引き継ぐのではなく「独立」して事業承継を進める
――大学卒業後すぐに、栃木にあるご実家の水道会社の手伝いをはじめられたそうですが、当時から継がれるというお考えはあったのでしょうか?
まったく考えていませんでした。父からも「継がなくていい」と言われていましたからね。それでも私が東京から地元である栃木へ戻ったのは、父が病気で倒れたことがきっかけでした。父の会社は3人の従業員を抱える孫請けの零細企業です。家族も心細い状況でしたでしょうし、私自身も「地元に帰って親孝行したい」という思いがあったので、父の会社で、新規開拓に向けた営業の仕事を手伝うようになりました。
関谷有三氏
――「手伝う」から、「継ぐ」というマインドに変わったのはいつ頃だったのでしょうか?
倒産寸前の父の会社を、どうにか立て直そうと必死でもがいているうちに、自然と事業者としての自覚が芽生えたという感じです。私が手伝い始める前から、景気が悪い時期が長く続いていたのですが、孫請けの立ち位置ということもあり、発注単価は下がる一方。たくさん働いても稼げないですし、いつ仕事を切られるかもわからない、不安定な状況が続いていました。私が働き始めてからも、3年間は鳴かず飛ばず。自信を失いかけていましたが、「なんとかして新しいビジネスモデルをつくっていかなければ」と真剣に考え、行動していくようになりました。
その後、市や県が出している補助金をもらい、新規事業を前提とした開発経費にあてながらビジネスモデルを組み立てていくようになってから少しずつ状態は変わっていきました。きっかけは、市役所の壁に貼られていた補助金ポスターの「申請すれば50万円をもらえる」という文言をたまたま見たことでした。さっそくやってみようと思い立ったものの、申請書の書き方がわからない。そこで、市役所の端にあった中小企業診断士の方による無料診断コーナーへ毎日のように通い、補助金申請に必要な書類を書いていきました。当時、助成金に関する知識はほぼゼロの状態でした。でも、窓口の担当さん……、当時の私からするとおじいさんと言える年配の方に、すごく親切に教えていただきました。右も左もわからないけれど足しげく通ってくる私のことかわいく思ってくださったのかもしれません。
――補助金を申請するうえで、どのような部分を特に気をつけましたか?
補助金をもらううえで最も重要なのは、現在の経営状況を正確に把握し、向上していくためにどうするか、事業計画を練ることです。私自身、何もわからないまま家業を継ぎましたが、このときに学び、真剣に考えた経験が大きな基盤となっていると思います。
そういった努力の甲斐もあり、宇都宮大学との産学連携の補助金が取れたのですが、これが大きな転機となりました。宇都宮大学 工学部の研究室とともに、飲み水が通る水道管内に注目し、オゾンを水に溶かし込むことで薬品を使わずにクリーニングするという、画期的な技術を生み出しました。新たな基礎技術の開発です。それが、現在のオアシスソリューションのビジネスにつながっています。
――新たな技術を開発されたあと、承継された会社から「独立」を選ばれた経緯をおしえてください。
私としては、新しいビジネスモデルを東京に持って行きたいという思いがありましたが、父の会社は地域密着型であることを大切にしていました。事業の方針が大きく異なっていたんです。だから、父の事業を丸ごと継いで無理やり変えていくのではなく、父が立ち上げた会社は、引き続き父にまかせ、そこからは分離・独立し、父の会社の代理店というポジションで事業を営むことにしました。それが東京で「オアシスソリューション」を立ち上げた2006年です。その後、マンション管理会社と提携するビジネスモデルをつくることもできました。
――独立時の資本金や特許などの資産はどのようにされたのでしょうか?
