大学の卒業旅行で島の魅力にはまり、就職後は忙しい合間をぬって大好きなパン店を巡り、パン作りに励む——18年間、広島のケーブルテレビ局で取材や番組制作に従事していたという西村京子さんは、自分の“好き”を突き詰めるうちに、島暮らしとパン店の開業を夢見るようになった。2014年ごろから広島市内の職場から通勤圏内の江田島で物件を探し始め、江田島市の地域おこし協力隊員に採用されたことをきっかけに、仕事と住まいを島に移すことを決意した。
「最初に住んだ家は、江田島の夕日スポットにありました。地域おこし協力隊の仕事はほぼ定時終わりだったので、夕日を見送りにビーチに出るのが日課。1日の終わりにこんな素敵な風景を見られるのはすごいなぁと思って、大満足でした」(西村さん、以下同)
パン店を開業したいまでも、時間が空いた時は農家の作業を手伝いに行ったり、海でSUPに挑戦してみたりと、島での生活を満喫しているという西村京子さん。
協力隊の職務は島特産のオリーブ普及員。次なるステップはパン店の開業と心に決めていた西村さんは、オリーブの勉強はパン作りにも活きると考え、熱心に取り組んだ。
協力隊員の任期を終えると、西村さんはパン店を始めるための中古物件を探し始めた。「ここだ!」と思ったのは、高台にある瓦屋根の日本家屋。南向きの大きな窓があり、質の良い井戸水が使えることが決め手になった。薪窯はクラウドファンディングを成功させて設置するなど、準備は着々と進んだ。
島の高台に建つ「しまのぱん souda!」。店の周りから鳥のさえずりが聞こえてくるのどかな環境だ。
イベント出店などを経て、「しまのぱん souda!」は2020年にオープン。souda(そうだ)は西村さんが愛してやまない島の空、海、そして大地の頭文字を組み合わせた言葉だ。
納豆に合う、ご飯のようなパン。
西村さんが焼くパンの種類はカンパーニュ、パンドミ、ブリオッシュなど7、8種と決して多くはない。有機小麦と塩、水だけを原料にしたシンプルなパンを焼く主な理由は「日持ちがするから」。フランスの製法であるルヴァン種のパンは、焼きたてより数日置いた方がおいしいと言われる。ビニールに入れて冷蔵庫に保管すれば2週間近く持つという。
「季節のフォカッチャ」。取材日の11月には、島で採れたさつまいもとシナモンがトッピングされていた。
オリーブ普及員だった西村さんは、最初の酵母を島のオリーブで起こした。その元種を大切に保存し、パンを焼く時はそこに粉と水をかけ継ぎながら量を増やす。西村さんは生地を我が子のように気遣い、手間を惜しまない。
「日々発酵の具合が違うので、パン種は生きていると感じます。気温によっても変わるので、状態を見て発酵時間を変えたり、こね上げ温度や仕込み水の温度で調整します。毎回、生地の中にいる乳酸菌や酵母菌と精一杯向き合うようにしています」
自然発酵種は日によって違う表情を見せるという。「お味噌みたいに、違う人がこねると味が変わる気がします」と西村さん。
souda!の開店日は金、土、日の週3日。朝4時半に窯に火を入れ、数時間かけて温める。窯でじっくり焼くパンは、皮がパリッとし、香り豊かで旨味もしっかり感じられる。窯の薪には島の伐採木や剪定木を活用し、季節のパンに使うフルーツも江田島産を使用。できるだけ島のものを使った島のパンを作ろうと心がけている。
顧客は6割が近隣に住む島民で、4割が島外から訪れる観光客だそう。菓子パンなど市販の軽いパンに慣れていると、西村さんが作るパンが少し硬いと感じる人もいる。そのため、「食パンは? もう少し柔らかいパンは焼かんの?」と聞かれることもあるというが、西村さんは「うちのパンは納豆とかお味噌汁にも合うから、一度白ごはんの代わりに食べてみて」と、パンの特徴やおいしい食べ方、保存方法を丁寧に説明する。後日、「パンが納豆に合うとは思わんかった! ハマったわぁ」という感想を聞くと、幸せな気分になるという。
美しいパンが並ぶ店内。パンはカウンターから注文し、西村さんが紙袋に入れて手渡してくれるスタイルだ。
経営も、パンの種類もシンプルに。
薪窯で焼くルヴァン種パンの作り方は、広島市内のパン店「ブーランジェリー・ deRien(ドリアン)」で教わった。西村さんが「宇宙一好き!」とラブコールを送るパン店だ。
「ドリアンを知ってから、私も焼くならこういうパンがいいと思って、協力隊を卒業後に研修を受けました。研修は住み込みで3〜5カ月間、マンツーマンでパン作りを習います。研修費を労働で返すお金を介さないシステムで、修了生が北海道から九州まで、全国各地で起業しています」
