“第三創業”が始まった日
2019年8月16日、ホッピービバレッジ2代目(代表取締役会長)の父、石渡光一が亡くなりました。かねて病気療養中でしたが、現役で走り続けたいという思いの通り、最後まで現役のまま見事に走り切ったと思います。ホッピービバレッジは、祖父の石渡秀が1905年に10歳にして東京・赤坂で始めた商店を起源に、1910年、秀水舎として設立されました。主力商品であるビールテイストの清涼飲料「ホッピー」は、1948年に本社のあるこの赤坂の地で製造・販売を開始したものです。おかげさまで、時代を超えて焼酎やリキュールの割材などとして愛され続けています。
大学を出てから他の会社で働いていた私が、父が2代目社長を務めるホッピービバレッジに入社したのは1997年のことです。2003年、取締役副社長となりましたが、その前年に父から「いずれおまえにバトンを渡す。譲ると決めたら自分はもう口を出さない。心を共にしてやっていける社員を育てていきなさい」と言われました。それは、私が3代目として後を継ぐことが決まった日だといえます。おそらくこの瞬間、会社を継ぐには綿密に準備し、自分の組織を作っていかなければならないという思いが生まれ、そこから私の中に3代目としての新たな創業、つまり“第三創業”という言葉が自然と立ち上がっていきました。
ホッピーは焼酎割りなどで広く親しまれている。
「成功」「失敗」という評価は禁止
当時、会社の売上高は8億円程度で、業績はどん底。私は、家業とはいえまだ入社から5年しか経っておらず、経営のイロハも知らない頃ですし、代表権のない取締役ですから細かな財務上の数字も聞かされていませんでした。そうした状況で目の前の課題に一生懸命取り組み、2010年には代表取締役社長の座を父から引き継ぎ、2018年は売上を低迷時の5倍の40億円にまで伸ばすことができました。
今、振り返ると、当時は「ホッピーに対する世間の評価が自分の思うものとは違う」という違和感から出発し、「ホッピーには時代が求めるものに合った価値があるはず。それをアピールしていきたい」と考え、ホームページやラジオ番組で発信していった結果、気がつくと「5倍」という数字に達していた、というのが本音です。そこに至る自分の施策が「成功」した結果だとは思っていません。
そもそも「成功」「失敗」という評価はしないように心がけています。例えばある若い社員がお客様先を訪問し、怒られて帰ってきたとして、それを「失敗だったね」と決めつけたら、そのお客様のところへ行くのが怖くなってしまうでしょう。これでは問題点を改良しようという意欲をそぎ、成長につながる貴重な芽を摘んでしまいます。反対に「成功だね」と評価すると満足してしまい、やはり改良に向けた気持ちがなくなる、つまり満足も恐怖も成長を止めてしまうのです。ですから社内では「失敗」「成功」という評価自体を禁じています。
心を磨けば数字はついて来る
目標についても、もちろん会社として目指す数字は毎年立てますが、経営環境は時々刻々と変わっていくものですから、数字に振り回されず、とにかく目の前のテーマに一生懸命取り組むことが大切だと考えます。その結果、取り組みが正しければ数字はついて来る、数字がついてこなければ何かが間違っている――。私はそのような考え方をします。
社長教育で最も大切にしていることは「心磨き」です。会社が成長していくためにも、また社員、個人個人が成長していくためにも、必要なものは「礎」です。ブレない強固な礎を築くためにも大切なのが、「心」を磨くこと。弊社では、年4回の社員との1 o n 1(社長面談)を導入しています。30分間社員が私に話したいことを話す時間です。この1 o n 1をはじめあらゆる場で、「心」が大切だと伝えています。
もちろん「心」だけでは経営していけません。会社の礎を支えるもう一方の重要な要素として、いうまでもなくお金があります。
2代目である私の父や、その父である創業者の代には、いろいろとお金に困った経験もあったと聞いています。ところが私自身は、父や祖父が築いてくれた礎の上で仕事をしているので、ありがたいことにお金で苦労した経験はここまではありません。私が経営に携わるようになって以降、実態としては無借金経営を続けています。金融機関との付き合いは父までの代でしっかり固まっていて、その付き合いを継続する意味でも、また自分自身を客観視するためにもお取引は大切にしていますが、基本的には自己資本での経営ができています。
お金は成長のための道具
古くから関係のある信用金庫や銀行、新たなる金融機関様と取引を続けるのは、付き合いの中で、会社としての立ち位置が間違っていないかを確認できるからです。取引行には毎月1度社員が出向き、私自身も半期に1度は訪れて、業務内容や財務の報告をしています。そこで先方の反応を見れば、自分たちの仕事や計画している業務がプロの目から見て正しいかどうかわかりますし、また私は借り入れを断られた計画は実施しないという1つのものさしを持っているので、良き相談相手になっています。おかげで、設備投資で大きな資金が必要となったとき、「ホッピーさんのためなら」と気持ちよくお金を貸してもらえることが多いので、こちらとしても積極的な姿勢で借り入れることができます。
現在、工場の拡張計画を構想中です。また、赤坂の本社は祖父が買った創業の地であり、父もここで亡くなったので、会社にとっては大切な場所。しかし建物がだいぶ手狭になってきました。私の代で、工場だけでなく本社もリノベーションすることになりそうで、これから大きな投資が必要になるでしょう。お金は会社を成長させ、社会のためにより役立つ存在にしていくための道具であると私は考えています。ですから綿密な計画のもと、父から事業承継した会社を守っていく責任ある立場として、思い切って借り入れもしながら会社を成長させていきたいと考えています。
