社会に放り出されて“個”の脆さを実感
自分のための居場所づくりが、事業のアイデアにつながった
――従来のブランディングと一線を画す、ビジョンをもとに未来の価値観や市場をつくる「ビジョニング」を提唱されています。NEWPEACEは、「ビジョン起点で熱量あるつながりをデザインするコミュニケーションの専門集団」と名乗り、ビジョニングにおいてコミュニティーの形成・運営を重視されていますね。その考えはどう生まれてきたのでしょう。
「コミュニティー」は、僕の人生におけるキーワードの一つ。その原点は社会人1年目にあります。
僕は新卒で入った博報堂を1年で辞めました。「SNSを活用したクリエイティブを」と意気込んで入社しましたが、当時はWEBやSNSを使ったマーケティングにはなかなか予算もつかず、できることが限られていたんですね。勢い余って辞めてしまったあとに感じたのは、社会に放り出された“個”になってしまった、という気持ち。当時は起業家もフリーランスも周りにはほとんどいなくて、居場所がありませんでした。「会社は仕事を通じていろんな人に出会えるセーフティネットになっていた」、そう気づかされ、居場所を自分で作ろうと動き出したんです。
そして、社会人1年目で会社を辞めた仲間5人で、六本木にシェアハウスを立ち上げて。「トーキョーよるヒルズ」と名付けたその家で、出会った人たちや、彼らと見た多くの景色が、コミュニティーの力を知る原体験になっています。
――どういった仲間と「よるヒルズ」のコミュニティーは作られていったのでしょうか。
集まった5人は、マーケティングや広告領域にいるメンバーで、就職活動の際からゆるやかにつながっていた社会人同期でした。みんな会社を辞めて、お金がなくて、何者でもなかった。そこで「よるヒルズ」で「引っ越し祝いパーティ」を企画し、Facebook上で友達全員を誘ったんです。 すると、思いがけずものすごく多くの友達とか、友達の友達が来てくれて。そこでどんどん人のつながりが生まれていきました。「あのシェアハウスに行くと、誰かしらと面白いつながりができる」「毎週のようにイベントがあるらしい」とウワサが広がっていき、人が人を呼び、年間でいうと3,000人くらいが集まる場所になってましたね。
――そこで見られたコミュニティーの力とはどういったものがあったのでしょうか。
一つは、ネット選挙運動解禁を実現した「ONE VOICE CAMPAIGN」です。政治に関心のある同世代の仲間が、「インターネットでの選挙活動ができるように公職選挙法を改正しよう」と主張し、どんな仕掛けがあれば賛同の声が広がるのか、一緒に考えることになって。そこで立ち上げたのがSNS署名です。当時は珍しかった取り組みに複数の大手メディアやIT企業の方々が支援を名乗り出てくれました。若い世代の声も集まるようになり、最終的に法改正が実現。草の根の活動から社会を本当に変えられるんだと、感動したことを覚えています。
もう一つは、スタートアップが生まれていったこと。「よるヒルズ」を運営していたときはイベント企画が仕事みたいなもので、常にお金がありませんでした。そこで「誰か、僕がやっていることに出資してくれませんか」とツイートしたら、 CAMPFIRE代表の家入一真さんが「する!」と返信をくれたんです。しかも、偶然にもすぐ近くに住んでいて、その後2年ほどは毎日ように会ってました。話を聞いているうちに家入さんへの理解が深まり、家入さんの考えていることを言語化したり、企画として立ち上げたりするようになったんです。
その頃、家入さんの周りには起業したい学生たちが数多くいたので、「その学生たちこそシェアハウス住めればいいよね」と、当時解散しようとしていた「よるヒルズ」を「リバ邸」に名前を変え、月3万円で誰でも住めるようにしたんですよ。その最初の住人たちから生まれたサービスが、鶴岡裕太さんが創業したネットショップ支援サービス「BASE」です。まだ何者でもない人たちのつながりやアイデアから、事業が生まれる。それがスタートアップになっていく。そのプロセスを間近で見たのは得難い経験でした。ちなみに、今では株式会社リバ邸として法人化され、シェアハウスは全国各地に拠点が広がっています。
――ユニークな人が集まり、アイデアが形になっていくコミュニティーを作れた要因は何だったのでしょうか。
当時の東京には、「消費する場所」はたくさんあっても、「生産する場所」は会社以外にほぼなかった。シェアハウスが、そうした場のニーズにハマったのかもしれません。
