志したのは、天然の資源を生かすビジネス
蜂谷潤氏
――まず簡単な自己紹介からお願いします。どうして「海藻」に注目したのかを教えてください。
蜂谷潤氏(以下、蜂谷) 僕は岡山県出身で、海まで車で30分くらいのところに住んでいました。子どものころは週末になると父と一緒に無人島に行って、父が海釣りをしている間、僕は小さなモリを持って海に潜り、魚突きをして遊んでいました。
大学を選ぶのは消去法に近い形だったかもしれないのですが、「学ぶならやっぱり海だな」と考えていました。高知大学農学部(現・農林海洋科学部)の栽培漁業学科はマニアックな専攻分野で、「栽培漁業」と名のつく学科は日本では高知大にしかないのですが、海の現場に出て潜ったり、魚を養殖したり、放流して資源を増やしたりするのが楽しそうだなと思い飛び込みました。
僕が選んだ研究室は、高知県の室戸岬先端で海洋深層水を使いながら青のりを育成する研究をしていました。陸上のタンクで青のりを育てるのですが、育成後の排水は浄化されて水質がきれいになるので、それを活用してアワビ、トコブシの種苗、稚貝を生産しようというのが僕の研究テーマの一つでした。
室戸岬は元々アワビやトコブシなどが天然で獲れていましたが、当時、水温上昇から資源がなくなってきたという背景もありました。海洋深層水という地域の資源を使って、天然の資源を増やしていくビジネスができたらいいな、という絵を描いていたときに「キャンパスベンチャーグランプリ」というビジネスプランコンテストのチラシを見つけて、それに応募してみようと思ったんです。「海洋深層水を活用したアワビ類および海藻類の複合養殖」というプランを提案したのですが、排水となってしまう海洋深層水を利用することでアワビを育て、その排水で海藻を栽培するというものでした。このビジネスプランで文部科学大臣賞・テクノロジー部門大賞を受賞しました。
――友廣氏との出会いもこのころでしょうか。
友廣裕一氏(以下、友廣) ぼくは早稲田大学で経営学を勉強して卒業するタイミングだったのですが、学生時代から小さな事業をつくったりベンチャーの立ち上げを手伝ったりと、小商いレベルでは取り組んでいました。それと並行して僕はいろいろな地域の人たちが、どんなふうに働いて暮らしているのかに興味があり、地域に関わる仕事がしたいと思っていました。そこで大学卒業後には、ヒッチハイクをしながら日本中の農村や漁村を回っていたんです。その途中、蜂谷と高知で知り合いました。その後しばらくして蜂谷がビジネスプランコンテストに出したいと言うので、「じゃあ一緒にビジネスプランをブラッシュアップしよう」という感じで関わったのが最初ですね。
友廣裕一氏
蜂谷 当時は21、22歳くらいだったかと思いますが、ビジコンの前日に東京の友廣の家に泊めてもらって、仲間を集めてもらって夜中までブラッシュアップしましたね。受賞後は予算もついたので、会社にするためにシーベジタブルの前身である一般社団法人を立ち上げました。室戸市との共同研究が始まり、そこから2、3年すると、資金を入れる会社をつくる必要が出てきたため、研究しながら実装するような形で事業が始まっていきました。
最初は「海藻やアワビの会社」を作るというよりも、高知県室戸市に軸足を置いて、地域の仕事をつくることを考えていました。ですから、収益を上げてバリバリと回していくような事業にする考えはなかったので、大学院で研究をしながら進めていました。例えば定置網漁では狙った魚種以外の魚もかかってしまいます。売り物にならないことから捨てられてしまうような魚も多いのですが、そういった魚にも価値をつけられれば地元の人たちの「生業」につなげることができるのではないかといったことを考えていました。
――海を取り巻く様々な課題があり、地元の方たちと一緒に歩を進めるには何にフォーカスするか考える必要があったということですね。では、そこから「海藻」を事業の軸にされようと決断されたのはどうしてでしょうか。
蜂谷 アワビは出荷するまでに3年程度かかります。事業として考えると時間がかかりすぎて難しいという点がありました。
また、当時、四万十川で天然の海藻が年々獲れなくなってきたという問題もありました。隣の徳島県を流れる吉野川は、すじ青のりの海面養殖の一大産地なのですが、海水温の上昇などが原因でいよいよ獲れなくなってしまっていてかなり深刻な状況でした。
実は僕たちは、海藻をアワビやトコブシの餌にするつもりで陸上養殖で育てる準備を進めていたんです。青のりが獲れないということで、いろいろなメーカーから「困っている」という話を聞いていました。具体的に「青のりが陸上で安定して作れるのならぜひ買いたい。なんとか生産してほしい」と相談に来るメーカーもありました。ソースメーカーのお好み焼きセットの中の青のりや、ポテトチップスののり塩味などで青のりが使われているんですよ。
そういった経緯があり、陸上栽培で海藻を生産することに舵を切り直して「シーベジタブル」を立ち上げたんです。陸上栽培は水温と気温と光の量、水槽の大きさがわかれば、生産量が試算できますので、最初に長期契約を結び、前受金として一部のお金を預かってそれを設備投資に当てさせていただくことで事業が走り出しました。そうした経緯で僕が研究と生産を担当し、それ以外は友廣、意思決定は一緒に行っていくという感じで今までやってきています。
