体験してもらうことが商品を伝える説得力になる
チョコレートの原材料となるカカオ豆(Bean)の仕入れから、板チョコレートなどの製品化(Bar)までの工程を一貫して行う「Bean to Bar」。アメリカやヨーロッパでは2010年代からじわじわと人気に火がつき始め、今や大きなムーブメントとなっています。そんな「Beat to Bar」のチョコレートブランド「Minimal(ミニマル)」を、日本で他に先駆けて展開したのが山下氏です。日本ではまだまだ「Bean to Bar」の知名度が低かった2014年のことでした。
山下氏は、「まだ日本でやっている人が少なかったことと、実際にBean to Barのチョコレートを食べて感動したことが、Minimalを始めた理由」と話します。
「また、労働人口が減少していく日本が世界にプレゼンスを示すには、日本のモノづくりにフォーカスする必要があるのではないかとも考えていました。その点、チョコレートは世界共通の食材ですし、発酵という工程も日本人に馴染みがあり、カカオと砂糖という素材だけを使って様々な味わいを引き出していくのも和食的だと思いました。西洋から入ってきたチョコレートを日本のモノづくりの技術で再構築し、アップデートしたうえで世界に戻していく。そんな流れがつくれたら面白いなと、直感的に思ったのです」(山下氏)
渋谷の中心から少し外れた住宅街である富ヶ谷の地で、最初のショップをオープンしたのは2014年12月。まだほとんどの人に知られていない「Bean to Bar」のファンを増やすため、重視したのが「体験の機会を増やすこと」でした。
「もちろん根幹にあるのは、食べる人に驚きを与えられる高品質なチョコレートを一つひとつ丁寧に作るという真摯な姿勢です。とはいえ、そうして素晴らしい商品を作っても、消費者に届かなければ何も始まりません。そこで重要になるのが多くの人に体験してもらうこと。だからお店ではオープン当初から、実際にさまざまなチョコレートを無料で食べ比べてもらえるようにしています」(山下氏)
店頭に多くの種類が並ぶチョコレートを実際に試食させてもらうと、カカオ豆の産地や砂糖の種類、その配合比率が違うだけなのに、リンゴやオレンジなどの果実感のある風味やスパイスが感じられるものなど、まったく異なる味わいが楽しめることに驚きます。
「誰も知らない商品をただ説明するだけではなかなか振り向いてもらえませんからね。体感してもらって、実感してもらえるようにしています。そうして体験いただいた驚きや感動が説得力になり、ようやく商品に興味を持ってもらえるんです」と、山下氏は話します。
富ヶ谷の静かな住宅街に構えた本店。新しい「食の体験」ができる場所として地元の人にも愛されている。休日には近くの店をはしごするファンもいるそう
ブランドは球面。多角的な発信で接地面を増やす
富ヶ谷本店に加え、代々木上原や祖師ヶ谷大蔵にもショップを構え、11月24日には麻布台ヒルズにも新店をオープン。新しいチョコレート体験を、順調に広げている山下氏。製品を体験してもらう機会を多く設けることに加え、創業から地道に続けてきた「PR活動」も順調な成長の要因です。
「例えば、チョコレートのブランドとして製品についてのリリースを出すのは当然ですが、その他にもサスティナビリティに向けた取り組みだったり、ブランド運営やマーケティングの観点で実際に得たノウハウや気づきをビジネスパーソン向けの記事に書いてみたりもしています。オウンドメディアでの情報発信を通じて、創業から取り組んできたことや自分たちの特徴にきちんと光を当て、適切なところに届ける努力をしています」
山下氏がそう話すオウンドメディア「JOURNAL」では、パティシエのインタビューや、製品の楽しみ方や開発ストーリー、カカオ産地を訪ねたレポートや、様々な食の達人と山下氏の対談など、多面的な切り口のコンテンツを掲載。年間で約60本にもなる記事の制作に加え、SNSを使った情報発信などはすべてMinimalのスタッフが担当します。それだけではなく、Minimalブランド体験=UXをテーマとした公式note、そして山下氏がリアルにブランド経営の学びを公開しているnoteもあります。Minimalが大切にしているこだわりには、あらゆる角度からスポットライトがあてられています。
Minimalというブランドを、「表面積が大きくて様々なところに接地面のある球面だと捉えているんです」と話す山下氏。
「チョコレートについてだけの情報発信をしていると、当然ながらチョコレートに興味がある人にしか届きません。例えば、私たちはフェアトレード以上の価格で海外の農家からカカオ豆を仕入れたり、チョコレートづくりの工程で出るカカオの豆殻を鶏の餌に使って、その鶏が生む卵を製品に使うといった循環型の商品づくりなども行っています。PR活動のためにやっているわけではありませんが、そうした取り組みについてもきちんと発信することで、チョコレートにはそれほど興味を持っていなかったがSDGsに興味がある人にもブランドを知ってもらうことできるかもしれません。インターネットの時代では、誰がどこで引っ掛かってくれるかはわからないですからね。ブランドを知ってもらうための切り口や接地面は、できるだけ多くある方がいいと思っています」(山下氏)