みんな若くて、失うものがなくて、とにかく暇で時間だけがたっぷりあった。そのことも大きな要因でしょうね。加えて、これもたまたまですが、六本木には勢いある企業のオフィスも多くあって、当時そこには、家入さんやチームラボの猪子さん、隣のビルでメルカリを創業したばかりの山田さん、まだメディアにはあまり露出のなかったDMM亀山さんら、表舞台だと絶対に会えないような起業家や経営者が夜集まっていて。名前を挙げるとキリがないくらい毎晩いろんな人が混ざり合っていて、あまりに刺激的で暇さえあれば顔を出していました。そこで仲良くなった方々が面白がって、近くにあったシェアハウスにも遊びに来てくれるという関係性が生まれていきました。
いろんなコミュニティーをもっていたほうがいい
僕たちの人生には「役割」と「居場所」が必要
「日本人は『神との契約』=『各個人の生きる目的』より『社会』が強い。だからこそ、コミュニティーによって役割が得やすいのかもしれない」と指摘する高木氏
――コミュニティーづくりは再現性を持たせることが極めて難しいといわれています。それでも、コミュニティーを事業の柱としている理由を教えてください。
日本社会にとって、コミュニティーは超重要なインフラだと思うんです。人生には「役割」と「居場所」が必要だと感じていて、僕は。会社を辞めた時に役割も居場所もなくなり、その状態は耐えきれないものだったんで。役割や居場所を与えてくれる会社・家族・地域などがなければ、何のために自分は存在するのか、使命やアイデンティティを明確に語れる人はほとんどいないはずです。それをゆるやかに決めてくれるのが、コミュニティー。
日本は、一神教の国と比べて個人の概念が希薄だと思うんですよ。神との契約という感覚があまりないこともあって、何のために自分は存在するのか、ミッションを明確に語れる人ってほとんどいないですよね。逆に個人よりも世間が強い社会なので、コミュニティーがあることで初めて「役割」と「居場所」を獲得できる。地域で大事にされる厄年は役割の「役」だといわれますが、それも年齢によってコミュニティーの中での役割が変わるからこその考え方ですよね。所属するコミュニティーごとにアイデンティティを持つ、というのは分人的で非常に今っぽいと思うのです。
かつては地域社会や会社などが重要なコミュニティーでしたが、 SNSやエンタメ、スポーツ など企業活動の中で作り出される「好き」の コミュニティーに入ることで、自分の役割や居場所を見出していく人が増えていく。実際、今の若い子ほど、いろんな人格を持っていろんなコミュニティーに出入りして、自分なりのライフスタイルを作っていっているじゃないですか。
利便性よりも意味が求められる時代において、コミュニティーを通じて人生の楽しみを生み出すような役割や居場所を提供することが、企業の存在意義にもなっていくし、それはもう不可逆な動きです。NEWPEACEではそれこそがブランディングの本質の一つだと思っているので、 そうしたコミュニティーを作る担い手でありたい。
――コミュニティーを定義づけるなら、どんなものだとお考えですか?
僕はそもそも所属するコミュニティーは1つじゃないほうがいいと思っているんです。さまざまな研究でも、複数のコミュニティーを持つ人のほうが、幸福度が高いという結果が実際に出ています。
「コミュニティーと起業家」という側面から考えると、起業家にとって会社はコアなコミュニティーですが、常に事業は浮き沈みしますし、コアが揺らぐのは精神的に非常につらい。だからこそ、家族や地元の友人、趣味の友達など、揺らがない関係性・コミュニティーを持つのが大事なんです。または、役割がなくても許してくれるよう居場所をつくるなど、複数コミュニティーを持って精神のバランスを取らないと、コアなコミュニティーだけでは人間は生きていけないと思ってます。
定義や種類はいろいろあると思うんですが、世の中には「ホットスポット」のような場所がある。「awabar」があった当時の六本木界隈もそうで、盛田昭夫さんが成功させたソニーの例を借りるなら、「時代の才能が集まっている」場所とでも言うような。アンディ・ウォーホルのシルバーファクトリーや原宿セントラルアパートメント、今でいうとスタートアップが非常に成長するビルみたいな。異常な上昇気流が発生している場所に集まってきた仲間というのは、ひとつのコミュニティーの定義になり得ると思います。
感じている孤独はチャレンジしている証左
人生の中で「保留」を選択する期間があっていい
――NEWPEACEの事業とは別に、「起業家の思想や人生に迫る インサイドビジョン」というポッドキャスト番組を制作されていますが、どういったきっかけで始められたのでしょうか。