海藻の声が聞こえて一人前
――シーベジタブルには、さまざまなスペシャリストが集結し、拠点も全国に増えていますが、どのように仲間を集められたのでしょうか。
友廣 いろいろなところで出会った人たちと「一緒にやりましょう!」という感じで、出会い頭で仲間に加わっていくような「桃太郎方式」で広がっていきました。僕らは、目指しているものを共有できることが大事だと思っていて、僕らも誘っているけれど、相手の方も「入りたい」と思ってくれる、相思相愛の状態が望ましいと感じています。片思いだとうまくいかないので、お互い気持ちが通じ合うことを大切にしています。だから僕らは求人をほとんど出したことがありません。
ラボはいま全国に10カ所くらいあります。海藻を研究する人は元々少ないですが、これまで全国各地でこの人と働きたいという研究者などに出会ってきました。拠点となる研究施設を作って一箇所に集めるよりも、その人の家の近くに部屋を借り、培養庫を入れてラボをつくることで、慣れ親しんだ土地で研究を続けることができ、また、移動する負荷を下げることができます。そういった理由もあって、分散型で進んできています。
ラボでは種苗生産や培養など、基礎研究から栽培技術の確立まで取り組む
――拠点が増え、仲間が増えることで何か壁にぶつかることはありましたか。
友廣 最初の拠点は、蜂谷が「プレイングマネジャー」として現場にいるという形でできあがりました。拠点を増やすということは、蜂谷以外の人に現場をある程度は任せないといけないということになりますので、それは会社として大きな出来事でした。一番大きな問題はやはり海藻に詳しい研究者が少なかったという点です。蜂谷の知識量を100とすると、他のメンバーは5くらい。そういうレベルからスタートしてメンバーを育てていきました。
蜂谷 初めは確かに技術的な差がありましたが、仲間を迎えて、仕事を委ね、責任を預けていくということを繰り返していきました。こだわったのは、メンバー自身が「海藻に対して愛があるのか」ということ。「海藻は生き物だ」という本質を見落としてはいけないんです。
友廣 蜂谷は「すじ青のりの声が聞こえるようになって一人前」とよく言っています。最近は、すじ青のりの声が聞こえるメンバーが増えてきたみたいで、その声を聞いて状態を把握することができてきているようです。
海に海藻を増やしたいという原点回帰
――海藻について改めて教えてください。
蜂谷 日本は南北に長いので、暖流と寒流がぶつかり合い、複雑な海岸線と岩場や浅瀬も多いことから、世界でも海藻が多い場所です。日本の海域には約1,500種類を超える海藻が生息しています。そのすべてが食用になり得る可能性があり、1,400種類以上もの海藻が未知なる食材として存在しています。日本は海に囲まれているので、海の食文化がそれぞれの地域にあり、海藻を活用するという意味では「世界一」と言われていました。しかし、いまは残念ながら技術開発力や環境への意識は日本よりもヨーロッパのほうが強いのが現状です。海藻は海外では新たな食資源としても注目を浴び、ブルーカーボンという文脈でも注目されています。
シーベジタブルでは在野の研究者として、日本中の海を潜っていた新井章吾さんをパートナーに迎えています。海に海藻を増やすためにはどうしたらよいのか、最先端の技術や考え方を学ぶために、新井さんと友廣と僕の3人で日本中の海をぐるぐる潜り、研究者にひたすら会ったんです。日本中を回ってみて、改めてこの分野の研究者の少なさを感じました。かつては日本が世界をリードしてきた部分もありましたが、いま国内で海藻を研究する人は50人弱くらいしかいませんし、実際に海に潜っている人は5人程度です。世界からリスペクトされてきた日本ですら、まだ海藻の潜在的な可能性を知らない状態なんです。そういう意味ではまだまだ海藻の可能性を感じます。
――海藻の可能性を広げるために、シーベジタブルとして取り組まれていることはありますか。
友廣 そうですね、これまでの海藻の調理方法は基本和食で、食べ方もさっと湯通しするだけなど限定的なものばかりでしたが、まだ可能性があるはずなので、シェフの石坂秀威に参画してもらい、海藻の料理開発を日々探究してくれています。すじ青のりが香るミルクを使ったアイスクリームや、クッキーとかティラミスなど、数え切れないほどのレシピをいろいろ創作してもらいました。
2021年に開設したテストキッチンでは、元「INUA」の料理人・石坂秀威氏(写真左)を中心に、食材としての海藻を日々研究している
すじ青のりチョコレートケーキ
すじ青のりアイスクリーム
青のりしょうゆ
その他の海藻の可能性としては、すでに工業利用されているものもありますが、歯磨き粉やゼリーに入っている多糖類での活用もありますし、サプリメントとしても使われています。食物繊維が多いので腸の働きが良くなり、ミネラルも摂取できる点が注目されているんですよ。成分的なところでもまだまだ新たな発見がありそうで、ワクワクしています。日本には誰も入ったことのない未開の山はないでしょうから、陸上で未知の植物となると、チベットなどの山奥に行かないとないかもしれません。一方、海はまだ可能性で満ち溢れているんです。
