伝統工芸の継承=美についての「思考」を追求し紡いでいくこと
――江戸時代後期1838年創業の清課堂を七代目として継承されていますが、継承される想定でご準備をされていたのでしょうか?
いえ、そうではないんです。幼い頃は、「自分もこの仕事をやるのかなあ」と漠然と感じてはいたのですが、中学生、高校生と年齢が上がるにつれて、論理的な思考やコンピューターを使うような仕事のほうが向いているのではないかと思うようになりました。そこで、大学もITに関連する学問を選びましたが、お恥ずかしながら1年でドロップアウトしてしまったんです。
その後、京都の木屋町にあるバーでアルバイトをしていたときに父である六代目源兵衛が大腸のポリープで入院してしまい店を休まざるを得なくなりました。それまで定休日以外は休んだことがなかったので、店を手伝っていた母も慌てふためきましてね。さらに親戚からも私が清課堂に入るようプレッシャーをかけてくる(笑)。最終的には、「えいや!」といった気持ちになり清課堂で働くようになりました。それが、いまからおよそ30年前、私が22、23歳のころですね。
――突然、家業の継承が現実的な出来事となったんですね。当時の清課堂はどのような状態だったのでしょうか?
とにかくマイナスからのスタートでした。たとえば、当時お金の管理に使っていたのがレジや金庫ではなく、洋菓子の缶(笑)。売り上げた現金を缶のなかに入れて、それを週1回集計するような状況でしたね。そういった環境の面で、大きな企業と比べたらもちろん、ほかの老舗と呼ばれるお店、企業と比べても、決して「ゼロ」ではなくマイナスからのスタートだったと思います。
また、私が清課堂に入る10年ほど前に、お店が火事に遭ってしまうということもありました。そこから父が再興したわけなんですが、つくるための道具や図面などは火災で失われ、また火災からの立て直しで借金もしていたので、その点でもマイナスから始めたような状態でした。
道具や図面が失われたからといって、かつて清課堂で働き独立していったほかの錫師から話を聞こうにも、皆さん、80歳や90歳といったご高齢で教えを請うのも難しい。そこで私は、京都に工房を開いている金属工芸の2人の師匠について、錫師としての基礎を学びました。
一般に伝統工芸の継承というと、技術や技法が代々伝えられていくことをイメージする方もいるかもしれません。それもたしかに大切です。ですが、私は「何をもって美とするか」を、師匠からの継承を通して自らも探求していくことがとても重要だと気づきました。作品に対する審美眼を養い、「美」についてじっくりと考えていくことで継承できていくのです。私は錫師として2人の師匠からはもちろん、父からも影響を受けています。
――ご自身が継承する立場になられたわけですが、すでに次の時代につないでいくことも何か考えていらっしゃるのでしょうか?
私には3人の娘がおりますが、いまのところ全員が「お父さんの仕事をやってみたい」と言っています。しかし、実際に継がせるかどうかは別です。錫師を、清課堂の店主を継承するならば、知識、技術、思考、あらゆる素養を備えていなければなりません。なので、清課堂にふさわしい人が見つかれば、私は親族以外にお願いするという可能性も考えています。
そう思うようになったきっかけが、京都市と姉妹都市であるイタリア・フィレンツェの老舗企業の人々との交流です。どちらの街にも老舗や伝統的な企業が数多くあり、4年ほど前にフィレンツェにあるいくつかの老舗企業の人とお話する機会がありました。フィレンツェでは、M&Aやヘッドハンティングなどの手段を用いつつ、血縁関係にとらわれずに地域コミュニティーのなかで事業継承や技法の継承がされているそうです。血縁関係で継承させることの多い日本とはかなり違う方法を知り、そこから学びを得ました。
七代目山中源兵衛氏
すべての軸は、金属工芸のさらなる可能性を多角的に追求し続けること
――七代目として清課堂を受け継がれたのはいつになるのでしょうか?
