古くから職人に受け継がれてきた、日本の伝統技術。時代の変化とともに衰退していくものも多いなか、ビジネスを転換し、技術を後世に伝えている企業も多くあります。今回は、その一つである、愛知県・名古屋の伝統工芸「有松鳴海絞り(ありまつなるみしぼり)」を家業とする「鈴三商店」の5代目であり、「suzusan」のCEO兼クリエイティブディレクター・村瀬弘行氏にお話をうかがいました。
イギリス、ドイツの美術大学でアートを学んでいた村瀬氏は、どうしてドイツでsuzusanを設立し、どのようにしてヨーロッパで確固たるポジションを築いてきたのでしょうか?
20歳で欧州へ。再発見した日本の伝統工芸の価値
――江戸時代から400年続く伝統的な染色技法「有松鳴海絞り」とは、どのようなものなのでしょうか?
まず、木綿の栽培が江戸初期に日本各地に広まりました。有松の近隣の知多群や三河地域でも木綿栽培が盛んに行われ、知多群から有松に移り住んだ8名が、木綿に絞りをし、藍染を施し始めました。それを東海道のお土産として売るようになり、「有松鳴海絞り」として人気の工芸品となったのです。江戸時代に浮世絵師の歌川広重が描いた『東海道五十三次』にも、絞り染めした浴衣の生地を販売している店の様子が描かれています。通行人が足を止めて見ている様子から、ファッションとして注目を集めていたこともうかがえます。
『東海道五十三次之内 鳴海 名物有松絞』 / 歌川広重(提供:キヤノン クリエイティブパークより)
――「有松鳴海絞り」がここまで発展した理由を教えてください。
もともと産業として始まり、「絞り染めをつくって売っていいのは有松だけ」という幕府公認の専売制が250年間続いたため、めざましい発展を遂げていきました。
世界を見てみると、通常1つの地域で生まれる伝統技術は2、3種類ですが、有松では、端から端まで歩いて15分くらいの小さな地域に、100種類もの絞り染め技術が生まれたんです。昔は女性たちが副業的に行っていて、一人ひとつ専門の技術を持ち、分業制をとっていました。反物一つにも、何人もの技術が合わさってつくられていたのです。
村瀬弘行氏
――ご実家は100年以上の歴史がある鈴三商店とのことですが、どういった経緯で家業を継がれたのでしょうか?
私の家は最初の「絵刷り」という工程を代々担当していました。絞り染めをするための型を彫り、布の上に水溶性の「あおばな」と呼ばれるインクで模様をつけて、次の工程を担当する職人に絞り方の指示をするという仕事です。家業を含め一時期は1万人以上の絞りの職人がいて、すごく栄えていたそうなのですが、父の代にはすでに衰退産業となり、後続の職人もいない状況でした。しかし、無理に跡を継がせようという意思はなかったようで、父に「継いでくれ」と言われたことはありませんでした。2008年にsuzusanを立ち上げるまでは、私自身も絞りをやろうとはまったく考えていませんでした。
――では、当時は何を目指されていたのでしょうか?
アートを学びたくて、2003年、20歳のころにお金を貯めて渡英しました。1年間イギリスの美術大学に通いましたが、資金がなくなったので、学費がかからないドイツのデュッセルドルフにある美術大学、クンストアカデミーへ行くことになりました。芸術が盛んな街で、僕が好きなヨーゼフ・ボイス(現代美術家)やゲルハルト・リヒター(画家)もかつてこの学校で教鞭をとっていました。私の妻はアーティストで、同じ大学出身なのですが、彼女はピーター・ドイク(現代美術家)の教え子でした。ドイツの大学は、自分で卒業しますと言わない限り、ずっと学生でいられるんです。結局僕は8年間、2011年まで在学していましたね。
――伝統工芸に取り組もうと思われたきっかけが何かあったのでしょうか?
父親が展示会に参加するためにロンドンへ訪れたことがあり、僕も通訳として手伝ったんです。そのときに家業の仕事を見てはじめて面白いと感じました。またさらに面白いと感じたのは、日本では「伝統工芸だね」「おばあちゃんの着物だ」と、ステレオタイプな反応をされがちでしたが、海外の人たちは「なにこれ?」と、まったく新しいものを見たときのダイレクトな反応をしてくれて。そこで「先入観さえなければ、伝統工芸はすごく面白いものなんじゃないか」と思ったんです。
展示会の期間中、ロンドンにある妻の恩師であるピーター・ドイク氏のアトリエに宿泊させてもらったのですが、そこで彼が所属しているギャラリーのオーナーに、父がつくったテキスタイルを見せる機会がありました。そしたらすごくたくさん買ってくださって。高額の作品を取り扱うコンテンポラリーアートの超目利きが、日本の伝統工芸を見て「美しい」と思うんだと、ハッとさせられました。日本では、「自分たちがやっていることに価値がない」とネガティブにとらえている職人が多かったのですが、それはすごくもったいないこと。伝統工芸も数億といった値段のつくアート作品と同じ位置に立っていい、別の場所へ持っていくとまた新しい価値が生まれる可能性があることに気づきました。
suzusan2021年秋冬コレクションより。厳選した素材を使い山形県で編まれたウールニットガウン、プルオーバーをベースに絞りが施されている
――そこから、「suzusan」を立ち上げるアイデアが生まれたんですね?