蜂谷 僕も海藻を毎日食べているのですが、おいしいですし、食べ始めてからずっと本当に腸の調子が良くて、すごく元気ですね。
これまでは、青のりの事業に一旦会社としてのエネルギーをシフトしていきましたが、どこかでいつも「海に海藻を増やしたい」という気持ちをもっていました。現在、青のりの生産量、供給量を陸上養殖で補えるようになり、事業としてのベースができてきたので、改めて原点回帰し、海の海藻を増やすために何ができるのかを考えながら過ごしています。
「全力で声を聞くこと」、「リアル」から始まっている
――最後に、お二人が描くビジョンやこれからについて教えていただけますか。
友廣 僕らはビジョンファーストではやっていなくて、いろいろな方の声を聞きながら、「困っているならつくろう」という感じでやってきました。全力で聞いていると、バシっとはまるところが見つかって、一緒に全力で走れるようになるんです。でも、僕らの会社として一番大きいのは、実際に全国の海に潜って海藻がなくなってきていることをリアルに見て感じてきたことです。
やはり海に海藻がある状態を増やさないと生物が減ってしまいます。大袈裟でもなく、それをなんとかできるのは世界で僕らしかいないと思うんです。その課題を解決するために、ちゃんとコミットしていかねば、と思いはじめました。海に海藻がある状態を増やし、海藻で海を豊かにしていきたい。そして消えつつある海藻の食文化を守っていきたい。それがいま、社内で自分ごととしてみんなが共有しているビジョンです。
蜂谷 僕は現場の漁師さんとコミュニケーションを取ったり、頻繁に海に潜って実際に海の状況を見ていますが、漁師さんたちは本当に困っています。どんどん海も痩せ細っていくし、もし1年何もしなかったら、漁師さんがいったい何人減ってしまうのかも感覚としてすごくわかるんです。わかるからこそ、早く形にしていかないといけないという思いがあります。
現場の話を聞くということは非常に重要だと思っています。海の世界は特に、みんな課題を持っている。そこで、「自分にできることは何だろう」ということに対して全力でもがいて研究をしています。自分にできることを見つける瞬間が一番のやりがい、原動力になっていますね。僕たちは遠い未来のビジョンを考えるというよりも、目の前の、近くにいるリアルに困っている人の明日を変えていきたいんです。明日、変わるかもしれない未来にワクワクしながら、みんなで走っていきたいと思います。
友廣 「今、できることは何なのか」。自分たちにできることを追求することこそが大切で、会社を大きくすることは、僕たちにとっては、目的にはならないと思っています。資本主義の前提に逆行しているかもしれませんが、それは意識していたいですね。ただ、原点回帰して、海面養殖に挑戦するにあたって、海へのインパクトを考えると規模感はもっとスケールしていかないといけないのも事実です。日本中の海にみんなでいろいろな種類の海藻を1ヘクタールくらい植えたとしても、海に対するインパクトはありません。地図で見ても1ヘクタールでは点にもならない。自己満足で「いいことをやっています」と言っても、机上の空論になってしまいます。生態系のことを考えて成果を出していくことを考えると、何百ヘクタールとか、何千ヘクタールとか、そういう規模感でやっていく必要があります。
つまり海藻の利用を増やすために、いろんな企業と連携する必要があると考えていて、準備を進めています。海藻事業が拡大することは、海の環境も良くしますし、水産業にも貢献できて、誰も悲しませないんですよ。その基本になるのは、やはり海藻を「美味しい」と思ってもらえることなので、ここは、これからも大事にしていきます。海藻を食べたら、「おおっ」って思うはずですから! 海のためにもどんどん海藻を食べてもらえるようにしていきたいです。
■プロフィール
蜂谷潤
シーベジタブル共同代表。岡山県出身。大学時代に、“海洋深層水を活用したアワビ類及び海藻類の複合養殖”のビジネスプランを構想し、これを事業化するべく研究活動を行う。その後、海藻の生産に特化する形で共同代表の友廣と共に合同会社シーベジタブルを創業。日本各地の減少しつつある海藻を再生させることで海を豊かにすべく、海藻の種苗培養から、陸上・海面での栽培方法の確立まで、主に研究/生産メンバーとともに新たな挑戦を繰り返している。
友廣裕一
シーベジタブル共同代表。大阪出身。大学卒業後、日本の地域の現状を学ぶため、全国の農山漁村を訪ねる旅へ。東日本大震災後は、宮城県石巻市・牡鹿半島の漁家の女性たちとともに弁当屋やアクセサリーブランドなどの事業や、東京・墨田区で食べる人とつくる人がつながるマーケットを立ち上げる。その後、共同代表の蜂谷と共にシーベジタブルを創業。人や組織をつなぎながら、新たな海藻食文化をつくるべく駆け回る。
■スタッフクレジット
文:野口理恵 編集:RiCE.press
■写真提供
合同会社シーベジタブル