増えつづける労働者のストレスと精神疾患
2023年9月、米保険会社エーオンとカナダのヘルステック企業テラス・ヘルスは「アジア・メンタルヘルス・インデックス・レポート」(外部リンクに移動します) を公開した。アジア各国で働く人々のメンタルヘルスの状態について調べたこの調査では、アジアの従業員の80%以上が中程度以上のリスクを抱えているという衝撃的な事実が明らかになった。
特に、韓国(44%)、マレーシア(42%)、日本(41%)では、高いリスクを抱える従業員の割合が大きかった。また、アジアの従業員の45%が自分のメンタルヘルスの状態が仕事の生産性に影響を与えていると考えていることも明らかになっている。
2022年11月に実施された同調査の1万3000人以上に及ぶ全回答者のうち、51%が前年よりも強いストレスを感じていると答えた。同調査を実施したテラス・ヘルスのアジア太平洋地域担当シニアバイスプレジデントのジェイミー・マクレナンは、「労働者はより多くのストレス要因にさらされている」と、米メディア「CNBC」の2023年9月の取材(外部リンクに移動します)で述べている。
「経済の不確実性、生活費や医療費の上昇、気候変動の影響、地政学的不安定などがあげられます」
このような課題はアジアに限った話ではない。特にパンデミック以降、欧米でも従業員の精神疾患が増えており、企業の経営課題として認識されるようになっている。
2023年8月、独紙「ハンデルスブラット」(外部リンクに移動します)は、ドイツでは精神疾患のために仕事を欠勤する従業員が大幅に増えていると報道した。独健康保険会社DAKによると、2022年には被保険者のうち3%だった精神疾患患者の割合が、すでに4.8%に増加したという。また、傷病による欠勤自体が増えているが、そのうち精神疾患が占める割合は16%を占めるまでになった。ドイツうつ病支援・自殺防止財団の2021年の調査(外部リンクに移動します)によると、従業員の5人に1人が、少なくとも一度うつ病と診断されたことがあるという。
「予防」の対策を迫られる企業
もともと労働者が不足しているドイツでは、従業員が欠勤すれば人手不足が深刻化する。さらに、精神疾患の場合、従業員がいつ復帰できるのかを予想することさえ難しい。そこで、各社とも従業員のメンタルヘルスを守るための対策に迫られている。
たとえば、独通信ドイツテレコム、独自動車部品コンチネンタル、独電力エーオンなどは、メンタルヘルス問題のための従業員の支援プログラムを整備している。ドイツテレコムでは、心身の健康問題を抱える従業員は24 時間いつでも外部の専門家からサポートを受けられるようになっている。
しかし、一度精神疾患を発症するとその治療は長期に及ぶため、いま求められているのは「予防」だ。ストレスに対処するための研修や、マインドフルネスのワークショップを従業員に提供する大企業が増えている。たとえば、独保険アリアンツはストレスに対応するウェビナーや瞑想プログラム、「ニベア」を作る独化粧品バイヤスドルフはレジリエンスを高める研修やヨガコースを提供している。他にも、独消費財ヘンケルは、チームを精神的にサポートする「メンタルスカウト」という、専門の研修を受けた人員を各部署に設置した。
ドイツ企業・勤務医協会副会長のアネット・ヴァール・ヴァッヘンドルフは、抱えている問題を社内で提起できるような風通しのいい組織風土づくりも重要だと、「ハンデルスブラット」の2023年7月の記事(外部リンクに移動します)で指摘している。
精神疾患を抱える従業員は、その事実を言い出しにくいことが多い。ドイツうつ病支援・自殺防止財団の2022年の調査によると、うつ病患者が支援を受けるまでに平均20ヵ月かかっているという。しかし、メンタルヘルスについて議論する場などがあれば、従業員は周囲に助けを求めやすくなるだろうとヴァール・ヴァッヘンドルフは言う。
デジタル技術を使ったきめ細やかな支援
メンタルヘルスの治療は、きめ細やかで即時の対応を求められることが多い。しかし、既存の医療機関やメンタルヘルスのサポートはすでに逼迫しており、必要な人が必要なタイミングで支援を受けられないことが多い。そこで、デジタルサービスを使った支援が現在注目されている。
米誌「フォーブス」の2023年9月の記事(外部リンクに移動します)によると、米スタートアップのキンツギは、AI を活用した従業員のメンタルヘルスの測定管理ツールを提供する。従業員の音声からその人の精神状態を判断し、定量的にトラッキングするというサービスだ。心の状態を客観的なデータに置き換えることで、扱いやすいものにしようという試みでもある。
通常、患者が専門家から診断を受けるのも、支援を受けるのも頻度は限られる。しかし、デジタル技術を使えば、頻繁な測定と記録が可能になる。そのデータを専門家や他のサービスに繋げれば、有効な治療計画を立てやすい。また、どんな対策が効いているのかも、企業は判断しやすくなるだろう。
パンデミック以降、米国では、従業員のメンタルヘルスを改善するためのサービスが爆発的に増えた。しかし、経営者は何をすべきか、判断しかねていることが多いのが実情だと、キンツギのグレース・チャンCEOは指摘する。
英紙「フィナンシャル・タイムズ」の2023年9月の記事(外部リンクに移動します)によると、英スタートアップのクース・デジタル・ヘルス社は、若者や学生に特化したデジタルのメンタルヘルスツールを提供している。心の悩みを安全な場で共有しあったり、専門家に相談したりできるサービスだ。
英国ではパンデミック以降、35歳以下の人々の間で精神疾患が増え、長期疾病のために働けない人が増えているという。仕事を始め、これからキャリアを築いていくべき若者が疾患を抱え、その可能性を発揮できずにいるため、若者に対する支援も求められている。
同紙の記事では、長期間仕事から離れてしまった人は、その後就業しにくくなる傾向があるとも指摘されている。企業には、できるだけ早期の介入が求められているといえるだろう。
■スタッフクレジット
文・編集:クーリエ・ジャポン(講談社) 写真:Getty Images