「廃業したい」、家業を継ぐことを決意させた父の言葉
松山油脂は、もともと下請けで固形石鹸を製造する専業メーカーでした。歴史は古く、明治41(1908)年の創業で、私が5代目になります。私自身は大学を卒業してから広告代理店や商社で働き、1994年に家業に戻りました。その翌年、初めて下請けから脱却して自社ブランドを立ち上げ、さらには2000年、社長に就任したタイミングでマークスアンドウェブを設立し、現在はグループ全体で年商80億円、利益も10億円を超えるまでに成長しています。マークスアンドウェブの直営店は約80店舗にまで拡大しました。
家業に戻ったきっかけは、父が「廃業したい」と言い出したことです。幼い頃から母に「あなたに家業を継いでほしい」と言われ続けてきたことが頭の片隅にあったので、その時、半ば衝動的に「家に戻ろう」と思ったのです。
後で知ったのですが、その頃会社の利益は年に100万円から200万円程度でした。下請けのままで社員の暮らしを支えていけるのかという不安を、父は抱いていたのでしょう。そんなタイミングで家業に戻りたいという思いを父に伝えると、「甘い気持ちでできる仕事じゃない。考え直せ」と猛反対されました。1年間、熟慮した結果、1994年に家業に戻ることにはなったのですが、最初の1年は作業着を着てゴム長靴を履き、釡場で石鹸を焚き続けました。
「自分たちの名前で世に出したい」
ちょうどその頃、石鹸は海外から安い輸入品が少しずつ入り始めていました。日本での石鹸の販売価格は海外製品の2倍から3倍で、競争力がありません。早晩、アジア各国から安い石鹸が大量に輸入され、下請けという仕事では会社が成り立たなくなるのではないか。今こそ自社ブランドの商品を出すべきなのではないか――。現場で働きながら、そのような思いが私の中で日に日に強くなっていきました。ただ、その思いの根底にあったのは、利益を効率的に上げるための計算ではありませんでした。どうせ苦労するなら、他社の名前で製造する下請けではなく、自分たちが良いと考えて作り上げたものを、自分たちの名前で世に出したい、そういう観念的な熱意の方がはるかに強かったのです。
自社ブランドを立ち上げたいという私の発案に、長年下請けの仕事に携わってきた社員からは抵抗の声も上がりました。しかし私の熱意に対する共感が、とりわけ若い社員の間に広がり、翌1995年、松山油脂として初めての自社ブランド「Mマークシリーズ」の立ち上げにこぎ着けました。
松山油脂の自社ブランド「Mマークシリーズ」。ボディケア、ヘアケア、スキンケアなど、毎日の暮らしに欠かせないアイテムを取り揃えている。
わずか1.25坪の店舗で叩き出した月の売り上げ
私の夢はお客様と直接向き合い、自社の商品を提案して、そこで得られた反応を次の商品開発に活かすこと。そのサイクルをスピーディーにできるのが、小さな町工場の強みだろうと考えていました。ところが自社ブランドを立ち上げても、私たちが作った石鹸を卸す問屋さんがあり、その先に販売店さんがあり……という商流自体を変えることはなかなかできませんでした。
そこで2000年、社長に就任したタイミングで自社ブランド「MARKS&WEB」の商品を直営店で販売する会社、マークスアンドウェブを設立しました。松山油脂本体はそれまでのビジネスの根幹が卸売りであったため、別会社の形にしたのです。
2002年、東京駅前の丸ビルにマークスアンドウェブ1号店を出す前は、なにせ名前のないブランドですから、高い保証金や敷金を求められたり頻繁に門前払いされたりしていました。ところが、わずか1.25坪の1号店で月300万円、400万円といった売上を出せるようになると、様々な商業施設からお声がかかるようになり、状況が一変しました。
東京駅前の丸ビルにあるマークスアンドウェブの店舗。1.25坪から始まり、現在では面積を増やしている。
悪いときにも欠かさない業容説明
私が入社してからマークスアンドウェブを設立し、軌道に乗せるまで、資金的には常にギリギリの状況が続いていました。しかし実感としては、苦労らしい苦労はほとんどしていません。父の代から、主要取引銀行2行に年4回赴き、財務状況や売上の見込み、課題などをしっかり説明する習慣ができていました。2002年に株式会社化しましたが、それまでは合名会社でしたので、経営破綻の際は無限責任を負 います。いざとなったら経営者も社員も全てを失うわけです。ですから困ったときに慌てて資金繰りに出かけるのではなく、良いときも悪いときも欠かさず業容説明を続け、取引行との良好な関係を維持することに心を砕いていました。
