組織や人をより良い方向にドライブさせ続けるために“体験”をデザイン
誰もがクリエイターとして文章やマンガなどを投稿し、読者となるユーザーはそれらのコンテンツを楽しみながら応援できるメディアプラットフォームとして2014年に誕生した「note」。サービスの開始から2024年5月末現在までに約4530万件の作品が生まれ、会員数は816万人を超えて今も増え続けています。
深津氏は、「note」の運営にCXO(Chief Experience Officer:最高体験責任者)として2017年から加わりました。
「体験、つまりユーザーがサービスを使って感じたことや、記憶したことを設計するのがCXOの仕事。使いやすい、楽しい、良さそう、わかりやすい、ワクワク、ドキドキ、がっかり、嬉しい、などはもちろん、記憶やバズも、全てがユーザー体験です。だから仕事の範囲は、ユーザーが『サービスを認知し脳細胞が発火した瞬間』から、『サービスを忘れてしまうまで』。その間、サービスに関して脳内で発生するあらゆる記憶と感情、その全てをいい感じにすることが私の仕事だと考えています」と、深津氏は説明します。
さまざまな業界の経営者から主婦や学生まで、多様な人々が活用している「note」ですが、サービスが立ち上がった当初は作家やプロのライター、ブロガーなどの投稿が多くを占めていたといいます。
深津氏が「note」に入ってまず行ったのが、サービスを通じて目指すことを明確にすることでした。メンバーとのワークショップなどを通じて言語化された、『だれもが創作をはじめ、続けられるようにする』というミッションです。
noteでは取り組むべき「ミッション」、それを経て実現したい「ビジョン」、そして実現するための社員の行動指針である「バリュー」が定められている
「そうして進むべき方向を明確にし、投稿を行うまでの最初の一歩を踏み出しやすくしたり、投稿を続けてもらうモチベーションにつながったりするような機能の追加や改善を、とにかく繰り返していきました」と、深津氏。
高速でPDCA(計画・実行・評価・改善)を回す仕組みや、「UNDOできる失敗は、失敗でなく実験である」という哲学をチームに浸透させ、素早く改善する体制の整備を進めていきました。深津氏自身も、2018年は200件近い記事を投稿し、ユーザーとしてそこで得た気づきをフィードバックして素早く改善につなげています。
その結果、2018年までは数百万単位だった月間アクティブユーザー数が、2020年には6,300万を突破し、ミッション通り、“書く”職業の人に限らず多様な人々にサービスが浸透しました。短期間で実現できた秘密は、「Small Win Quick Winにフォーカスする」という深津氏の思想にあるようです。
「これをやり続ければ、例えば5年後に結果が出ると言われても、そこに人が全力でエネルギーを掛けるのはつらいし難しい。でも、やってみてすぐに反応が見えれば、さらに良くしようとエンジンが掛かって、どんどん次のアクションにつながっていく。だからわれわれのチームでは、まずクリエイターにサクセスを届け、それを見える化してメンバーに共有することを重視したのです。
例えばユーザー(読者)にクリエイター(投稿者)からお礼のメッセージが届く機能を追加する。そこで生まれたポジティブな変化を見える化してチームのメンバーに共有することで、サービスに関わる誰もが小さなサクセスを体感できる。物事を現状からより良い方向に変えてドライブさせていくには、そうした小さな成功体験を積み重ねる“体験のデザイン”が大切だと考えています」
クリエイターが文章や画像、音声、動画を投稿して、ユーザーがそのコンテンツを楽しんで応援できるメディアプラットフォーム「note」
創造とは、現状をアップデートしようとする試み
ミッションにもあるように、「note」は誰もが気軽に創作を楽しめるメディアプラットフォームです。しかし、「note」では投稿者を「クリエイター」と呼びます。それはなぜなのか、深津氏に聞いてみました。
「日常で起きるすべてのことはクリエイティブであるというのが、『note』の哲学です。サービスの開始当初から『note』を利用してくれていた作家さんやライターさんはもちろんクリエイターですが、それ以外の人だって、誰でもクリエイターになれるというのが私たちの考え。例えば、主婦の方が夕飯のレシピを工夫したり、新しい掃除の仕方や服のたたみ方を発見したり、アルバイトで品出しをする人がレイアウトを工夫したりすることも、全てはクリエイティブな活動です。小説やマンガ、アート作品から、日常に転がっている発見やささいな出来事までを、誰もがクリエイターとして発信できる。こうした『note』のプラットフォームとしての哲学が、世の中に広く伝わったことがユーザーや会員数の増加につながったのだと思います」
クリエイター、クリエイティブという言葉をよく耳にし、実際に使うことが多くなったものの、共通した明確な定義があるわけではないため、人によってとらえ方はそれぞれです。そこで、深津氏に、“クリエイト:創造する”ことをどう定義しますか?と問いかけてみました。