ええ。展示会を終えてドイツに戻ってから、当時アパートをシェアしていたドイツ人のルームメイトに、ロンドンでの出来事や、有松・鳴海絞りの歴史や技法について話したんです。そしたら彼も興味を示してくれて、「面白いじゃん、もっと教えて」、と。日本で重宝されている事実を知らずとも、シンプルに魅力を感じてくれる外国人がいることを確信しました。
しかも彼はビジネスを学んでいて、「一緒に何かやってみようよ」と提案してくれたんです。そこで、有松鳴海絞りの技術を用いて、何かやってみたいと思い、suzusanを立ち上げたんです。まあ、立ち上げは若気の至りでしたけれど(笑)。
――彼がいなければ、suzusanはなかったかも……?
そうですね。それまでの僕は、家業に面白さを感じつつも、アートを仕事にしようと考えていましたし。それに、日本人が海外で伝統工芸の服を売るというのはあまりにも大変で、二人じゃないとできなかったと思います。2020年まで12年間、ビジネスパートナーでした。
彼が経営を担い、僕がデザインを手がける。いままで二人三脚でやってきました。ときには壁にぶつかりながらも、ともに全力で駆け抜けてきた12年間がいまのsuzusanの土台となっています。異なるパーソナリティー、文化や価値観を持ちながらも、お互いを尊敬し合いsuzusanを一緒につくり上げてくれたことは僕にとって最大の幸運でした。お互い年齢を重ね別々の道を歩むことになりましたが、彼とはいまでもいい友人です。
店舗に商品を置いてもらうには「地道な努力」と「共感」が必要
――どのように販路を広げていかれたのでしょうか?
最初の4、5年は、展示会に出展するお金もないので、直接営業をかけていく方法を取りました。とはいえ、まったくの無名ブランドですから、電話やメールでアポイントを入れても相手にされません。ストールなどの商品を車に詰めて、ヨーロッパ各地のお店を突撃訪問で売り込んでいきました。
その当時、一番のハードルは価格でした。ストール1枚に7、8万円といった値をつけているのですが、ヨーロッパの人たちは、「有松の伝統工芸」なんて知りません。どの店でも「なぜこんなに高いの?」と言われました。そこで私たちは、「厳選した素材に、手仕事で一つひとつ染めている。こだわった結果、高くなったのだ」と、背景を丁寧に伝え、理解してもらう努力をしました。
――「有松鳴海絞り」の価値を伝えるうえで、どういったことを意識されたのでしょうか?
伝統工芸の押し売りをしないということですね。衣類は実用品なので、色や着心地、シルエットの良さも大切なポイントです。まず商品自体の質の良さを伝え、「良いものだから着たい」と思ってくれたときに、伝統工芸という背景が後押しになるというアピール方法を取りました。
あとは、メゾン マルジェラやヨウジ・ヤマモトなど同価格帯の競合であるハイブランドと並べてもらえるよう、とにかく全体的なクオリティーを高めること。さまざまなお店を回っていると、断るための理由として、お店の人が商品にダメ出しをしてくるんです。色やデザイン、素材、値段などについての指摘を有益なものとしてとらえ、改善できる部分は反映してまた訪問するというのを何度か繰り返していると、「ニーズに合いそうだし、うちの店に置こうか」となるんです。さまざまなお店に行くことはマーケットを知ることにもつながるので、勉強にもなりました。
――suzusanは、現在23ヶ国以上で取り扱われるブランドになっていますが、海外に主軸を置かれた最大の理由はなんだったのでしょうか?
現在、suzusanの売り上げの87%は欧州を中心とした海外です。日本だとどうしても、「おばあちゃんのもの」「伝統工芸品」というカテゴライズや線引きが入ってしまいますが、有松や有松鳴海絞りを知らない海外の方たちに認められれば、ブランドバリューがつき、新たな価値を生み出せると思ったからです。
そう信じて、ヨーロッパを中心に、自分の足で各国を代表するようなセレクトショップへ出向いたのも良かったと思います。本当に素晴らしいセレクトショップのバイヤーは、常連の方の情報がすべて頭に入っているんですよ。そのデータをもとに、何がお客さんに合っているのかを判断し、商品を提案している。そういったかたちで商売をしている人たちに、直接商品の価値を訴えかけて、理解してもらえたら強いですよね。お客さんも、「本当に自分が買うべきものなんだ」と思って購入していただいていると思っています。
以前、ハイブランドの服を扱うセレクトショップから「お客さんからsuzusanの次の入荷はいつ? と聞かれたの」と連絡が来たんです。そのとき、初めてsuzusanがブランドとしての市民権を得たことが実感できました。本当にうれしかったですね。
ミラノの高級ブランド街の中心にある老舗セレクトショップ「BANNER」にて、suzusanの衣服が販売されている様子
■プロフィール
村瀬弘行
1982年名古屋市生まれ。株式会社スズサン / suzusan GmbH & Co.,KG 代表取締役 CEO兼クリエイティブディレクター。名古屋芸術大学テキスタイル学科客員教授。2003年に渡英し、サリー美術大学を経てドイツの美術大学・クンストアカデミーデュッセルドルフへ。在学中の2008年、suzusan e.K. (現 suzusan GmbH & Co.,KG)を設立。自社ブランドsuzusanを世界に広げながら、鈴三商店の5代目として有松鳴海絞りを次の世代につなげる活動を行っている。suzusanの商品を実際に手に取って試せる場として、秋以降も都内や中部地方にてポップアップを開催予定。詳細はウェブサイトより。
suzusan ※外部リンクに移動します
suzusan Online Store ※外部リンクに移動します
■スタッフクレジット
取材・文:宇治田エリ 写真提供:suzusan 編集:服部桃子(CINRA)
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