、最初に僕らが恋をしてからお土産をつくらせてもらえるようになるまで2、3年はかかっています。よく、昭和のドラマなどでビジネスマンが何度も工場へ足を運び、100回目でやっとOKをもらえるみたいなシーンがあるじゃないですか。ああいう感じに近くて、とにかくどれだけこちらに愛があるかを伝え続ける。それしかないと思います。
――とはいえ、先方もビジネスとしての勝算がなければ同意を得づらいのではないでしょうか?
先方の心理的ハードルを下げることは意識していました。具体的に言うと、相手にリスクを感じさせないこと。従来の土産業者であれば、「買い取りで最低100ロットから」といった提案をするのが普通です。しかし僕らは「まずは最小ロットでいいです」と小さく始め、利益配分なども含めて相手が損をしないように設定していきました。
また、ただお土産をつくって売るというだけでなく、そのお土産が広告効果を生んだり、お店のブランドや想いをあたたかくお客さまに届けることであったり、熱海のカルチャーを作るということも含めて、これまでにない付加価値を伝えるような提案をしていました。それも含めて、先方に普通のお土産業者と少し違った印象を持っていただけたのだと思います。
創業時からあるロゴマークを生かしたホテルニューアカオのTシャツ。これを買った人が着て街を歩くことで、ホテルの広告効果にもつながる 【画像提供:横須賀馨介氏】
僕らのように外の地域からきた人間は、相手のリスクを最小限にしたうえで、大好きだという想いを伝えながら、少しずつ成果を積み上げて認めてもらうしかないと思っていました。少しずつでも実績が積み上がっていけば、そのうちに先方からご相談をいただいたりして次のアクションにつながるだろうと。
ただ、実績をつくりたいからといって、手当たり次第に営業をかけまくるのは得策ではないと思います。そこは「何でもかんでもやります」ではなくて、あくまで自分たちが好きなお店の方や企業などにアプローチして、その好きな想いを仕事にぶつける。それを繰り返していくと、不思議とまた別の好きな企業から声がかかるといった、いい循環が生まれていきます。
例えば、伊豆箱根鉄道さんからお声がけいただいたのも、新聞などで僕らが手掛けたお土産を目にして、ぜひ一緒に何かやりたいという話でした。当然、先方は最初から僕らの特徴を理解してくれているので、スムーズに楽しく仕事をすることができました。
伊豆箱根鉄道やその関連施設の、さまざまなお土産を手掛けている(左から「伊豆箱根鉄道イラストパスケース」、「箱根芦ノ湖遊覧船トートバッグ」)【画像提供:横須賀馨介氏】
掘り起こすのは「根源的な魅力」、企業アイデンティティー
――企業のお土産をプロデュースする際に、大事にしていることを教えていただけますか?
最も大事にしているのは、相手のお店やホテル、企業が持つアイデンティティーです。その企業の最も核になる部分は、そのまま一番の魅力ポイントだと思っているからです。そのうえで、それをどうデザインに落とし込むか、あるいはどんなプロダクトにするかを徹底的に考える。最初はTシャツなど、お客さんが手に取りやすいものから入り、徐々にコアなものにまで広げていきます。企業アイデンティティーとトレンド、手軽さみたいなところのバランスを考え、うまくお土産に落とし込むことを考えているんです。
――企業のアイデンティティーをどのようなアプローチでデザインへ落とし込むのでしょうか?
例えば、その企業が長年使っているロゴマークなどもそう。とても大きな財産で、地元で長年親しまれてきたお馴染みのデザインを使えるのは老舗ならではの強みです。ただ、トップが代替わりしていたりすると、そのマークが客観的に見てどれだけ素敵でかっこいいかということに、企業自身がピンときていないこともあるんです。ですから、まずはそれに気づいてもらうことも必要ですね。
お店のロゴや名物をあしらったTシャツ(左から「サンバードTシャツ」、「レストランフルヤ オムライスTシャツ」、「伊豆・三津シーパラダイスTシャツ」【画像提供:横須賀馨介氏】
あとは、やはり企業の歴史です。僕らがお土産をつくる際には、相手企業の歴史を調べあげます。昔の文献や資料を紐解いて、創業期から徹底的に。その成果を先方に見ていただき、あらためて自身のアイデンティティーを感じてもらうようにしています。ときには一緒に地元の資料館を訪ね、過去の文献を見たりもしますね。相手に「うちの会社、こんなに華やかな時代があったんだ」「昔はこんなにお客さんが来ていたんだ」と、その企業が最も輝いていた時代を実感してもらい、その共有イメージをベースにお土産をつくっていくというアプローチが多いです。
企業と組んでお土産をつくるのは、音楽のセッションに似ていると思うんです。やりたいことや価値観を共有し、相手の想いも引き出しながらグルーヴをつくっていく。そのうえで、先方の想いを最大限、かたちにしてあげることが大事だと考えています。
また、同時にそれを手に取るお客さまが「お土産として本当にほしいもの」であることも重要です。観光地を訪れた方や、お店や企業の施設を利用するファンの方の「こんなお土産があったらいいな」という想いを大切にし、実現したいと考えています。
――最後に、これからについて教えてください。
ずっと想い続けているのは、一過性のヒットではなく、次の50年、100年とずっと残り続けるロングセラーをつくりたいということです。鎌倉や京都を思い浮かべてもらえるとわかりやすいですが、100年以上続いているものって「伝統」として大切にされるんです。例えば京都の小径がいくら狭いといっても、舗装や拡張することを望む人はいません。それは、古来の歴史的風景の価値を認め、重んじているから。
一方で、熱海のように50年、60年前のレトロなものは、なかなか「伝統」として認識されづらく、放っておくとすぐに新しく刷新されてしまう気がします。僕としては、どの時代・年代にも素晴らしい価値がきちんとあると考えていて、それがなくなっていってしまうのはあまりにも寂しい。「日本が最も華やかだった時代」につくられたものの雰囲気をうまく受け継ぎながら、次の50年100年に残していきたい。そんな想いで、お土産のプロデュースや、さまざまな活動をこれからも頑張っていきたいです。
■プロフィール
横須賀馨介
埼玉県行田市生まれ。明治学院大学法学部法律学科卒業。2014年に広告制作会社入社。主に、車、化粧品、大手チェーンの飲食ブランド、国内サービス、ゲーム、映画などのブランドにおけるデジタルプロモーションを担当。独立後、フリーランスとなり、東京や関西にて編集や雑誌、イベント等のコンテンツ制作の仕事をしたのち、熱海に移住。2017年、土産物店「論LONESOME寒」を経営。2020年、ハツヒ株式会社を設立。2021年からK-mixにて『OMIYAGE-RADIO ※外部リンクに移行します』番組パーソナリティを務める。また、同年8月から熱海の土産店&観光案内所「新熱海土産物店ニューアタミ」を運営。
「新熱海土産物店ニューアタミ」SOUVENIR ONLINE STORE ※外部リンクに移行します
横須賀氏が手掛ける熱海の街と歴史を作ってきた老舗の数々をフィーチャーしたお土産をプロデュースするブランド「LEGECLA(LEGEND CLASSICS)」※外部リンクに移行します
■スタッフクレジット
取材・文:榎並紀行(やじろべえ) 編集:服部桃子(CINRA)
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26歳で東京から熱海へ。お土産だけでなく、街を盛り上げるお土産プロデューサー