メンタルヘルスの問題を打ち明けられない創業者
2023年3月、イスラエルのコンサルティング企業Y.ベンジャミン・ストラテジック・マーケティング社は、創業者が抱えるストレスとその影響についてまとめた報告書「スタートアップ・スナップショット第7版」 (外部サイトに移動します)を発表した。404名のスタートアップ創業者への調査をもとに、語られることのない彼らの苦悩をデータ化している。
同レポートは、主要なポイントを次のようにまとめる。
・44%の創業者が「強いストレス」を感じ、36%が燃え尽きの状態にある
・54%の創業者が自社の未来に強い不安を感じている
・81%の創業者が自身のストレスや不安についてあまり周囲に打ち明けられていない
・投資家に「自分が抱えているストレスについて話す」と回答した創業者はわずか10%
また、創業者が専門家に助けを仰ぐケースも少ない。カウンセリングやコーチングを受けている人は2割にすぎなかった。
報告書のサマリーにはこう書かれている。
「イノベーションの精神を持つ創業者たちだが、ストレスケアという点においては過去に囚われている」
企業と自分を「同一視」してしまう
米誌「インク」はこの報告書に着目し、創業者の燃え尽きリスクの原因と対策を紹介する記事を2023年10月に掲載 (外部サイトに移動します)している。
市場に合わせた適切なサービス開発から資金調達まで、創業者は激務のストレスに晒される。だが、彼らの精神状態を理解するための取り組みはほとんどされてこなかった。同記事はこう指摘する。
「燃え尽き症候群の原因はストレスそのものではなく、ストレスから回復する機会がないことにある」
記事のなかで、創業者やアスリートのストレスに詳しい心理学者アレックス・アウアーバックは、「回復を伴うのであれば、ストレス自体は成長をもたらすが、回復しないままストレスを受け続けると、燃え尽き症候群につながってしまう」と述べる。
だが、投資家の期待を背負い、市場では常に闘争状態にある創業者たちにとって、回復の機会を見つけるのは容易ではない。革新的な事業案であっても創業期には懐疑的な目でみられ、起業家は自分自身を証明しなければいけない状態に置かれる。
同記事に登場する精神科医のマイケル・フリーマンは、起業家のストレスについていち早く警告した一人だ。創業者はそうでない人に比べ、自殺願望や双極性障害、ADHDを抱えるリスクが高いと彼は指摘 (外部サイトに移動します)してきた。
起業をしてビジネスを成長させることは『あなたが何をするか』ということであって『あなたが誰であるか』ではない。だが、フリーマンは多くの起業家がこの二つを混同していると言う。
仕事以外で趣味を見つけたり、起業家以外の人たちと交流したりすることで、事業の成功や失敗にかかわらず、自分は支えられていると気がつくことが大切なのだ。
事業拡大につれて悩みも変わる
創業期を経て、事業が拡大するフェーズにおいても精神的なコストは大きくかさむ──英メディア「シフテッド」は、2023年6月掲載の記事 (外部サイトに移動します)にて、英国のヘルステック企業パッチワーク・ヘルスの共同設立者であるジン・ウーヤンがシリーズB以降に抱えた悩みについて紹介している。
このなかでウーヤンは「チームの進化を受け入れることも大切だ」と述べる。
「スタートアップ企業は通常、固い結束で結ばれた少人数で同じミッションを共有しています。しかし、規模が大きくなってくると同じ構造を維持するのは不可能です」
たとえば、ウーヤンは社内のパフォーマンス管理のため、KPIなどの指標を用いてかつての仲間たちと、これまでとは違うやり方で接しなければならなくなったと話している。また、新たなキャリアを模索する仲間が会社を離れていくこともあると言う。
「時が経つにつれて、私はそうした変化を成長のプロセスで自然に起こりうるものだとして受け入れることを学びました」
創業者は、会社の変化に合わせて役割が変わっていくことに戸惑いを感じるときがある。だがウーヤンは、社内の仲間たちや外部のネットワークを使ってほかの創業者と交流することで、自分は一人ではないと実感できたと語っている。
