Private|漫画もボードゲームも構造的に見るのが好きで、そこから学べることも楽しい
十三代 中川政七氏。学生時代はサッカーに打ちこみ、今もプライベートでフットサルをプレーすることがあるという
──経営者は日頃どんな毎日を送っているのか、そのビジョンや思考はどのようにして培われたのかを知りたく、まずはプライベートについてご質問させてください。忙しい毎日を送られていると思いますが、私生活におけるルーティンやリラックス方法はありますか?
ストレッチはここ最近続けていますね。2年ぐらいですかね、毎晩のようにやっています。体がそこら中、痛くなって整形外科で見てもらったら、ストレッチをした方がいいと言われて。続けるとホントに良くなるんですよね。それで、どこか痛くなるたびにストレッチのメニューを増やしているので、どんどんルーティンが増えるんですよ(笑)。
──プライベートでの趣味はありますか?
学生時代からずっと続けているのはボードゲームですね。経営者仲間とやることもあります。
ボードゲーム好きではないと知らないと思いますけど『エルグランデ』とか結構本気のボードゲームです。もう少し一般的なものですと『カタン』とか。最近、うっすらとボードゲームブームがあって、『カタン』は知っている人も多いんじゃないかと思います。僕からすると、カタンはボードゲームの“入口”ですけど(笑)。
ボードゲームってそれぞれのゲームシステムや構造があって、それを読み解いて、その世界観をかぶせてこうやるんだ、と考えたり、作る側の観点を理解したり、本当に奥が深いんです。もう30年やっているんで、ボードゲームの時代の移り変わりも面白いですね。昔のボードゲームって、相互干渉というか、戦うものが多かったんですけど、それが今はどんどん互いの干渉が薄いゲームが増えてきて。それも時代、世代によるものなのかなと。
最近は研修などにボードゲームの要素を入れたり、企業が世界観を伝えるためにボードゲームを開発したり、それを請け負う人たちもいたり、とビジネス界隈にも一つの潮流としてあるそうです。
──ボードゲームにハマったきっかけというのは?
割と最初から本格的なボードゲームで遊んでいましたね、一度やり始めると5時間はかかるような。テレビゲームで当時流行っていた『信長の野望』や『三国志』の原型となったボードゲームなんかをやっていました。腹の探り合いや騙し合いみたいな駆け引きが楽しかったですね。
中川氏の私物のボードゲーム。MONOPOLYやカタンなど名前の知られたものから、エルグランデをはじめとした「結構本気」のものまでそろう
──歴史ものもお好きですか?
そうですね。小説はよく読んでいました。特に好きだったのは司馬遼太郎さんの『国盗り物語』です。僕は幕末よりも戦国時代の方が好きで。あと吉川英治さんの『三国志』ももちろん好きでした。
──三国志は小説だけでなく、漫画も多く出版されていますよね。
漫画も読みましたよ。曹操が主人公の『蒼天航路』なんかも読みました。漫画は皆さんが引くぐらい読みます(笑)。子どもの時からいろいろな漫画を読んでいて、大学時代は週刊誌5、6誌と、月刊誌3誌ぐらい読んでいたので、本当に忙しかったですね(笑)。
でも、社会人になる時に一切やめました。これからは勉強をしようと、ビジネス書を読むようになりました。そこで僕の漫画好きは一度途切れるんですよ。だから『ONE PIECE』なんかは好きな漫画ですけど、読んだのは始まってからだいぶ後です。
──いつから“漫画好き”は再開されたのでしょうか?
2010年です。その年の誕生日に社員一同からONE PIECE60巻をプレゼントしてもらったんです。その少し前に、友達から面白いと聞いていて、タイトルをよく覚えていないままそれを別の誰かと話していたのを社員が聞いていたみたいで。でもよくよくその友達に聞いてみると、面白いと教えてくれた漫画は『NARUTO』だったみたいで(笑)。でも、それがきっかけでまた漫画を読むようになりました。
──これまでたくさんの漫画を読んでこられたと思いますが、仕事においての良いインスピレーションを受けたり、あるいは影響を受けたりした部分などはありますか?