資本金は、借入と出資金を合わせて3,000万円を自分で調達しました。特許に関しては父の会社が持っていたので、はじめはそこにライセンスフィーを払いながら事業を営んでいました。残念ながら私が独立してから2年後、父の会社がさらに傾いたため、資金援助も兼ねて特許の買い戻しを行いました。あいにく父の会社は私が独立してから7年後に畳むに至りましたが、借金もなくきれいに幕を閉じることができました。
――家族間で事業承継されるケースはまだまだ多いのではないかと思います。ご経験されてなにか感じたことはありますか?
ビジネスを行ううえで「情」がネックになる場合があると思いますが、特に家族に対してはより「情」がありますので、経営者同士、対等でいられる状態になるように徹底しました。身内が上司や部下になると、どうしてもビジネスとプライベートが一緒くたになりがちです。だからこそ、家族としての「情」と「仕事」は完全に切り分け、ビジネスライクに接することに徹しました。雇用に関して相談されたこともありましたが、家族だからといって融通をきかせることはあえてしませんでした。そうすることで私自身も新しいビジネスモデルの構築に集中することができ、ビジネスパートナーとしてイーブンになることができたと思っています。
――事業承継を行う際に譲られる側はどのような心構えでいるべきだと考えますか?
人から何かをもらおうとしたら、何かを与えなければならず、迎合しなければいけません。会社にいたければ、会社のルールに従う必要がある。しかし、家族経営の場合は、ビジネスでは当たり前のルールが破られてしまいがちです。ビジネスの場では、継ぐ人も、継がせる人も、一貫性を持つ覚悟がなによりも重要だと思います。
あとは、私自身も日々努力していることですが、素直に「この人から学びたい」と思えるような存在になることです。そうすると、もともと事業を守っていた家族からも認められるはずです。これは事業を承継し拡大していくうえで大切なことです。継ぐ側は、自分の力でビジネスにおいて結果を出せるよう、方向性を見誤らないように努力と成長を続けてくと良いのではないでしょうか。
事業を多角化することで、リスクヘッジする
春水堂で提供される商品
――現在オアシスグループでは、カフェやアパレル事業も展開されています。なぜまったく異なる方向へと事業の幅を広げていったのでしょうか?
2011年に起きた東日本震災で、それまで好調だった水道の事業の収入が一時的に激減してしまい、「ひとつの事業しかないことは、この先不安だ」と思うようになったんです。「なんでもいいから、本業とはまったく関係のない事業を立ち上げ、多角化することでリスクヘッジしたい。できれば三本柱にしていきたい」そう考えていた矢先、たまたま訪れた台湾で、タピオカミルクティー発祥のカフェ「春水堂」に出会い、世界観やテイスト、商品、ブランドのすべてに惚れ込んで、日本への誘致に全力を注ぎました。一方でアパレル事業は、自社事業で使用する制服をつくり直した際に、社内で「作業着をもっとカッコよくしたい」という意見が出たことがきっかけでした。そこから「スーツのようで毎日ガシガシ洗える作業着」というアイデアにたどり着き、取り組みをスタート。とても苦労しましたが、素材を開発するなどして事業化することができました。
――新たなジャンルの事業に挑戦することは、大きな賭けでもあったと思います。原動力はどこにあったのでしょうか?