1つ1つのフレーバーやカカオ濃度や製造方法などもビジュアル化されているMinimalの定番商品の板チョコレート。カカオ豆による味の違いを体感できる
人生をかけて、いいものをつくって売っていくことは面白い
ファンを増やすために様々な取り組みを行うMinimalですが、「美味しいチョコレートをつくるために妥協しないことが最も重要」と、山下氏は強調します。そのうえで、開発した商品をつくり手の“独りよがり”では終わらせず、商品を広めるために新たな挑戦を続けているからこそ、Minimalのチョコレートのファンは今もどんどん増え続けています。
そうした新たな取り組みのひとつが、「Minimal collective」というメンバーシッププログラム。「カカオ農家、つくり手、お客さま」が三方良しとなる持続可能な社会を作っていくことを目標としているMinimalらしいこのプログラムは、社会・文化をメンバーと共に作っていきたいというブランドの思いを、「〔全員で〕共有する、共同で作る」という意味を込め、“Collective”と名付けられました。
また、「チョコレートを楽しむMinimal Collective(共同体)というコミュニティを通して、社会によい影響を与えていく」という思想から、6種類ある特典のステージは「Impact」と呼ばれます。「Impact」レベルはオンラインストア・店舗での購入金額に応じて上がり、レベルに応じた特典が贈られる仕組みになっています。
「メンバーシッププログラムを立ち上げたことでよりお客様の顔が見えるようになりました。プログラムでは購入金額に応じてレベルが上がる仕組みを導入しているのですが、驚いたのは10万円以上の購入で達する最高レベルに、開始2ヶ月ほどで到達されたお客様がたくさんいらっしゃったこと。そうしたお客様にお話を聞くと、自分が食べる分だけでなく誰かへのプレゼントなどに当社のチョコレートを選んでくださっていました。それぞれのライフスタイルに応じてお客様がどのようにMinimalのチョコレートを楽しんでくださっているかを知ることができるのは、メンバーシッププログラムの大きな意義だと思います」(山下氏)
メンバーシップを通じたコミュニケーションを通じ、購入者から寄せられる様々な声は、もちろん新たな商品やサービスの開発に活かすことができます。また、リアルなファンの声を社内で共有することで、「日々の励みになることはもちろん、お客様のおかげで自分たちがビジネスを続けていけるんだという実感を持つことに繋がります」と山下氏は話します。
今後も、「チョコレートを、新しくする」というビジョンのもと、日本発の世界で誇れるモノづくり、カカオ豆という素材を最大限に楽しむ“新しいチョコレート”の文化創りへの挑戦は続きます。海外展開をはじめとする新たな計画も進行中だそう。
「Minimalのブランドミッションをより広げていくためには、少しずつでも規模を拡大していくことは大切。ショップを始めた当初は規模を大きくすることは考えていませんでしたが、今は色々な人の力も借りながら『Bean to Bar』のムーブメントをより大きなものにして、Minimalを社会にとっても意味のあるものにしていきたいと考えています。まだ知られていないチョコレートの楽しみ方は無限にあると思いますし、自分たちがわくわくできてお客様も喜んでくれそうなことをベースに、今後も色々なことを仕掛けていきたいですね」(山下氏)
笑顔からもわくわくが伝わってくる山下氏には、ビジネスオーナーやつくり手としての仲間でもあり、良き相談相手にもなっている方が数多くいるそうです。
「僕自身には大きな力はありませんが、社内の優秀なメンバーや、様々な場所で知り合う尊敬できる経営者の方々など、本当に多くの仲間に恵まれ、色々な場面で助けてもらっています。Minimalがこうして成長できているのは、そうした周囲の人たちのおかげ。今後も経営者としてどんどん行動して、チョコレートを中心にした仲間の輪をさらに広げていきたいと考えています」(山下氏)
さらには、「自分たちもそうですが、例えばお店の人やつくり手の想いが消費者に届けやすかったり、効率だけ見るとなかなか扱いにくい商品を扱えたり、小さなショップだからこそできることはたくさんあります。個性豊かで小さなショップがたくさんあるのが日本の魅力。個人的にはこれからはスモールショップの時代だと思っています」と、山下氏。
最後に全国の個人経営のショップオーナーに向けたメッセージをお願いしたところ、弾ける笑顔で力強く一言。
「ともに頑張りましょう!」
■プロフィール
山下貴嗣
株式会社βace 代表取締役CEO。1984年岐阜県生まれ。大学卒業後、リンクアンドモチベーションに新卒入社。数多くの企業のコンサルティング業務に従事する傍ら、新規事業の立ち上げにも参画。2014年、「Bean to Bar」文化に出会ったことをきっかけに起業。現在は、富ヶ谷や代々木上原、祖師ヶ谷大蔵、麻布台ヒルズに店舗を構える。
Minimal(外部サイトに移動します)
■スタッフクレジット
記事:西田嘉孝 写真:遠藤宏 編集:ニューズウィーク日本版