松山油脂株式会社・株式会社マークスアンドウェブ 代表取締役社長 松山 剛己氏
そのおかげか、銀行と信頼関係が生まれ、困ったときにもスムーズに借り入れることができ、経営が厳しくても慌てるようなことはなかったのです。この習慣は、利益が10億円近くになった現在でも続けています。私が社長になってまもなく20年経ちますが、この長い間、年4回欠かさず業容説明に来るのは当社だけだと取引行に言われたこともあります。そういった事情もあり、マークスアンドウェブを立ち上げてからも基本的には自己資本で会社を回し、時に借り入れはするものの、資金繰りは順調でした。
とはいえ一度だけ、お金で苦労したことがあります。マークスアンドウェブの直営店を拡大する中、2003年、山梨県に富士河口湖工場を新設する計画が持ち上がり、このとき初めて大きな借金をしました。土地は賃借で、購入はしていないのですが、当時の利益はまだ少なく、会社の規模からすると大きな投資。続く2年は資金繰りにかなり苦労しました。なにしろ、現在は毎月15億円の繰越金がある会社が、当時はグループ全体で6000万円程度まで減っていたのです。今振り返ってもこのときが返済で最もつらかったのですが、2006年に富士河口湖工場が竣工して以降は、資金繰りで困ったことは何一つありません。
「堅実な借金」の基本姿勢を貫く
私は、借り入れをあまりせず、キャッシュの中で経営するという考え方を持っています。会社の自己資本比率を常に75%、80%と高く保ち、基本的に余剰資金の中で投資していくというサイクルしか頭の中にありません。借り入れる場合も当座貸越枠を作り、キャッシュで安全に返済できる範囲で投資するというように、堅実な借金をしてきました。
その私の基本姿勢を支えてくれる環境の変化もあります。手形を振り出す商習慣がだんだんとなくなり、問屋さんや販売店さんから入ってくるお金、つまり当社からすると債権の回収が以前より早くなったのです。それに加えて、直営店の売上が入ってくる時期と、債務を支払う時期の間で毎月15日分の差益が生じ、キャッシュの資金繰りも容易になっています。
私がそこまで堅実経営を追求する背景には、子どもの頃に会社が苦しく、母と祖母が内職で食費や学費を稼ぐのを見てきたという原体験があります。また、1994年に家業に戻った頃、下請けで製造した石鹸を売って得られる利益は1個当たり何十銭という単位にしかならず、この時代に苦しんだ経験もいまだに影響しています。そういったところから、いつしかお金の使い方やコストの見方がとても細かくなったのでしょう。
マークスアンドウェブは、暮らしに寄り添うデイリープロダクト(日用品)を展開するブランドで、フェイスケア・ヘアケア・ボディケアなどの自然派化粧品、生活雑貨などの商品を展開している。
良き経営者の条件
実は私は、お金の話が苦手です。幼い頃から母に「お金の話をするのは恥ずかしいことだ」と教わってきたからだと思います。個人的にもお金にはあまり執着がないのです。とは言いながら、肝に銘じていることが一つあります。それは、社員の年収を増やす経営者であること。これを達成することが、良き経営者の条件だと考えています。
初の自社ブランドを立ち上げたとき、「自社の名前で商品を作りたい」という私の熱意に若い社員が共感してくれましたが、正直に言って、熱意だけでは社員たちはついてきてくれなかったでしょう。熱意が意味するところを理解し、「この人についていけば給料が増えるに違いない」という期待感が生まれたからこそ、下請けから一歩踏み出し、自社ブランドの実現に力を尽くしてくれたのだと思います。
今、グループ全体で約630人の従業員がいますが、12月から準社員やアルバイトを一切なくし、全員を正社員化する方針を打ち出しています。これも、会社の業績の分配をより高め、収入を増やしたいという思いから実施するものです。堅実に成長し、利益を着実に分配する。投資も利潤の中から、確度の高い事業に対して行う。その考えのもとでこれまで自社を経営してきましたし、これからも基本はその考えでいくつもりです。
「目標の店舗数は何店舗ですか」