根本には、「水道事業以外のことで自分の実力を試したい」という野望もあったと思います。父親に対する対抗心もなかったといえば嘘になるのですが、なんでもいいからといって、どうでもいいことには力を注ぐことはできない。自分が心からいいと思えて、社会にも貢献できる、そして会社も自分自身も成長できるという喜びが、最大の原動力になっていると思います。
また、新しいことをスタートするときは、その業界や自分が進みたい先のことをよく知る人にメンターになってもらうことも大事なポイントだと思います。例えば、スーツブランドの「WWS」を立ち上げたときも、現在ユナイテッドアローズの名誉会長として活躍されている重松 理(しげまつ おさむ)氏にメンターになっていただきました。遡れば、補助金申請を行う際に相談していた中小企業診断士のおじいさんも、私にとってのメンターでした。一方で現在は、私が社員たちのメンターでもあります。事業者としての心構えを大切にし、自分自身もメンターとして慕われる存在になれるよう意識しないと、後進は育たない。そんな責任感も同時に感じています。
事業承継のプロが解説する成功ポイント
中小企業に特化した事業再生・事業承継コンサルティングを行なう、株式会社エクステンドの事業承継アドバイザー・野上智之氏に、今回の事例のポイントを解説いただきました。
今回の一番のポイントは、関谷氏が「会社を継ごう」と意識された後、新しいビジネスを探す行動されたことです。法人を受け継ぐと「事業」もそのまま継いでしまう方がいらっしゃいますが、本来、ビジネスというのはどんどん進化していかないとビジネスの世界では取り残されてしまうもの。法人を受け継ぐ流れで、事業もそのまま継いでしまえばいいというものではないのです。
また、事業において3つの柱をつくられたこともおさえておくべきです。実際、一種の事業のみですと、そこが上手くいかなかったときのリカバリーが難しいこともあります。さらに、それぞれの事業の相乗効果も見込めます。進め方も、例えば自社の水道事業を行うなかで生まれた服装にまつわる意見を発端にするなど、つねに顧客目線を意識されたことが成功につながったと考えられます。
そして、親族であってもビジネスライクな接し方を徹底された点。経営者は、ときに厳しい判断をしなければならない場面もあり、それを感情で判断すると大きなミスにつながります。これを断ち切るための知識や知恵を身につけ、客観的に判断することがとても大事ですので、自ら実践されたことは大変素晴らしいと思います。
実際には、事業を承継しないという継ぐ側の決断を歓迎されない前社長(継がせる側)もなかにはいらっしゃり、揉めてしまうケースも多々あります。その場合は、専門家を入れて仲裁役を任せるか、「会社の事業には無関係の」親族を登場させるのも手のひとつです。客観的な意見を聞くことで、冷静に話し合える場合もあります。お互いに話し合いができないレベルまで仲違いしてしまうと、後々事業にも支障が出る可能性もあるので、それぞれにあった、客観的になれる方法で膝をつけ合わせてとことん話し合うと良いでしょう。
なお、今回のケースでは部門ごと独立する方法を取られていますが、法人は残しつつまったく違う事業をする、会社名を変える、などの方法もあります。家業として長年続けてきた会社を継ぐ意思はあるけれど、違う事業に挑戦していきたいという方は、そのような手段も選択肢として考えてみるのも良いのではないでしょうか。
■プロフィール
関谷有三
1977年、栃木県宇都宮市生まれ。オアシスライフスタイルグループCEO。成城大学を卒業後、地元の栃木に戻り、倒産寸前であった実家の水道工事店を再建。2006年に別事業としてオアシスソリューションを立ち上げ、大手マンション管理会社との提携により、業界シェアNO.1を誇る企業となる。2013年には台湾発祥のカフェブランド「春水堂」を日本に誘致し、タピオカブームの火つけ役となった。2017年からは、アパレル事業・オアシススタイルウェアを立ち上げ、スーツに見える作業着「ワークウェアスーツ」を開発。時代を先駆けるアイデアでいずれの事業もヒット。現在は学生服への展開や地方活性化のための事業にも取り組んでいる。
株式会社オアシスライフスタイルグループ ※外部リンクに移行します
野上智之
(株)エクステンド 地域課題解決支援室 室長。大手システム会社を経て、教育研修会社での新規部門立上げや西日本責任者としての実践により、収支損益の黒字化と人財育成がなければ、企業は元気にならないという強い信念のもと、中小企業に特化した経営コンサルタントに転身。 現在も10 社を担当し、各地でセミナーや研修を行う。
株式会社エクステンド ※外部リンクに移行します
■スタッフクレジット
取材・文:宇治田エリ 編集:藤麻迪、服部桃子(株式会社CINRA)