食からコミュニティーをデザインしたい
――まずは株式会社GOOD NEWSについて教えてください。
僕たちは栃木県那須町に本社を置き、「農(農業)」、「福(福祉)」、「観(観光)」という三つの柱を軸に事業をしています。主たる事業は「バターのいとこ」というお菓子の製造と販売です。これはバターをつくるときに大量にできてしまうスキムミルク(無脂肪乳)を活用したお菓子です。バターというのは原料である牛乳から4%しかできなくて、残りの90%以上は無脂肪乳として安価で売られるか廃棄してしまうという課題がありました。僕たちは、那須で上質なバターをつくる酪農家からこのスキムミルクを仕入れ、価値をつけるようにデザインして、お菓子として販売しています。これが「農」の部分です。
また、那須町は人口が少ないうえに、人口の7%が障がいをお持ちの方々など就職困難者の人たちです。お菓子の製造にあたり、人口が少なく、働き手も少ない場所ということは難しい課題ではありましたが、障がいをお持ちの方たちを雇用することでたくましい戦力を得るとともに、誰もが働きやすい環境ができました。これを福祉の「福」としています。
最後の「観」は、観光客の方の「お土産としてお菓子を買いたい」という需要について。那須のエネルギーある食材を使い、「地産」というナラティブがあるお菓子などを観光客のみなさまに販売しています。
最初につくったプロダクトが「バターのいとこ」でしたが、それだけにとどまらず、GOOD NEWSとして「農」、「福」、「観」という縦のラインを一つの柱にしながら地域の課題解決や農家さんの課題解決の一助になりたいと考えています。地域の人たちの話を直接聞き、未利用の食材や捨てられてしまうものに価値をつけて、プロダクトに福祉を絡めて、観光業として販売していく事業をしています。
ふわっ・シャリッ・とろっの食感が人気の「バターのいとこ 」(外部サイトに移動します)。那須の酪農が抱える課題を楽しく解決する新銘菓。
――地域にあるさまざまな課題を、「食」で解決しようと考えられるようになったのはなぜですか。
まずは、すごく単純ですけれど、もともと食べることが好きなんです(笑)。
あとは、20歳の時にオーストラリアにワーキングホリデーに行ったのですが、そこで自然が身近な環境に暮らしたことが自分にとってすごく大切な経験になりました。帰国後も「田舎で暮らしたい」という気持ちがあったので、那須でリゾートバイトを見つけて始めました。僕は東京生まれですが、地方に行きたいとずっと考えていました。地方の豊かさのおかげで生きてこられたと今も思っていて、常に感謝の気持ちを抱いてきました。それで、恩返しというか、何かできないかなという思いがあったのかもしれないです。そして2003年に始めたのが、リアカーを屋台に仕立てた「リヤカーコーヒーUNICO」です。
リヤカーは長方形なので、L字型の短いカウンターと長いカウンターができます。そこに別々の組のお客さんが座ると必然的に相席になります。そこで発見したのですが、斜め同士で座ると話がしやすいんです。これは今仕事をしていても思うことなのですが、横に並ぶでも対面でもなく、斜めに座るとすごくいい。それで「自分がやっているのってコミュニティーデザインだな」と気づきました。食を媒介としたプロジェクトをやることで、知らない人同士がつながってコミュニティーが生まれるという、ミニマルな世界ですが学びがありました。
また、食の汎用性も実感しました。例えば音楽はそのジャンルが好きな人が集まりますが、食の場合はおじいちゃんから小さい子どもまで、幅広い世代の方が出会える素晴らしさがあります。人口2万人の町で、食をテーマにすればコミュニティーがつくりやすいのではと思ったんです。
――リヤカーコーヒーUNICOをきっかけにさまざまな事業を展開されていかれたのでしょうか。
はい、ですがコーヒーだけだと食えなかったというのが正直なところです。1杯500円のコーヒーで1時間くらいおしゃべりを楽しまれてお帰りになる。自分も楽しいのですが、売り上げを見るとそれでは暮らしていけない。
そんなときに考えたのが、「ファストフード」といわれるハンバーガーに、「スロー」という言葉をあてはめて、「スローフードのハンバーガー」。あったら面白そうだし、自分らしいと思いあたり、ハンバーガーショップを始めました。そのときに地域の農家さんから野菜を仕入れたりしたので、つながりができて。その後にマルシェを始めることになったり、と。僕の場合はとにかくやってみて、失敗するんだけど次につながっていくという連続かもしれないです。