ただ、その考え方を揺るがすような経験をしたこともありました。2006年頃のことです。日本を代表する、とある大企業の経営者に呼ばれ、その本社に赴きました。用件はずばり、マークスアンドウェブを買収したいという話でした。
その経営者から「目標の店舗数は何店舗ですか」と尋ねられました。その頃、マークスアンドウェブの店舗数はようやく10に届いたところで、私はかなり思い切った数字として「80店です」と答えたのです。ところがそれを聞いた途端、その経営者は表情をこわばらせ「日本の社会を、そして世界をもっと良くしていくために、僕は500店にしたい。その気持ちがあなたにないなら、この話はここで終わりにしましょう」と言って席を立ってしまいました。
ビジョンが全く違う……。そう感じました。私はそれまで自分の会社と社員の暮らしを良くすることしか考えたことがなく、そのためにも、会社が持っているお金の中で堅実に投資しながら会社を成長させようと考えていたのです。しかし「日本」や「世界」を見ているその経営者から、「話にならない」とダメ出しをされたわけです。経営に対する姿勢を根本から考え直さなければいけないのかというくらい、とにかく強烈なインパクトを受けた出来事でした。
石鹸という日用品を「選んで買う」ことができるのもマークスアンドウェブの魅力の一つ。写真は、6種類の香りから選べるモイスチャーフェイスソープ。
お金の使い方は100%自分で決められる
そのように強烈な経験をしていながら、私は今でも社員に「家計簿経営をしよう」と常に言っています。自分のポケットからお金を出すつもりで設備や機械を購買しよう、つまり、自分の収入に見合った投資をしようという意図です。
お金は、稼ぎ方よりも使い方が重要です。稼ぐという行為は自分の力だけで成し遂げられるものではありません。どんなに頑張っていても、外部環境の影響で事業がダメになることもあります。ところがお金の使い方は、100%自分で決められます。お金をどう使うかにその人の本質が表れる。だからこそ、賢く使うべきでしょう。いまだに私は海外へ行くとき、ビジネスクラスには乗りません。私がエコノミークラスに乗れば、あと2人連れていく費用が生まれますし、会社にとっても絶対にその方がいい。もちろん人それぞれですが、お金は使い方がとても大事なのです。経営者としては、やはり社員の年収を増やすためにお金を使いたい。年収をきちんと増やす経営者にこそ、社員はついてくるのだという考えが、私のベースに根付いているのだと思います。
一方で最近は、こうした考え方で経営しているから事業がそれほど大きくならないのだと感じることも増えました。年商は私が入社した頃の20倍に達していますし、おかげさまでマークスアンドウェブも多くのお客様に愛されています。しかしながら、日本や世界に大きなインパクトを与えるレベルには到底届いていません。自社ブランドを立ち上げた時のように、新たな目標にまたチャレンジしていきたいという思いも正直あります。これからは、必要とあらば自己資本比率が半分になっても勝負すべきなのかもしれない――。そういった考えも最近、ちらちらと頭の隅に兆すようになっています。
■ プロフィール
松山 剛己(まつやま・つよし)
松山油脂株式会社・株式会社マークスアンドウェブ 代表取締役社長
慶應義塾大学卒業後、博報堂入社。三菱商事を経て1994年、実家が営む松山油脂合名会社(現・松山油脂株式会社)に入社し、1995年に同社初の自社ブランド「Mマークシリーズ」をリリース。2000年、松山油脂代表取締役社長に就任するとともに、別会社としてマークスアンドウェブを設立し同社代表取締役社長に就任。2002年マークスアンドウェブの第1号直営店を丸ビルに出店以降、「MARKS&WEB」ブランドの自然派ソープ、オイルなどが好評を博し、店舗数を増やしている。2006年には松山油脂の工場を山梨県富士河口湖町にも構えた。2020年、松山油脂は徳島県・佐那河内村と包括連携協定を締結。独自の丸ごと皮削り®製法による和柑橘精油の抽出や飲料食品の製造販売をするとともに、里山の活性化を目指す「山神果樹薬草園」事業を本格化。2022年には搾汁後の柚子果実を使ってアルコールの製造を始め、自家発酵蒸留の「山神果樹薬草園 柑橘リキュール柚子」を発売した。
■スタッフクレジット
文:斉藤俊明 編集:日経BPコンサルティング