漫画の何が楽しいかと言うと、その漫画をとおして、自分の知らない世界の常識や構造、仕組みを学べるところですね。私生活やビジネス書では得られない情報を身につけることができ、それによって知識の幅が広がるというのは大きいです。ボードゲームもそうなんですけど、構造的に見たり考えたりするのが好きで、そこから学べることも楽しいですね。
──特に影響を受けた漫画を教えてください。
いろいろありますけど、1つに絞るなら『め組の大吾』です。
2012年頃だったと思うんですけど、仕事で燃え尽き症候群みたいになった時期があったんです。その時に、もう一度、やる気を取り戻させてくれたのが、め組の大吾だったんです。
僕は普段そんなに泣かないんですけど、『め組の大吾』を読んだ時だけはめっちゃ泣くんです。何で泣くんだろうって考えてみると、困っている人たちがいて、でも希望は捨てず、そこにヒーローが現れてっていういわゆるベタな構図で。そこがアツくなるところなんです。僕らがやっているコンサルもある意味、同じ構図なのかなと。
コンサルって、やる側もつらいんですよ、本当に。当時は自社の経営を自分が全部やっていて、プラスして、コンサルを何社も受け持っていて。その最初の5社の業績が劇的に伸びて、ひと段落ついた時に燃え尽きちゃって。
中川政七商店では「日本の工芸を元気にする!」というビジョンを掲げています。このままずっと続けていくことで日本の工芸は元気になるとは思うんですが、いつまで続ければ、何社やれば、と考えると果てしない気がしてきて。でも、『め組の大吾』を読んで、主人公にとって消防士が天職であるように、僕にとってこれが天職なんだと考えると、腹をくくれるというか、納得ができるというか。厳しい状況に置かれても前を向く、やるしかないんだなと、もう一度やる気を取り戻すことができました。
鹿猿狐ビルヂング エントランス
──ちなみに、私生活において大切にしている価値観はどんなことでしょうか?
最近になって自分の中で整理できてきたことなんですけど、やっぱり学びと成長があるということが根源的な喜びなのかなと。新しいことにチャレンジしてうまくなる、やっぱりそれが楽しいんですよ。なるべく、そういうことに時間をかけていきたいですね。
この前、6月、7月と2ヶ月休んで、ゆっくり考える時間を作ったんです。その時に、会社としてのビジョンは明確だけど、人としてどうやって生きていくか、死ぬまでどう過ごすか。そんなことを考えていて、やっぱり学んで実践してうまくなって、ということが常にないと楽しくないなと。
──今の生き方や仕事のスタイルに影響を与えたような、ご自身にとって大きな出来事はありましたでしょうか?
だいぶ古い話なんですけど、小学6年生の時、中学受験を終えて進路が決まった後に、珍しく父親から呼ばれて「そこに座れ」と。あまりないことだったので、何かしたかな? 怒られるのかな? と思ったんですけど、父親から「言っておくことがある」と言われ、続けて「これからはもう、お前の好きにしていい。自分で決めろ、その代わり自分で責任も取れ」と。
その時は何を言っているのか全然わからなくて。当時はうちにはテレビがなくてファミコンができなかったんで、それを聞いた時に「ついにファミコンができるな、最高やな」って思ったんですよ(笑)。
でも、その言葉が後からじわじわ来るんですよね。時間が経つにつれて意味がわかるようになって、だんだん重く受け止めるようになって。父親が亡くなった時、お葬式で喪主として何をしゃべろうかと思ったんですけど、それを思い出してお話して。やっぱり自分にとって大切な話だったんだなと。
「自分で決める」、「選択する」、「その責任を取る」。とても大切なことだと思いますし、自分で決めたなら後悔もしないですし、ぐちぐち言うこともなくなる。こういう今の自分の基本的な考え方は、父のあの言葉から身についたんだと思っています。
Business|社長退任もまちづくりも「日本の工芸を元気にする!」というビジョン達成の手段
仕事ではセットアップを着ることが多いそうだが、ネクタイを締める機会は少ないとのこと
──ここからはビジネスについて、まずは改めてこれまでのキャリアについてお聞きします。大学を卒業して、最初は家業を継ぐ予定ではなかったそうですね。
