27年間の現役生活は“後悔ばかり”
2019-20シーズンで27年に及ぶ現役生活から引退されました。まずは27年間を振り返って、いかがでしたか?
27年の現役生活はあっという間だったと感じています。とにかく後悔ばかりで時間が過ぎていきました。「やり切った」という思いも、はればれとした感覚も特にありません。よくアスリートが引退会見で「後悔はない」といったコメントをしていますが、僕は正直後悔ばかりなので、「みんな本当かな?」なんて思っています(笑)。
引退の決断自体は即決でした。Bリーグのシーズン(2019-20シーズンは2019年10月開幕)が始まる1カ月ほど前、来季や数年後ではなく今季がそのタイミングだと思い、心を決めました。理由は、日本のバスケットボール界で僕は確かに一時代を築いてきたという自負はありますが、今自分がプロ選手としてチームの戦力になっているのかと疑問に感じたことが一つ。このまま続けても自分自身が納得できないし、お金を払って見にきてくれるファンも納得できないでしょうから、引き際が大切だと考えました。
また、NBAで活躍する八村塁くんをはじめ、どんどん若い選手が出てくる中で、次の世代に引き継ぐタイミングだと感じたことも理由です。選手としてプレーを続けることではなく、プレー以外の部分で日本のバスケットボール界を良い方向に変えていくことがこれからの自分の仕事ではないか、そんな風に思いました。
僕はプレーイングマネージャーとしては力不足で、レバンガ北海道を日本一に導けませんでしたが、チームも僕がいなくなることでガラッと変わるでしょうし、常勝チームを築くには自分が今このタイミングで退くのがベストだと考えました。
限られた時間に集中して質の高い練習を続けた
49歳(シーズン終了後に50歳)まで現役を続けてこられた秘訣は何でしょうか?
まずは何といってもケガをしなかったことですね。僕自身、運動神経は一般の方と大きな違いはないと思っており、アスリートとしての才能や能力が特に優れていたわけではありません。バスケットボールも、僕より才能があり、うまい選手はたくさんいます。
基本的なパフォーマンスは、年齢を重ねていくとどうしても落ちていきます。若い選手と比べるとそこはどうしても劣ってしまうのですが、僕はもともと天才系ではないので、若いときから自分がやるべきことは何かをとにかく考え、工夫し、それを実践してきました。出会いなど様々な運に恵まれたこともあると思いますが、能力も才能もないことを自覚していたからこそ、逆にここまでできたのかなという思いがあります。
チームの練習以外の時間にトレーニングをすることはほとんどなく、与えられた時間の中で、いかに全力を尽くして質の高い練習をするかを心がけていました。そのために、「イメージ」「意識」「集中」の3つを大切にしました。まずは、日頃から試合のイメージを持って練習する。その際、どういう部分に注視してこの練習に取り組まなければならないのかを強く意識して取り組んできました。そして、一日に与えられた数時間の練習のときはとにかく集中することを心がけました。
体・心・時間のマネジメントの重要性
そのスタイルによって日本のバスケットボール界でトップの実績を残してきたわけですが、結果を出すために重要なことは何ですか?
バスケットボール選手だけではなく、どのような職業にも言えることですが、僕は「体」「心」「時間」の3つのマネジメントが大事だと考え、心がけてきました。健康でなければアスリートもビジネスパーソンも結果を残せませんから、体のマネジメントが重要であることは言うまでもありません。特別なことをするというよりは、休養や食事に意識を配るのは当たり前のことです。僕は大学を卒業して引退するまで、体型も体重もほぼ変わりませんでした。
心のマネジメントについては、バスケの試合中はもちろん、ビジネスでもミスは必ず起こります。僕はシューティングガードという、シュートを打つ役割のポジションでしたが、どれだけ練習してどれだけ実績を積もうが、シュートが100%入ることなどありえません。ですので、シュートを外しても「失敗に囚われない」ことがとても大事です。ミスをするとどうしても気になってしまうものですが、気になるということは囚われているということ。そうすると再びシュートを打ち続ける勇気が持てなくなるので、僕は失敗しても気にしないと心に決めていました。
時間は、世界中の誰に対しても唯一平等に与えられる資産だと思っています。僕は、常に一分一秒、自分に残された時間が削られていると考えています。この時間をどう使っていくかも自分次第ですから、成功に近づくためには時間のマネジメントが非常に重要です。具体的には、まず自分の中で一日の計画をしっかり立てます。他の2つのマネジメントともつながってきますが、健康であるためにはきちんと食事と睡眠を取らなければいけませんし、心のためには何もしない時間や自分を見つめ直す時間も必要なので、そういった時間も含めて日頃の生活のパターンを確立していました。「忙しい」と一言で済ませるのは簡単ですが、組み立て方次第で必要な時間は必ず確保できるものです。
経営者としての責任を痛感しながらポジティブに取り組む
2011年からはプレーイングマネージャーとして、選手を続けながらレバンガ北海道の経営者も兼任されました。
僕自身、経営の経験などまったくありませんでしたし、周囲からは選手と経営の二足のわらじは不可能だと言われました。ただ、練習でも試合でもとにかくコートに入ったらバスケだけに集中する、反対にコートから出たらバスケのことは一切考えないというように、イメージと意識を完全に切り替えました。それぞれに集中できれば問題はない、できるはずだと考えていました。
引退した今、選手に戻りたくなる瞬間はありますか?