僕は本当に「起業家」という生き物が好きなんですよ。新たなスターだと思っています。いまや一流スポーツ選手になるためには体格など先天的な要素が大半を占めるといわれていますが、起業家は後天的に誰でもなれるチャンスがある。一番最近生まれた、スターのジャンルが、起業家。勝ち方が幾通りもある面白いジャンルだなと思うので、ポッドキャストは、趣味の“生き物研究”といった気持ちで続けています。
聞いていてワクワクするのは、亜流だと批判されたり見向きもされなかったりした人たちが、逆張りの発想で勝負に勝ち、表舞台に出て、社会的に認められていく物語。ジャイアントキリングのようなプロセスに感動するんです。シェアハウスで見てきた、何者でもなかった人が成功していく姿と重なるのかもしれません。
僕は自分を、会社を1年で辞めた社会不適合者で、偶発的に起業家になったと思っているんですね。だから、僕は今でも自分の常識のなさにしょっちゅう落ち込む。そんなときは、水族館に行って深海生物をじっと見つめてます。「こんな変に見える生き物でも、ちゃんと堂々と生きてる」と勇気をもらえるから(笑)。起業家の話を聞くのが好きなのは、ヘンテコな人たちがスターになっていくところに夢があるな、と感じるからです。再現性はないかもしれないけど、そういう人生のサンプルがたくさんあること自体、なんかいいじゃないですか。
――確かに、新たなスターですね。一方で、起業家や経営者は悩みを相談できる相手がどうしてもかぎられるために孤独になってしまうとよく言われます。コミュニティーは支えとなれるのでしょうか。
僕は起業して経営者として成長していくプロセスは、自己否定の連続だと思ってます。先ほど、人には「役割」と「居場所」が必要だと言いましたが、起業家は、常に役割が変わり、できるようになったことはどんどん手放していかなければいけない。創業当初はメンバーとファミリーのような関係だったのが、規模が変われば関係性も変わり、居場所が居場所じゃなくなることもあるでしょう。するとまた新しい居場所を自分で作るしかなくない。仕事というコアなコミュニティーが揺らぐと、誰もが孤独になってしまう。
孤独を感じるのは、たくさんチャレンジしている証左です。チャレンジするとき、人はどうしても不安定になる。会社を辞めたときも、事業の成果が見えていないときも、その瞬間は何者でもなくなるでしょう。そんなときに、利害関係のない趣味のコミュニティーや家族、何者でもなかった頃からの仲間たちなど、「役割」がなくても許されるような、ゆるい居場所をいくつか持っておくのが大事です。
僕がしんどいときに思い出すのは、23歳のときにシェアハウスで対談させていただいた、コピーライター・実業家の糸井重里さんの言葉です。シェアハウスの活動を見た糸井さんは、「きみがやっていることは、大学院の研究みたいなものだね」「経済的にもどうなるかわからないけど、一旦やっている。でもそれでいいと思う」とおっしゃってくださいました。糸井さんはコピーライターを辞めて、ウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を立ち上げるまでの数年、毎日釣りをして過ごしていたらしいんですね。そのときは、常に周囲の人に「何をやっているの? これからどうするの?」と聞かれたけれど、「人生を保留にしているんだ」と答えて気にも留めなかったそうです。
「うまくいっている」「いっていない」の二択しかない人生はきつい。でも、「保留中」があったらいい。むしろ人生にはそういう期間が必要だと知ったことで、僕はとても楽になりました。「保留宣言」を出して自分の状況に折り合いをつけていくのも、悩みを深刻化させないひとつの方法だと思います。
■プロフィール
高木新平
1987年、富山生まれ。早稲田大学卒業後、2010年、(株)博報堂に入社。SNSなどを活用したクリエイティブ開発に携わった後、独立。シェアハウス「よるヒルズ」を立ち上げ、住居メンバーを含む仲間たちと、ネット選挙運動解禁を実現した「ONE VOICE CAMPAIGN」などのさまざまなプロジェクトを企画、実現していく。2014年、多様なクリエイターを集め、NEWPEACEを創業、代表に就任。未来志向のブランディング方法論「VISIONING®」を提唱し、スタートアップを中心にこれまで数多くのブランドの非連続成長に携わる。
また、個人活動として、ゲストに向けた起業家の価値観に迫っていくポッドキャスト番組『起業家の思想と人生に迫る インサイドビジョン』(外部サイトに移動します)を配信。
■スタッフクレジット
取材・文:田中瑠子 写真:露木聡子 編集:江連旭(Forbes JAPAN)、佐伯香織(ハガツサ)