何も考えていなかったですね。その時は家を継ぐとも、継がないとも考えていませんでした。大学は法学部だったんですけど法律はもうお腹いっぱいだなと思って、それで最終的に富士通に入ったのも、ソニーが好きでそういうカッコいい電子機器メーカーで働ければ、というぐらいで(笑)。
──その2年後に、家業の中川政七商店で働き始められました。
富士通は超大企業で、次のステップに上がるまでに最低10年はかかると。そのスピード感がちょっともどかしいなと感じて。大企業だから当然なんですけど、自分で物事を進められて、責任を持つことができる小さな規模の会社の方がいいかなと。
転職するにあたって自分の中で3つの条件があって、中小企業で、これから伸びそうで、IT企業以外、という条件で探していました。ただ、その当時は今のようにインターネットの転職サービスがあまりなくてなかなか見つけられなかったんです。そんな中で中川政七商店は中小企業で、非ITで、ちょうど母が手がけている麻小物の店が東京に出店していて今後伸びる会社なのかな、と思って、条件としてはバッチリだぞと。
で、休みの日に実家に帰って、父親に「富士通やめて戻ってこようと思う」って言ったら、まさかの「あかん」っていう返答で(笑)。「たかだか2年でいい仕事ができてる気になってるけど、それは会社の看板でできてるだけで、お前の力違うぞ。それに戻ってきても、この業界も先行き明るくないからやめとけ」と。でもこっちも引っこみがつかないので「給料安くてもいいです。自分で稼ぎます」って言って入れてもらいました。
──急に経営に関わられるようになったんですね。
法学部でしたし、富士通でSEを2年やっただけで経営については何も知りませんでした。それで家業に入ってから経営について勉強をし始めたんですけど、学ぶ環境としてはとても良かったと思います。実践しながら学ぶことができたので。勉強して、実践して、たくさん失敗して、改善して、と最初はその繰り返しでした。
──過去のインタビューで、中川政七商店に入って数年経って、企業としてのビジョンの必要性を感じた、というお話がありました。
最初は赤字の事業部を立て直すところからスタートして、必死に働いて黒字化まで持っていきました。ただその目標に到達してみると、経営者としていったんやることがなくなるんですよ。それでいろいろなことを考えるようになって、そもそも何のために働いているのかとか、うちの会社は何のために存在するのかとか、そういうことを考え出して、この先20年、30年と続けていく中でやっぱり会社のビジョンは必要だなと。そういうことを何となく考えていたのが2年ぐらいあって、ある時、すっと降りてきて、それが今のビジョンである「日本の工芸を元気にする!」なんです。
──企業改革の1つとして、垂直統合のサプライチェーンを構築されました。
ビジョンを策定したことも、サプライチェーンを変えたことも、必要に迫られて取り組んだんですよ。最近ではミッション、ビジョン、バリュー、パーパスを基軸にした経営が注目されているようなところがありますけど、それに乗っかったつもりはなくて、会社を経営していく、持続していく中で必要だと感じてやってきただけで。あくまで問題解決の延長で、そこに“特別な意思”はありませんでした。
──2009年にスタートさせたコンサル事業でも順調に実績を重ね、2018年には、14代目にして初めてとなる、創業家以外の千石あや氏に社長の座をゆずり、ご自身は会長となられました。
これも問題解決なんですよ。僕は社長としていろいろなことをやってきて、それなりにうまくできたとは思います。でも、できなかったことの1つとして、ミドルマネジメント層の育成がありました。
僕が1トップで会社を引っ張る形は、規模が小さいうちはスピード感も速くて良かったんですけど、会社が大きくなっていく中でこれではダメだろうなと。例えば、同じ業界だと無印良品さんのような会社の規模、完成度、速度を目指すには、僕1人では全く差が縮まらない。無印さんはたくさんの“頭”があって、でもうちは僕の頭だけ。同じ経営的な視点で話せる人間を作らなくてはいけないなと。
それでいろいろ考える中で、僕が社長を辞めればできるんじゃないかと。他にもありましたけど、それが大きな理由ですね。
──中川政七商店の奈良本店が入った商業施設「鹿猿狐ビルヂング」が生まれたのもその一環かと思いますが、会長に就任されてから「まちづくり」に注力されていますが、どんなきっかけで取り組まれたのでしょうか?