父に代わって私が清課堂の店主になったのは、店に入って15年たった、2007年のことです。目の前にある課題を乗り越えていく日々が続いていた一方で、先代とは大きくやり方を変えた部分もありました。その代表例が、BtoBからBtoCへの転換です。
以前の清課堂の客先は、小売店や百貨店がほとんどでした。実は店主になる前から違和感がありました。小売店や百貨店が相手だと、どうしてもパワーバランスが対等ではなく、私たちのほうが弱い立場になりがちです。また、小売店、百貨店が販売チャネルとなると製造原価や製造にかかる人件費のほかに小売店側のマージンなどの諸経費も価格に含まれます。そこで、店頭販売に変えることで、価格の構造がシンプルになり利益も確保できるようになると考えたのです。
そうした考えから、従来のBtoBでの取引から店頭販売で対お客さま(エンドユーザー)を相手に取引するかたち、BtoCに転換しています。結果的に、以前よりも清課堂が広く知られるようにもなりました。
――継承される少し前でしょうか。早い時期からオンラインストアも運用されていますね。
ええ、オンラインストアをはじめたのは2002年のことでした。最初は「ほんの少しでも収益が上がれば」との気持ちからはじめたのですが、いまとなってはほかの伝統工芸品をつくる方々に先んじてオンラインストアを開いて、良かったと思っています。というのは、早い時期からオンライン販売していたために、検索エンジンで「錫」などと検索すると私たちのサイトが1ページ目にヒットするんです。単に早いうちから始めていたからこうなっているのではなく、たとえば作品を用途でカテゴライズする、作品名はわかりやすいものにするなど、サイト設計に注力した結果だと考えています。この点は、オンライン販売を始めてから20年間で、勉強させてもらったことですね。
オンラインストアをはじめた20年前と比べると、錫を使ったグラスや酒器が世の中にも浸透するようになり、そこで錫製品が欲しいと思ったお客さまの目に清課堂が触れることはとてもありがたいです。多言語対応もしているので、海外のお客さまからもご注文をいただいています。
また、オンラインストアと同時期にはじめた取り組みとして、さまざまな金属工芸を紹介する展覧会事業があります。展覧会を開く最も大きな目的は、日本にも世界にも素敵な金属工芸の作品と作家がいることを広く知っていただくためです。それとともに新たな才能を発見するという目的もあり、展覧会のなかで年齢、作家としての実績・経験、国籍といった応募条件を問わない公募展を行なっており、ささやかな金額ではありますが私が賞金を出しています。ここで卓越した技能と感性を持つ方が見つかれば、パートナー、職方(しょっかた。特定の技能を有する人)として清課堂とともに作品づくりをしていただけないか、お声をかけています。
――オンラインストアの運用や展示会を開催する際、意識されていることはありますか?
協業する人といかに意思疎通していくべきかに、いつも心を砕いています。たとえばオンラインストアでいえば、単に作品を並べれば良いわけではありません。作品をより正しく見せるためには良いフォトグラファーの力を借りなければなりませんし、きちんと魅力が伝わる文章をコピーライターなどに書いてもらわなければなりません。そのうえで、サイト全体の統一感も必要です。
つまり、私一人だけでは物事を進められないわけですし、協力してくれる人々が共通認識を持って進めていかなければならないということです。オンラインストアに限らず、清課堂の実店舗のなかや展覧会など、あらゆる場面で協業をいかに進めていくかを考え続けることが大切だと考えています。
「用と美」「ハイエンドとカジュアル」のバランス
――作品づくりについても教えてください。日頃から心がけられていることは何でしょう?