――開催されていたマルシェ「那須朝市」を、那須の大きな食卓というコンセプトをそのまま引き継いだ実店舗、「Chus(チャウス)」に生まれ変わらせています。続けてきたことから切り替える、新しいことをはじめる、というのはそう簡単ではないかと思いますが、どのように事業をつなげていかれているのですか。
どうにもならないというところまでやり切ってみます。それで、「なんとかしなきゃ!」と次に行く。マルシェを始めたきっかけは、軽井沢で友人がやっているのを見て、すごくいいと思ったんです。話をする中で「やってみれば?」と言ってくれて、ノウハウを教えてくれました。そうやって話を聞いてくれる人と出会ったことが大きかったと思います。
そうして始めたマルシェですが、2万人の小さな町に5000人もの人が来てくれるようになりました。ですが、7年もやったところで疲弊してしまった。ほぼボランティアで運営していたので、たくさんの人が来てくれることは嬉しいけれど、自分たちの負担がすごく増えていきました。しまいには渋滞が起きてしまい、地域の方に怒られてしまう。このやり方では、みんなが幸せになれないと思いました。
――その状況をどうやって打破したのでしょうか。
マルシェをただ閉めるのは嫌だなと思っていました。だから株式会社として、ちゃんと経営できるような体制に変えようと考えていました。そうこうしているうちに2015年に現在「Chus(チャウス)」を構えている場所を見つけました。ここは毎日営業して、働いてくれる人がきちんと仕事ができるように「循環する場所」にしようと考えました。だから、「Chus」はある意味ひとつの「出口」として始めたと言えるかもしれません。何か次の手はないかと考えてお店という形をつくった、という感じです。
那須塩原市の黒磯駅から徒歩10分少々のところにあるChus (外部サイトに移動します)。那須産の食材を中心とした「MARCHE」(写真)、レストランスペース「TABLE」、2階の宿泊施設「YADO」という3つの機能をもつ。
――マルシェ開催の経験から得られたものも大きいのではないでしょうか。
織田信長的に言えば、マルシェは「市を立てること」です。コミュニティーデザインにおいて非常に重要なことだと思っています。金融資本として大きな利益を享受できたわけではなかったけれど、人とのつながりなど関係社会資本として享受できたものは大きかった。これは今にもつながる話で、食を通してつながり、そこに関係性ができるということを、マルシェの経験を通じて勉強できました。
また、地方だと、隣近所も車でないといけない距離にあるので、人と人がばったりエンカウントする(遭遇する)ということはあまりありません。「ばったり会う」ことが少ないので、「たまたま会う」みたいなことって、すごく価値があるんです。マルシェをやっていると、「ここに行けば誰かと会えそう」といった感じで、人と人がつながっていくシーンができるのが面白かったです。そういう関係性を紡いでいけたのは財産だなと思います。
課題はよもやま話から見つかる
――そうした関係性の紡ぎから生まれたものについてもう少し伺えますか。
最初にマルシェをやったときは、実はテントもなくて、軽トラの荷台で販売をしてもらっていました。そのうちの一台が「森林ノ牧場」という、いまも一緒に仕事をしている酪農家だったんです。僕は森林ノ牧場がやっていることをすごくリスペクトしていて、彼らを応援したいなという思いが「バターのいとこ」開発につながっていきました。
――具体的にはどのように開発は始まっていくのでしょうか。
普段の会話からですね。お互いに「売れないね」とか「大変だね」とか、そんなよもやま話をしょっちゅうしていて、その中でふと「バターづくりをしたいんだけど、スキムミルクができちゃって困っているんだよね」みたいな話になって。「じゃあスキムミルクでお菓子つくったらいいんじゃない? 俺がやろうか」という感じで。たまたまそれがプロダクトに化けたというだけで、普段からそれぞれが感じている課題を含め、たくさん会話をしますね。
バターをつくる際、使う牛乳全体の約96%がスキムミルクとなります。スキムミルクのほとんどは脱脂粉乳に加工されるのですが、スキムミルクを脱脂粉乳に加工するのは小規模酪農家にとってはロット(生産数)と費用の問題があり難しいんです。だから廃棄せざるを得なくなるのですが、廃棄にも費用がかかるため結果つくるのをあきらめるしかなくなる。バターのいとこに関しては、小規模酪農家がサバイブできる世界をつくるということが目的になっています。手をかけていいモノをつくるというクラフトを成立させるために、ネーミングも目的に則したものにしました。「スキムミルク由来のお菓子」と言っても伝わらないと思ったので、バターをフックにして、出自的には「いとこ」かなと。