西村さんが慕うドリアン店主・田村陽至さんは、著書『捨てないパン屋』で知られる。田村さんは世界のパンを食べ歩き、日本の食卓に合うルヴァン種のパンを追求する一方、働き方改革にも乗り出し、パンの品数を極力抑えてフードロスをなくし、労働時間も縮小する経営案で注目された。
その背景には、毎日何十種も作るパン店が、日々の作業に追われて働き過ぎでゆとりを持てない現状がある。種類を増やすといろいろな具材を使う分、消費期限が短くなるのでフードロスも多くなる。経営者が身体を酷使して心身の健康を崩してしまったら、個人店の経営は長く続けられない。経営もパンの種類もシンプルにすることに解があるとする田村さんの教えは、西村さんの心に深く響いた。
「一人でやっているので、続けることも大事だと思っています。師匠からは『シンプルに手を抜くことで自分の時間も作ることが大事だよ』と教えてもらいました。身体に良いものがシンプルに作れたら——。そこが自分のパン作りの理想というか、目指すところです」
薪窯の火入れは朝の4時半。その後10分おきに薪をくべたり、灰を落としたりと薪窯の様子を見つつパンをこねる。一人でこなすにはなかなかの重労働だ。
ワークライフバランスを整えるためにも気にしているのが、実働日数。始発で出社し、終電で帰るような不規則な会社員生活も経験している西村さんはいま、労働時間と生産効率のバランスを調整して最適解を探っているところだ。
「今年に入って営業日を1日減らしました。それまで金土日に加えて月曜もオープンする週4日営業だったのですが、月曜日を休みにして週3日営業に変えたことで労働環境はかなり改善しました。一度に窯に入れるパンの量を少し増やしたので、これまでの売り上げは保ちつつ、窯の熱効率は良くなり、自分の身体も楽になりました」
「自分がごきげんであること」が、西村さんが仕事や暮らしの上で大切にしている“美学”。島の美しい夕日や月を眺めるゆとりの時間は手放したくないと考えている。
店頭には、レモンやきゅうりなど、美しい島で採れた野菜や果物も並ぶ。
いろんな化学反応が起きる店に。
人と会話することが大好きな西村さんにとって、お店のオープン日もごきげんな時間の一つ。店内にあるカフェスペースをみんなが集えるコミュニティスペースに改装したい——。そう考えたことがRISE with SHOP SMALLの支援プログラムに応募したきっかけだった。
「ちょうどいろいろな思いをまとめていた時に、たまたまFacebookでRISE with SHOP SMALLの募集を目にしてハッとしました。今後はカフェスペースで食事会や映画会を企画して、お客さん同士が繋がるような機会を作りたい。生産者を招いて食べる人と作る人を繋げたり、島の人と島外の人を繋げたり、いろんな化学反応が起きる場所にしたいと思っています」
購入したパンを、コーヒーなどの飲み物と楽しむ事ができるカフェスペースを、今後さらに充実させたいと西村さんは考えている。
RISE with SHOP SMALL プログラムAに参加する西村さんには、店舗改装や広告開発など、店舗の課題や要望に応じた1件上限200万円のサポートが提供される。サポートを通じて、映画を投影するプロジェクターや店内のリフォームを進めたいと考えている。
「江田島の現在の人口は約2万人。最近移住者が増えて元気になっている面もありますが、人口は減少しているので私の活動が島を活気づけるささやかなフックになれば」
パン作りで実感した江田島の食材の底力。こんな素敵な食材を作る島の生産者の思いをいろんな人たちと結んでいきたい——。おいしいパンと江田島をこよなく愛する西村さんの活動を、RISE with SHOP SMALLが支援する。
「開店から2年半。一度もフードロスを出したことがないので、これはちょっと自慢できます。皆さんが好意的に協力してくださるおかげです」と西村さん。
■プロフィール
西村京子(にしむらきょうこ)
山口県岩国市生まれ。大学の卒業旅行で出かけた沖縄で島の魅力にはまり、島暮らしを夢見るように。卒業後は広島のケーブルテレビ局「ちゅぴCOM」に勤め、番組制作に携わる。2010年第1回瀬戸内国際芸術祭を訪れたことで瀬戸内海の島々にも関心を持つ。2016年から江田島市の地域おこし協力隊員(オリーブ普及員)。任期終了後の2020年「しまのぱん souda!」オープン。RISE with SHOP SMALLプログラムA受賞者。
https://pantabeyo.com/ ※外部リンクに移動します
■スタッフクレジット
写真・動画:榊水麗 記事:岩井光子 編集:フィガロ編集部
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