「用と美」という言葉があります。「用」は使いやすさや作品によって人間生活が向上する、便利になるなどのこと、「美」は美しい作品と思えるかということです。伝統工芸品は、この用と美のバランスの上に成り立っているものであり、用と美のない作品を大量につくったり、安価につくって高く売ったりはしてはいけないと考えています。安価に作品をつくり続ければただ消費されるだけのものになってしまい、人に愛される作品とはならないでしょう。「用」の実用性を大切にしつつ、「美」も追求しています。
また、美術性の高い工芸品「上手物(じょうてもの)」と生活工芸品「下手物(げてもの)」、どちらも大切にすることも必要になります。ハイエンドな作品とカジュアルな作品とも言い換えられるかもしれません。清課堂では、このハイエンドとカジュアル、両方をつくり販売しています。たとえば、300万円近くする銀製のやかんがあれば数百円のお香立てもあり、どちらも同じ店頭で売られています。もともと、町人などの庶民は下手物を利用していたわけですが、江戸時代にそうした町人が裕福になることで上手物から下手物までさまざまな工芸品、道具を使うようになりました。そこで、つくられる作品の幅も広くなったという歴史的背景があるため、上手物と下手物のどちらかに偏ってしまえば本来の日本の工芸にある多様性が失われてしまいます。さらに、工芸品をつくり続けるためにはファンの存在も不可欠です。ファンの皆さまに愛していただくことで、作品の価値が生まれ、作家も「ものづくり」を続けられます。もし、ハイエンドとカジュアルのどちらかに偏ってしまうと私たちのファンが減ってしまい、小さなコミュニティーのなかだけの商売となってしまう可能性があります。やはり、ここでもバランスが大切ですね。
清課堂の「ハイエンド商品」の一つである「純銀湯沸 唐獅子牡丹」。価格は270万6,000円
――清課堂のファンを増やしていくために特に意識されていることはありますか?
とにかくお客さまとのコミュニケーションを大切にしています。来てくださったからには、ファンになって帰っていただきたいですから。例えば海外のお客さまは、美術性の高い工芸品を探しに来店されることが多いのですが、たくさん質問されます。ある作品に桜の模様がデザインされていたら、「なぜここに桜があるのか?」「さまざまな桜があるなかで、なぜこの種類の桜を選んだのか?」など、事細かにデザイン意図を聞かれるんです。それはご自身が納得できるものを購入されたいと思われているからなんです。それに対して言葉を濁した答え、適当な答えをしてしまったら、そっぽを向かれてしまいますよね。ですので、私もきちんと作品の思いや意味を言語化して、お客さまとコミュニケーションを図っています。オンラインストアも同じで、先ほども申し上げたように作品名の名付け方に気を配る、より良い写真を掲載することで作品の正しい姿が伝わるようにするといった、パソコンやスマートフォンの画面上でもお客さまとコミュニケーションをとる意識を持っていますね。こうしたコミュニケーションがあることによって、自分はなぜこの仕事を続けられているのか、なぜ伝統が紡がれてきたのかが再確認できます。
また2020年にはギャラリーにお越しいただけない遠方のお客さまに、展示品だけでなく、展覧会という場や空気感を味わっていただこうという試みでVR展覧会に挑んだり、オンラインで参加できる体験型のワークショップの開催など、これまでとは違った形でお客さまが錫の魅力に触れ、楽しんでいただける機会を増やしたいと思い、オンラインを活用した取り組みにもさらに力を入れています。
オンライン販売20周年を記念して行われた「VR展覧会」
――最後に、清課堂のような老舗企業の経営者の方にアドバイスをいただけますか?
「前例を疑え」とお伝えできればと思います。先代、先人がこう言ってたからとか昔からこのやり方が続けられてきたからとか、そういったことをまず疑ってみる。なぜかというと、一昔前ならば前例通りにやっていても問題なかったかもしれませんが、いまの時代は違います。絶えず物事が変化して予測もつかないことがどんどん起こりますよね。だから、私のように老舗でビジネスをされている方には、まず前例を疑ってみてはと提案したいです。もし疑ったうえで、それでも前例がいまの時代にも対応できるものであれば、それでいいのですから。
■プロフィール
七代目 山中源兵衛
1969年、京都市生まれ。父である六代目源兵衛などに師事した後、1838年より続く「清課堂」七代目源兵衛を継承。展覧会・公募展の開催や海外での巡回展を行うなど、精力的な金属工芸の伝承に取り組む。
清課堂 ※外部リンクに移動します
■スタッフクレジット
取材・文・編集:藤麻迪(株式会社CINRA)