「現状をアップデートしようとする試みでしょうか。簡単に言えば、現状維持を良しとせず、変わり続けるために何かをすることはクリエイティブな活動だと思います。逆に、現状をただ維持している状態はクリエイティブとは言えないのではないでしょうか」と、深津氏は話します。
「私自身は同じような作業を日々繰り返すのが苦手なこともあり、現状をアップデートしようと色々なことに取り組んでいます。一方で、毎日同じような仕事に向き合っている人もたくさんいると思います。とはいえ、例えば同じ書類仕事でも、ドキュメントの書き方を変えたり、書類を素早く取れるように並べ方を変えたり、いつもと違う工夫をすることがクリエイティブの入り口になる。他にも、ランチで行く店のいつも決まったローテーションに新しい店を加えたり、何年も更新していない音楽のプレイリストを見直してみたり、人が創造的に生きるためのヒントは、日常のあらゆるところに転がっています」
実際に「note」には、日々の家事や育児、旅行や読書、音楽、デザインなどからビジネスまで、多様なクリエイターによる様々な投稿がUPされています。中には、投稿がきっかけとなってプロジェクトが動き出した例もあるそうです。テレビ番組で取り上げられたり、作品が本になったり、仲間づくりにつながったり、アイデアが企業に採用されたり、さらには経営者やその会社で働く社員の投稿を読んで、入社したいと応募がきたといった例も。
深津氏が目指すのは、「クリエイターもユーザーも一緒になって上昇するような世界観」だといいます。
現状維持を良しとせず日常の物事にちょっとした工夫をすることも「クリエイティブ」な活動だと深津氏は指摘する
みんなで創りあげるクリエイティブの可能性
多くの人には、まだクリエイターとは、創作活動を生業にしている人のみを指すという固定観念がありますが、どんな人でも、日々なんらかの創作をしています。しかし、その創作を誰かにシェアすることをしている人はまだまだ少ないのが現状です。
「普段、クリエイティブなものとして我々が目にしているのは、海面から飛び出す氷山のような、大きなピラミッドのトップの部分にしかすぎません。ボトムが広がれば広がるほどピラミッドの高さが高くなるように、創作を始める人の総数を増やすことが、結果的により多くの面白い作品やクリエイティブな活動を生むことにつながるはず」
そう語る深津氏は、多くの人々が自身のクリエイティビティを認識できるように意識のコンバートをしていくことで、今までなかったようなクリエイティブなアイデアが実現できると考えています。さらに、その母数が大きくなれば大きくなるほどに、そこから生まれるクリエイティブはパワフルになると、可能性を感じているそうです。
「数人の天才がいる世界よりも、目玉焼きのひっくり返し方から靴下の履き方まで、1億人の人が色々な工夫を発信する世界の方が、絶対に面白いものが生まれてくるはずです。日本のクリエイティブの未来を考えると、より多くの人にクリエイターとして創作を始めてもらうことが大切になると思います。例えば、デジタル化しておかないとこのまま失われてしまう高齢者の方々の生活の知恵や経験を発信して残してくれたらいいなと、個人的には思っています」
AI時代に重要となるのは推進力
様々な領域で挑戦を重ねる深津氏は、日本における生成AI活用の第一人者としても有名です。最後に、そんな深津氏にAI時代を生き抜くために必要なマインドについて聞くと、「一番大事になるのは推進力でしょうね」と答えてくれました。
「AIがさらに進化して人の作業を代替するようになると、頭がいいとか悪いとか、文章やプログラムが書けるとか書けないとか、そうした個々人の能力が重要ではなくなっていきます。一方で重要になるのが、やるかやらないか。今後、AIの活用で多くのことが実現できる世界になれば、『できそうだけど様子を見よう』と考える人と、すぐにアクセルを踏める人の差がより大きくなっていくのではないかと思います」
今後挑戦してみたいことを聞くと、「物理空間とインターネット上の仮想空間の距離がさらに近くなっていくと思うので、その中で物理的な世界に関わるサービスの設計などをやってみたいですね」という答えが返ってきました。AIやロボティクスがさらに発展する世界で、深津氏が「脳内で発生するあらゆる記憶と感情、その全てをいい感じにする」デザインをするのか、楽しみでなりません。
また、クリエイターや投稿についてのランキングがないのも「note」の大きな特徴。人気が可視化されないため、誰でも本当に発信したいことを安心して発信することができます。これこそが、多様性を担保する秘密でもあり、すべての人が持つクリエイティブの芽に対するリスペクトだといえるのではないでしょうか。
■プロフィール
深津貴之
note株式会社CXO/THE GUILD代表。インタラクションデザイナー。株式会社thaを経て、Flashコミュニティで活躍。2009年の独立以降は活動の中心をスマートフォンアプリのUI設計に移し、株式会社Art&Mobile、クリエイティブファームTHE GUILDを設立。現在はnoteのCXOなど、領域を超えた事業アドバイザリーを行う。執筆、講演などでも精力的に活動。
■スタッフクレジット
記事:西田嘉孝 写真提供:note株式会社 編集:ニューズウィーク日本版