「長時間労働」をスタートアップの通過儀礼にしない
欧州でもっとも急成長したスペインのユニコーン企業として知られる旅行エージェントのトラベルパーク共同創業者ハビエル・スアレスは、自身が燃え尽きたと自覚した時のことをこう振り返る。
「気晴らしに立ち寄ったバーで、ビール一杯を注文する気力すら湧きませんでした」
宿泊予約サイトを運営するブッキング・ドット・コムを退職したあと、トラベルパークを創業し、そこでメンタルヘルスの問題に悩んだ彼は、休養期間を経て、2020年に企業のメンタルヘルスを支援する「オリバ」を設立している。
2023年4月、スペインメディア「EUスタートアップ」で掲載されたスアレスのインタビュー記事 (外部サイトに移動します)では、彼は最初の第一子を授かったときに12時間しか育児休暇を取れなかったと明かしている。
「ブッキング・ドット・コムでハードな仕事には慣れていましたが、自分の会社を創業したときにはプレッシャーから少しの間でも解放される時間がなかったのです」
何百人ものチームを率いて、何億円もの資金を調達し、ハビエルはスタートアップ創業者にとっては夢のような世界を生きているように思えた。
「もちろん努力なくして価値あるものは築けなかったでしょう。しかし、社会はこのようなハードワークを美徳化する危険性があり、その点には留意しなければなりません。長時間労働によって仕事と私生活の境界線がなくなることは、スタートアップ成功のための儀式ではなく、燃え尽き症候群を引き起こす要因として認知されるべきです」
スアレスは、燃え尽き症候群はスタートアップの世界では非常に起こりやすい問題であるとしたうえで、まずは自分自身と社内メンバーが燃え尽き症候群について理解することが第一歩だと語っている。
定期的に自分自身のメンタルヘルスを見直し、自分の気持ちに正直になることが大切であり、常にストレスを感じているようであれば、「そのうち状態が良くなるだろうと願わないことです」と彼は付け加える。
動きはじめた投資家たち
2023年3月に起きた米シリコンバレー銀行(SVB)の破綻を機に、米国ではスタートアップのストレス対策を講じる動きが生まれている。同銀行から融資を受けていた多くのスタートアップ企業の創業者たちは存続のために奔走することになり、彼らの健康問題がさらに深刻化したためだ。
創業者のメンタルヘルスをサポートする米スタートアップのパイオニア・マインドも、同じくSVBから出資を受けていた。2023年3月に掲載された米誌「フォーチュン」の記事 (外部サイトに移動します)によれば、同社の創業者兼CEOのナビード・ララニは、このときに自社のミッションを遂行する必要性を実感したという。
ララニはSVBキャピタルの元創設者であるアーロン・ガーシェンバーグの協力を得て、投資家とスタートアップ創業者たちがメンタルヘルス・ケアの推進を宣誓するウェブページ「ファウンダー・メンタルヘルス・プリッジ」 (外部サイトに移動します)を公開した。このページにはすでに653名もの投資家や創業者が署名し、メンタルヘルスをビジネスの優先事項として取り組むことを表明している(2023年11月現在)。署名者が投資する企業の累計は約2万6000社にものぼる。
より良い社会のために奮闘するスタートアップたちだからこそ、その可能性を最大限に発揮するためには創業者が自らを気遣う必要がある。投資家たちはそうした風土を醸成しなければならない。
パイオニア・マインドの調査によれば、1対1のカウンセリングやグループでのコーチングを受けた創業者たちの約9割はストレスや孤独感が減り、ビジネスの生産性が向上したと回答している。
ララニは創業者たちの回復を促すための取り組みは「事業費」とみなされるべきだと言う。
「私たちはスタートアップに楽をさせているわけではありません。彼らをさらに強化しているのです」
■スタッフクレジット
文・編集:クーリエ・ジャポン(講談社) 写真:Getty Images