先代から承継するものとは
2019年8月に父が亡くなったことで、正真正銘の事業承継が動き出しました。承継に当たっては、父が所有していた株式や土地、建物を引き継ぐという事務的な処理がまずあり、その部分でお金が必要になります。これについてはもちろんしっかりと準備して臨みますし、すでにある程度の用意もしてあります。ただ、事業承継には資産的なものだけでなく、 ほかにも先代から受け継ぐべきものがあります。それは「想い」であり、まさに先代が築き上げた「礎」の承継です。
当社は利益が出ていたので株価が上がっており、事業承継に向け父に退職金を出す形で株価を調整しようという提案もありました。しかし私の中では、父を現役のまま送ろうと決めていたのです。父本人も、直接は言わないものの、きっとそう願っていたことでしょう。ですからそれはやらないことにしました。相続にかかるお金よりも、とにかく父の気持ちを 優先したかったのです。その結果、事業承継で借り入れが必要になったとしても、喜んでそうするつもりでした。
私がその方針を話すと、公認会計士も金融機関も理解し、協力してくれたので、今回晴れて父を現役のまま送ることができました。実際に、亡くなったのち、父も喜んでいたと母から聞いたので、そこについてはやり遂げることができたとホッとしています。
石渡社長の父、石渡光一氏は地域貢献にも力を尽くした。写真は氷川神社のお祭りでの模様。
事業承継の思わぬ広がり
2010年に3代目社長を継いだとき、自分の処遇は自由にしていいと父に言われました。私は先ほど言ったように最後まで現役で送ろうと思っていましたし、自分が名実ともに社長になるには10年かかると考えていたので、少なくとも10年は代表権を持ったままでいてほしいと父に頼み、複数代表制をとりました。それから9年と半ば、ほぼ10年経って父は亡くなったわけです。父が「いずれ譲る」と話してくれた2002年から2019年8月まで、20年近い時間を事業承継のための準備期間として用意してくれたのだと思います。
その父が亡くなった後に気づいたことがあります。それは、事業承継をしたのは私だけではなかったということです。父は私に社長を譲ったあとも現役経営者として、会社や地域にまつわる歴史の話や社会人としての働く姿勢や心構えの話、商品に対する想いなど、社員たちにたくさんの話をしてくれました。だから、父の薫陶を受け、ホッピービバレッジの哲学を受け継いだ社員たちが、今こうして私と共にいてくれます。父がいなくなって大変ですねとよく言われるのですが、思いを一つにしている社員たちがいるので、実は大変なことなど何一つない――。そこで初めて、父が残してくれたのは「礎」だったのだと気づいたのです。その「礎」を、私一人ではなく、社員みんなが承継しているのだと。私は社長という立場、オーナー家という立場から承継しましたが、社員たちはまたそれぞれの立場で、事業を受け継いでくれた。そう思ったときに、「ああ、事業承継とはお金や事務的な部分だけではないのだ」と身にしみて感じました。
それに加えて、父は赤坂で生まれ育った人間として、地元の氏神様である氷川神社や地域の行事への奉仕に一生懸命でした。そのため、会社だけでなく地域にも、父の想いを受け継いでくれた人がたくさんいることを今、実感しています。父は「自分が稼いだ金はすべて氷川神社のために使いたい」と常々言っていました。なので、相続が終わったら、父が夢見ていた山車の復活や江戸のまつりの再興に、父が残してくれた財を役立てたいと考えています。
必要なものは「覚悟」
私自身まだ大きなことは言えないのですが、承継に必要なものがあるとすれば「覚悟」だと思っています。私の場合は家業に戻った時点、つまりまだ会社を継げるかどうかもわからなかった頃から、自身の思いとしては「継ぐんだ」という覚悟を持っていました。事業承継をするときは、先代から良いものだけを受け継ぐわけではありません。当然、負の要素もあるわけです。私が副社長になる頃の話ですが、祖父の代から支えてくださった大事なパートナー企業が、いつしか関係性に甘えるようになり、支払いもだらしなくなっていました。このままでは悪影響を被ると感じた私は、それまで長い間の感謝は感謝として、心を鬼にしてその企業との取引をやめたことがあります。結果的に600万円ほどの損失になりました。 良かったか悪かったは正直申し上げて分かりません。しかし、あの経験が自分の中に代表者への覚悟を育てたと感じています。
会社を継いだら、父だけではなく私の会社にもなります。ですから私にとっての負の部分には、覚悟を持ってきちんとけじめをつけなければ、会社を守っていけません。そういう意味でも、決して否定的にではなく、肯定的に新しい会社を創業していくという、確固たる覚悟が必要なのです。長年伴走してくれた父を見送った今、まさに今こそが本当の意味での“第三創業”。独り立ちの時と感じています。心を新たにし、これからの仕事に臨んでいく覚悟でいっぱいです。
■ プロフィール
石渡 美奈(いしわたり・みな)
ホッピービバレッジ株式会社 代表取締役社長
立教大学卒業後、日清製粉(現・日清製粉グループ本社)に入社し、人事部に所属。1993年退社し、広告代理店でアルバイトを経験した後、1997年、祖父・石渡秀氏が創業し父・石渡光一氏が社長を務めるコクカ飲料(現・ホッピービバレッジ)に入社。自ら広告塔として積極的にメディア出演するなど同社の主力製品「ホッピー」の魅力を伝える活動を展開し、5年間で年商3倍・年30%の増益を達成した。2003年副社長となり、2010年3代目社長に就任。
■ スタッフクレジット
記事:斉藤俊明 撮影:川田雅宏 編集:日経BPコンサルティング