全国各地を巡りながら
「食べることの喜び」を共有
――「旅するおむすび屋」は、どんな発想から生まれたのですか。
「食に関わる仕事をしたい」「食べることの喜びや大切さをたくさんの方々と共有したい」という思いが原点です。そうして、お米屋さんと一緒に活動している仲間と出会い、私は私で親しくしている海苔漁師さんがいたので、お互いに好きな食材を形にしたら“おむすび”になりました。おむすびなら、年齢を問わず多くの人に関われます。学生時代に民俗学を専攻し、地域の食や文化にも関心があったことから、おむすびを通じて地域ごとの食に関われる面白さもあると思いました。
「旅するおむすび屋」を始めた当初は、クラウドファンディングを運営するCAMPFIREという会社の社員だったので副業のつもりで始め、ビジネスとして成り立つかは考えていませんでした。とにかく思いを形にしようと、日本全国を巡りながらおむすびを通じた食イベントなどを開くうちに、「うちでもやってほしい」「イベントを一緒に開催しませんか」などの声掛けをしてもらえることが増え、気づいたら仕事として成立するようになっていました。
人と人、地域と地域を結ぶ「おむすび」。神とされる山をかたどった三角形、「神産巣日神(カミムスビノカミ)」という神様の名前が語源という説もある
具体的な活動としては、学校などが実施する食育の授業の一環でおむすびのワークショップを開いたり、自治体と一緒に住民向けに地域の食の魅力を伝えるイベントを行ったり。広く一般の方に向け、地域の食をPRする仕事もあります。都会在住の方々、ご家族を各地に案内し、その地域の食の魅力を体験してもらうツアーなども行っています。
2021年からは、47都道府県のおむすびを紹介する書籍を作るために、全国を巡りながら取材活動を進めています。2022年の秋ごろには47都道府県を回り終える予定です。
おむすびワークショップに参加した子どもたち。あまりお米を食べなかった子も、この体験をきっかけによく食べるようになるという
――活動の原動力となった「食への思い」は、どこから来たのでしょうか。
中学から高校までの6年間、摂食障害の一種である拒食症という病気にかかったことです。ひどいときには身長が160cm近くありながら体重が23kgまで落ち、病院でも「いつ死んでもおかしくない」と言われて半年間も入院するなど、すごく苦しみました。
そんな苦しい6年間を経て、大学入学を機に病気が完治してみんなと一緒にごはんを食べられるようになると、「食べるものが体を作っていること」、「食べることで心も元気になっていくこと」、「食べることは生きる喜びであること」――などを実感できました。拒食症の6年間はとても辛い時期でしたが、完治したときに感じたことや体験したことを多くの人に知ってほしいという気持ちが大学生の頃からありました。
身近な人に思いを伝え
支援の輪を徐々に広げていく
――さまざまな場所での活動を通してたくさんの出会いがある中で、大切にしていることや特に印象深いものはありますか。
常に意識していることは、今目の前で応援してくれている人を大事にすることですね。「旅するおむすび屋」として47都道府県を巡ってきたので、それぞれに応援してくれる人がいます。子どもたちからおばあちゃんまで幅広い年齢層の方々や、生産者やメーカー、自治体など、さまざまな業種の方にも多くのことを教えていただいています。
そうした出会いをきっかけに、たくさんの新しいものが生まれました。特に印象深いのは、宮城県の海苔漁師さんとの出会いです。その方の「未来を育てる生産者をもっと増やしたい」という考えに共感し、生産者が集うオンラインサロン「ミライモ」を2022年7月に立ち上げました。
最近では、書籍制作に参加してくれているカメラマンが、「取材先で出会う人があまりに素敵な人ばかりなので映画を作りたい」と言ってくれています。私の活動を通じて新しく“やりたいこと”が生まれているのはありがたく、いろいろな方のきっかけの場になれば嬉しいなと思います。
ワークショップやイベントが開けなかったコロナ禍は、インプットの時期だと思って取材に注力した
――CAMPFIREでクラウドファンディングを運営してきた一方、自身もクラウドファンディングを利用されていますが、支援を受けるときのポイントはありますか。
クラウドファンディングは立ち上げただけでお金が集まる仕組みと捉えられがちなのですが、始める前に応援してくれる方々と信頼関係を築くことが大切です。どんな思いで活動してサービスを立ち上げようとしているのかを伝え、応援する方々が手を差し伸べたくなるような状況を作っておけるといいですね。
「旅するおむすび屋」では、①立ち上げ、②イベント開催、③書籍づくり――と、これまで3回クラウドファンディングを利用しました。最初は自分たちでおむすびのワークショップを何回か開き、SNSなどで情報発信をしていただけでした。それを見た周りの人たちが「面白いね」「それなら自分でもクラウドファンディングをすればいいのでは」と後押ししてくれて、利用してみることにしたんです。
クラウドファンディングの場合、立ち上げた際の支援者はクラウドファンディングを立ち上げた本人である、プロジェクトオーナーの知り合いです。その知り合いの人たちがきっかけとなって支援の輪が広がっていきます。直接の顔見知りでなくても、企業であればまず既存のファンの方に思いを届けて広げていく。そこから徐々に輪が広がっていくイメージなので、その思いが数珠つなぎになるように伝えていくことがとても大事だと思います。
思いを形にするために選んだ
フリーランスという働き方
――特定の組織に属さないフリーランスをなぜ選んだのですか。