これは最近になってようやくわかったことなのですが、自分の中の熱が言葉に変わって、人に伝わる。人に伝わると、ものが売れていく。ターゲットを絞って、そのターゲットが求めるものをつくるというマーケットインの考え方はもちろん間違いではないと思っていますが、僕たちの役割ではないとも思っています。それはもっと大きい会社がやる方がいい。自分たちの役割、逆に言えば“やらないことを意識する”ことで、熱が生まれてくるんだと思います。バターのいとこも、小さい工房で、屋台のたい焼きをつくるような感じでつくって、できたら自分のところで売ってみるという感じで始まりました。それが2018年ごろでしたね。そこからいろいろと展開していきました。
一緒に食卓を囲んで、きちっと続けていく
――さまざまな方々と関係性を築かれる際に、心がけていることを教えてください。
最初に食事を一緒にするようにしています。僕たちは「食卓を豊かにすること」をテーマにしているので、食卓を囲んだ回数、「飯の数」と呼んでいますが、その回数でお互いの「深さ」がわかるんです。だから何かをしようとするときは、ミーティングではなく先にごはんを一緒に食べる。ごはんを食べて仲良くなってから打ち合わせをするように心がけています。そうすると、熱量や本気さなどが伝わりやすいんです。
たとえば、秋田県男鹿市の「稲とアガべ」というクラフトサケ醸造所と一緒にプロダクトをつくっているのですが、代表の岡住さんとは「バターのいとこ」を全国でまだ手売りをしていた頃からの付き合いで、僕が秋田に行くと、彼はどんなに忙しくても一緒に食事に行く時間を作ってくれるんです。本音で色んな話をしてきましたが、そうした関係性の中から酒粕に価値づけができない課題について知り、そこに僕たちが協力できることがあるのではないかということで取り組みが始まったんです。日本の酒蔵では酒粕が年間3万2,000トンできていて、そのうちの1,800トンくらいが使い切れずに捨てられています。残りの200トンも売り買いがあっての消費は10パーセント程度しかなく、価値がない状態で流通している状態です。酒粕のアップサイクルを考えて、すでに「稲とアガべ」では発酵マヨというマヨネーズ風の調味料をつくっていますが、お菓子にしてみたらどうだろうとつくったのが「早苗饗レモン」(外部サイトに移動します)です。
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2024年7月22日発売の「早苗饗レモン」。オリジナル・ココナッツ・ピスタチオ・アールグレイの4種類アソート12個入りで3,456円(税込)。
――展望や考えていらっしゃる展開など、これからについても教えてください。
もちろんこれからの展望もありますが、それよりも「続けること」がすごく大事だと思っています。たとえば僕らが「バターのいとこ」の製造をやめたとしたら、生産者がバターをつくれなくなってしまう。生産者がつながっているがゆえに、新しいことに挑戦しながらも、今やっていることを続けていくことが僕たちの責務だと考えています。続けるためにはどうしたらいいのか、会社としてどうあればいいのかを考えるようにしています。「きちっと続けていくということ」が未来のビジョンだなと思います。
――最後に、仲間である経営者の皆さんにメッセージをお願いします。
自分自身色々な失敗をしてきたと思っているので、失敗しても大丈夫だよ、なんとかなるよ、ということは言えるのかなと思います。失敗とはいえ、助けてくれる人がいたので次につながっていった。それはみんなでごはんをよく食べていたから。だから「みんなでごはんを食べよう!」と伝えたいですね。
■プロフィール
宮本吾一
1978年、東京生まれ。20歳でオーストラリアへ渡り、帰国後は那須高原に暮らす。国内・ヨーロッパでの旅を経て、2004年リアカーコーヒー「UNICO」を開始。翌年ハンバーガー専門店を開業。2008年から「Organic Party」「那須朝市」といったマルシェを開催。2014年に「Chus」を開業。2022年7月には、複合施設「GOOD NEWS」をオープン、“サステナブルアクションに取り組むまち”として、「バターのいとこ」「BROWN CHEESE BROTHER」など自社プロダクトショップの他、各地の人気店が集まる。
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■スタッフクレジット 文:野口理恵 編集:RiCE.press
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