選手に戻りたいとはまったく思わないですね(苦笑)。僕は現役選手として27年間、学生時代も入れると人生の7割以上バスケットボールをしてきたわけですが、バスケが楽しいという感覚は持っていませんでした。そもそも勝負の世界ですから、勝たなければいけない。勝つことに向けた情熱と、そこに対する覚悟は持っていましたが、勝ちにいくことを考えると楽しむ余裕が僕にはありませんでした。もちろん現役選手を引退した今なら、何も背負っていないので、バスケを楽しいと感じるかもしれませんね。
これまでは二足のわらじでしたから、バスケットボール選手として過ごす以外の時間のほとんどを会社の代表であることに費やしてきました。今は選手としての現役は終え、自クラブの経営はもちろんですが、これからのバスケットボール界のために自分は何ができるのかということに集中しています。経営についてもバスケットボールと同様、楽しいという感覚ではなく、責任を全うしなければいけないという思いばかりです。
レバンガ北海道というクラブにとっても、今は非常に難しい状況です。先が見えないものですから、当然、社員やクラブに関わる人たちも不安に思っているはず。その不安を解消するのも僕の責任だと感じているので、なおさら楽しむ余裕はありません。
現状、コロナ禍でどうしてもネガティブな気持ちになってしまう人が多いことでしょう。しかし、ネガティブ発想では物事は解決しません。そこに囚われず、ポジティブに考えていかないと、良い結果は出せない。僕はその思いで取り組んでいます。
コロナで消えたチケット収入と消えなかった広告収入
コロナの影響で、Bリーグの2019-20シーズン(2019年10月~2020年5月)は3月に中断、結局そのまま中止となりました。経営面ではどのような影響がありましたか?
北海道でのホームゲームも30試合中9試合が中止になりました。クラブの収益の柱は試合の興行収入(チケット収入)とスポンサー収入(広告料)で、この2つが約7割を占めています。ですから9試合も中止となったことはかなりの打撃となりました。2019年6月期決算での総売上は約7億9000万円、興行収入は約2億2000万円でしたが、1億円近くがホームゲーム中止で消えたわけです。それも、僕の引退試合が計画され、売れ行きが良い中での中止ですので、なおさらダメージは大きかったですね。
その上、シーズンが途中で終わっているわけですから、本来であればスポンサー契約上、権益未消化に対する措置をとる必要がありました。しかし、どの企業もコロナ禍で経営状況が苦しい中、「コロナは緊急事態」「不可抗力なので仕方ない」と大半の企業が返金を求めることなく、契約を継続してくれました。「苦しい台所事情の中でも一緒に頑張っていこう」という言葉を多くの企業からいただき、新規のスポンサー数も想定以上に増えている状況になっています。
レバンガは北海道の企業と地域に支えられているチームです。クラブとしても「北海道から明日の“ガンバレ”を」をスローガンとし、創設当初からずっと地域密着で歩んできました(「レバンガ」は「ガンバレ」を反対から読んだもので、公募で決められた)。今回の件で、レバンガが道民の皆さんに支えられていることを改めて強く実感しました。
観客動員半減以下の中、来季に備えて借り入れも
地元に人気のチームだからこそ、思うように観客を入れられない中、チケット収入は依然厳しい状態にあるのではないでしょうか。
確かに非常に厳しいです。現在は観客の入場は収容人員の50%が上限という段階ですし、そもそもバスケットボールは野球やサッカーと違って屋内で行われるので、感染拡大が収まらない状況ではやはり怖いイメージが先立ち、50%にも届かない状況です。チケット収入が半減以下というだけでなく、観客が来なければ会場で購入されるグッズ収入も落ちます。その他、選手によるバスケ教室も今コロナの第3波による影響で施設が使えないことから、思うように開催できていません。要するに、すべての売上が落ちています。
観客動員については今後どう変わるかまだ読めないところがあり、事業計画も収容人員の100%入れる形、50%で乗り切る形、さらに無観客・中止の3段階で立てています。おそらく現状で100%は難しいでしょうから、50%もしくは無観客・中止が現実的だと想定して対策を考えています。
2020年6月の決算はなんとか黒字で着地できました。しかし来年はより厳しい数字になることは間違いないので、その状況に備えて金融機関から借り入れをしています。このお金は、使わずに済めばベストですが、クラブが倒れてしまったら意味がないので、タイミングがきたらためらうことなく使い、シーズンをしっかり乗り切りたいと思っています。
経営に携わって10年目、選手・経営者の二足のわらじから経営一本に移るタイミングでのコロナ禍でした。ただ、僕としては10年目で良かったと考えています。これが5、6年前だったら、まだクラブとして債務超過があった段階で、公的金融機関の信頼を得られず、借り入れも難しかったでしょう。
道民の思いの集まりであるレバンガを守り抜くために
そもそも2011年に新たにクラブを立ち上げた直後、ファイナンス面はどのように回していたのでしょうか?