実は、まちづくりやコミュニティなどに特別な興味があったわけではなくて(笑)。これもまた僕にとって問題解決の1つの手段なんです。日本の工芸は、分業制という形を取って産地全体でものづくりをしていることがほとんどです。「日本の工芸を元気にする!」というビジョンを達成するために、まず地域で輝く“産地の一番星”を作る。それを方針としてコンサルを行ってきました。
でもこの業界の衰退スピードは思った以上に早くて、このままではサプライチェーンが壊れる。1社が元気になっても、その前後の工程がつぶれたら意味がない。ではどうしたら生き残れるか。これは産地単位、街単位で見ていかないといけないなと。垂直統合の形を作りながら、同時に人を呼びこむことも進めていかないと衰退に追いつかなくなってしまう。産業観光の目線でまずは地元の奈良で実践し、その姿を見せようと考えて取り組み始めたんです。
鹿猿狐ビルヂング1、2Fに入る中川政七商店 奈良本店(写真は2F)
──さらに2022年にはPARADE(パレード)株式会社を立ちあげ、本名の中川淳というお名前で代表取締役社長に就任されました。
パレードは「いい会社がたくさんあれば社会が良くなる」という思いでやっています。僕はいい会社の条件は3つあると思っていて、1つは利益を出すこと、これは株式会社であれば当たり前のことです。2つ目は、人権問題や環境問題といった社会の共通善に十分に配慮していること。今の時代は無視できないテーマなので。世の中的にはこの2つが重要視されていると思います。
そして3つ目が志やビジョンといった個別善。会社にはそれぞれが目指すべきビジョンがあるはずで、ビジョン達成に向けてどれだけ愚直に取り組んでいるか、が問われていると思います。それら3つの軸がちゃんとそろった会社がいい会社と僕らは定義していて、今参画している15社はそういういい会社になろうと努力を重ねていますし、僕らがその後押しをできればと思っています。
世の中の風潮としても、いい会社から商品を買いたいと思っている人が増えていると思うんですよ。ブランドが提示するライフスタイルも大切ですが、さらに今は、会社の哲学やビジョン、取り組みも含めて買うようになった。逆に言うと、どれだけ世界観が良くて商品が良くても、環境に配慮していない会社からは物を買いたくないって思う人が増えてきたんです。
僕らはそういう企業やブランドの哲学やビジョンを「ライフスタンス」と表現しているんですが、それは長年の行動でしか伝わらないものなんですよ。自分で言ったらおしまいみたいなところもあって、誰かが代弁しないといけない。その役割をパレードが担っていければなと。
企業が良くなるお手伝いをして、その企業を世の中に届けていく。パレードではそんな取り組みをしています。「いい会社とライフスタンスエコノミーを作る」をビジョンに今後も活動していきます。
──経営者として重要な決断をされてこられたと思いますが、判断軸として大切にされている考えなどはありますか?
どれだけロジカルに考えても限界がある、ということをよく理解しておかないといけないと思っています。経営は、学校の試験とは違って、必要な情報がすべてそろっているわけではないですし、どれだけロジカルに考えても必ずうまくいく方法は存在しません。もちろんロジカルに考え抜くことはしますけど、論理で解決しない部分があることは常に頭に入れて、物事を進めるようにしています。
「鹿猿狐ビルヂング」には中川政七商店(写真)が入る他、300年の歴史を紐解く「時蔵」や「布蔵」も併設
──この先5年、10年の中長期的な目標を教えてください。
中川政七商店としては、「日本の工芸を元気にする!」というビジョンを達成することですね。果てしない目標ですけど、僕らの中ではゴールを設定していて。10年は難しいですけど、最速で20年でその目標に届かせたいなと。
僕個人としては、やっぱり学んで、実践して、うまくなることが楽しいっていうのが根源的に大切なことだと思うので。
5年後、10年後、何をやっているかわからないですけど、常に新しいチャレンジをして、もちろん年とともに衰える部分はありますけど、成長できる部分もあるのでその成長を実感できる人生を送っていきたいと思っています。
──最後に、経営者の皆様にメッセージをお願いします。
今は地方の中小企業にとってすごくいい時代だと思うんですよ。これだけ情報インフラも、移動手段も整っていて、昔だったらどれだけいいことをやっても発見されなかった、人が来なかった中で、今は地方の小さなお店で何億円も売上をあげているところもありますし。どこを拠点としていても、景気が悪くても、そういう追い風が吹いているんですよ。
だから、小さなことに嘆いていないで、まずは自分の手の届く範囲でやれることをやって、大きな目標があるなら、周りを巻きこんで、強い推進力で進めて、それができれば必ず明るい未来が待っていると、僕はそう思っています。
■ プロフィール
中川政七(なかがわ・まさしち)
本名:中川淳(なかがわ・じゅん)
株式会社中川政七商店 代表取締役会長/PARADE株式会社 代表取締役社長
1974年、奈良県生まれ。京都大学法学部卒業後、2000年に富士通株式会社に入社。2002年に 家業の株式会社中川政七商店に入社、2008年に十三代社長に就任し、2018年より会長を務める。2021年にPARADE株式会社を設立し、本名の中川淳として代表取締役社長に就任。企業やブランドのビジョン・思想を「ライフスタンス®」と提唱し、新しい経済の形を生み出している。
中川政七商店(外部サイトに移動します)
PARADE株式会社(外部サイトに移動します)
■スタッフクレジット
取材・文:安田勇斗 写真:近藤宏樹 編集:THE OWNER編集部