好きなことを好きなだけできるからでしょうか。私にとっては、ノルマも自分で決められて自分で責任を持ってできることが一番幸せなことで、例えばお金がどうこうでなく「この人と一緒にやりたい」などの動機でも動けるのがフリーランスのいいところだと思います。
私自身が“思い先行”で仕事をしているせいか、基本的にその思いに共感してくれた方に声を掛けていただいています。
菅本氏の思いに共感し、一緒に活動してくれる仲間も増えている
――ビジネスとしてバランスを取るために重視していることや、自分なりのルールはありますか。
今力を注いでいる書籍化プロジェクトは、自分自身への投資と皆さんから支援していただいた資金で進めていますが、それとは別に継続して仕事が入るようにも意識しています。「旅するおむすび屋」と平行して、今は業務委託という形でCAMPFIREのキュレーターの仕事をさせてもらっており、二足のわらじを履いていることが経済的な支えになっています。
そして、どんなときでも、自分の思いや活動内容について発信し続けることがすごく大切だと思っています。私の仕事のほとんどは今までご縁をいただいた方々からのお声掛けなので、活動内容を発信して興味を持ってくれる人が増えれば、次の仕事にもつながっていくと信じています。
――全国各地を飛び回って忙しい日々の中、体や心のバランスを崩さないために大切にしていることはありますか。
出張先でも“余白”を作ることでしょうか。どこかで偶然の出会いがあっても楽しめるようにしておきたいですし、海がきれいなところがあったら遊ぶとか、仕事や取材にとらわれずに楽しんでしまいます。私の中では「暮らすこと=働くこと」なので、余白を作っておくことで心にも余裕ができます。
辛い6年間を経験したからこそ
今の幸せを前向きに捉えられる
――どんなときも前向きに楽しんでいる印象ですが、ポジティブでいられるよう意識していることはありますか。
中高の6年間に生きるか死ぬかのどん底を経験し、今生きているだけで幸せと思えるのは大きいですね。そのときに、暮らしを整えることの大切さを学びました。大きな夢や目標を追いかけるのは楽しいですが、足元がぐらぐらだと夢に向かっていても苦しくなってしまいます。暮らしの土台をある程度しっかり作り、身近な幸せを知っておくことで、いつもポジティブでいられると思っています。
――前向きに頑張っていても、夢を忘れそうになることはないですか。
大学を卒業したときは、食に関心はあるのに具体的な仕事のイメージが湧かず悩みました。一度は不動産会社に就職したのですが、それでも食に関わる仕事をしたい気持ちが膨み、その気持ちをいろいろな人に話しました。そのうち周囲の人たちの中で「あの子は食に強い関心がある」と記憶してもらえて、情報誌『くまもと食べる通信』の副編集長に就任することになりました。
自分の思いをたくさんの人に伝え続けていれば、サブリミナル効果のように周囲にもアンテナが立ち、思わぬきっかけで夢が実現することがあります。だから、今でも人に話すことはとても大切にしています。
全国47都道府県を巡って各地のおむすびを紹介する書籍を出版予定
――今後、「旅するおむすび屋」の事業をどう育てていきたいですか。
この1年くらいは全国各地を取材してきたので、次は「伝える」ことに重点を置いて活動していきます。まずは書籍を考えていますが、映画や映像に加え、現地ツアーを企画してその地域の魅力をさらに広げてもらうことなども考えています。
そして、「食べる喜びを皆さんと共有していきたい」という私の思いからズレなければ、どんなことにも挑戦していきたいです。将来的には東京以外にいくつかの拠点を構えることも考えています。それをいかにビジネスにするかはこれから考えますが、そのプロセスも楽しめたらいいですね。
――おむすびでの海外展開もできそうですね。
それも考えています。日本の文化や魅力を海外の皆さんに知ってもらう上で、おむすびはすごくいいツールになると思いますし、海外の食材とおむすびのコラボも楽しそうです。そうした世界を結んでいけるような活動もしていきたいです。
実際にはやるべきことがたくさんあって大変でしょうが、大変なことより楽しみがたくさん思い浮かぶのは、本当に幸せな働き方だと思っています。
――ご自身の体験を踏まえ、若手経営者やフリーランスの方に向けて、エールやアドバイスをお願いします。
まだまだ私自身学んでいる最中ですが、5年ほど活動して実感しているのは、母からずっと言われてきた「損得で人と付き合ってはいけない」という言葉です。目先の仕事に役立つかなどの損得ではなく、目の前の人やご縁を大事にしていけば、巡り巡っていいご縁や新しい仕事につながるという意味だと理解しています。そうしてきたからこそ、47都道府県巡りでも全国の皆さんが協力してくれているのだと思います。
経営的に苦しいときは目の前の利益ばかり意識してしまうかもしれませんが、そういうときこそ一つひとつのご縁を大事にしていくことが次の仕事につながっていくのではないでしょうか。
■プロフィール
菅本 香菜(すがもと・かな)
旅するおむすび屋/株式会社CAMPFIR キュレーター
1991年、福岡県北九州市出身。熊本大学卒業後、不動産会社での営業を経て、食べもの付き情報誌『くまもと食べる通信』副編集長に。熊本震災後に上京し株式会社CAMPFIREに転職、LOCAL・FOOD担当として全国各地のクラウドファンディングプロジェクトをサポートしながら日本の魅力発信に努める。本業の傍ら2017年5月に『旅するおむすび屋』を立ち上げ、2019年3月に独立。フリーランスとして、食に関わるイベント企画・運営、食材のPR、ライター、クラウドファンディングサポートなどを手掛ける。
■スタッフクレジット
取材・文:牛島美笛 編集:佐藤草平(日経BPコンサルティング)