経営など学んだこともない現役の選手でもある自分がやるわけですから、至らない点が多く、大きな負債を抱えました。なんとかしようと最初は自分が稼いだお金をすべてつぎ込んでいましたが、そんなものはたかが知れているので、すぐ行き詰まりました。北海道のバスケットボールクラブ=経営難でリーグから除名されたというイメージもつきまとい、新たに立ち上げた全く別のクラブであっても、金融機関から借り入れるのは難しい状況でした。当初から現在までスポンサーとなってくれている企業に僕自身の思いを伝え、かなりの額を借り入れさせていただけたことで、今のレバンガ北海道があります。
そうした経験をしてきたので、会社経営に必要なお金を生み出すにはやはり人とのつながり、そして信頼が重要だということを身に染みて実感しています。地元の人たちとのつながりと信頼感がなかったら、このチームは存続していなかったでしょう。逆に言えば、今存続しているレバンガ北海道は、様々な人たちの思いの集合体であると考えています。
Bリーグは今オーナーチェンジを行い、大資本による改革が主流になっています。名だたる企業が経営に入ってきているわけですが、この流れをどう見ていますか?
資金が潤沢な企業がオーナーとなれば、もちろん経営的に安定し、強いチームをつくれる可能性が上がるので、クラブにとってはプラスに働きます。Bリーグ全体にとっても良い傾向だと思っています。ただ、レバンガ北海道は他のクラブと成り立ちが違います。設立からずっと地域密着で、北海道のたくさんの人々に支えられてきたチームです。
もし、その経緯を知らず、経済的なメリットだけで企業に頼ることになれば、北海道の皆さんに今まで通り応援していただけるのかどうか。だから僕は、ずっと地域密着で、地域の人に愛され、支えられるチームをつくり続けるため、その方法は取らないと決めています。選手・社員だけでなく、関わるすべての人がいてこそのレバンガ北海道だ、そんな思いを強く抱いています。
成功の反対は失敗ではなく、言い訳すること
資金面以外の部分で、経営者として心がけていることを教えてください。
バスケと経営は、実はそれほど変わらないと思っています。仕事内容はもちろん違いますが、考えること、工夫することや、情熱、信頼の大切さは共通しており、やるべきことの本質は変わりません。
僕がクラブ経営を引き継いだのは、最初にお話ししたような日本のバスケットボール界やレバンガへの思いに加えて、「やらないよりはできないほうがいい」という信念があるからです。チャレンジもしていないのに「できない」とは言いたくない、とりあえずやってみてできないならしょうがない。できなかったら、それから次の手段を講じればいい。そう考えるタイプなんです。
最後に、経営者の皆さんにメッセージをお願いします。
人生は常にチャレンジで、成功と失敗の繰り返しです。ある程度の失敗を経験しなければ成功には近づけないということを、僕はバスケから学びました。現役時代、日本一になったときはもちろんうれしかったし、達成感もありましたが、それは一瞬のこと。でも、負けると次はどうすればいいのかを考えます。負けたからこそ、失敗したからこそ、次のステップに進めるんです。
成功の反対は失敗ではなく、「言い訳」だと僕は思っています。成功している人、成功に向かっている人の共通点は、絶対に言い訳をしないということ。だから僕も、どんなに失敗しても、コロナで苦境に立たされても、絶対に言い訳はしませんし、他の人のせいにもしません。今、こういうタイミングだからこそ、その思いを持って一歩前に踏み出し、チャレンジすることが大切だと考えています。
■ プロフィール
折茂 武彦(おりも・たけひこ)
株式会社レバンガ北海道代表取締役社長
1970年埼玉県出身。中学校でバスケットボールを始め、日本大学4年次にチームをインカレ優勝に導いた。1993年トヨタ自動車に入社し企業チームで活躍。正確な3ポイントシュートを武器とした得点能力が高く評価され、男子バスケットボール全日本代表として世界選手権など様々な国際大会も経験した。2007年新設のレラカムイ北海道に移籍しプロ選手に。2011年運営会社が経営難により当時のリーグから除名処分を受け、チーム消滅の危機に陥ったことで、一般社団法人としてレバンガ北海道を設立し、選手兼理事長に就任。後に会社組織化に伴い代表取締役社長となった。2020年49歳で現役選手を引退し経営者一本に転身。これまで日本人選手(帰化選手を除く)として初の通算10000得点達成など、トップ選手として華々しい実績を誇る。
■ スタッフクレジット
記事:斉藤俊明 撮影:川田雅宏 編集:日経BPコンサルティング