自分の「型」と言葉の「香り」
大宮エリー氏
──コピーライターをされていた経歴をお持ちですが、コピーライターから作家に転身されて、何か変わったことはありましたか?
「週刊文春」の連載『生きるコント』が始まってから、原稿料というものをいただくようになりました。コピーライターのときはコピーのフィーなのですが、コピーは「商品」に対して、「企業」に対して、売れるように、わかりやすく心に残るように書き下ろします。一方で作家として書く原稿は、宣伝するための文章ではないので、制約がなく、自由度が高い。なんでもいいわけですから、自分で枠組み、「型」を作らないといけないんですよね。
「話すことが面白い!」、「エピソードがたくさん!」ということで連載が決まったのですが、話していたことを書いてみたら、担当の方に「うーん、エリーさん、自分を作家だと思って書いてる?」って言われたんです。
「え?」って思って。そんなふうに意識したことなかった。「ピアノを弾くとき、卵を手に持つように、ってよく言うでしょ? エリーさんも、もう作家なのだから、作家然として書いてください」と言われて。
ならばと、作家という心持ちになって書き下ろしたところ、やっぱり文体が違ってくるんですよね。文章の軸がすっと、重心がどんとしてくる。
──「作家と思って書いた」ときに、具体的に何が変わったのでしょうか。
「心構え」でしょうか。自分の「覚悟」みたいなものに変化があるのだと思います。
──「心構え」が言葉をどう変えるのか、もう少し詳しく聞かせてもらえますでしょうか。
「照れ」をなくすということなのかなと思っています。「なんちゃって」っていう照れは、モノ作りにおいてはあんまりよくない気がします。自分を信頼していないというか。自分を信じてない人の文章って、誰かの心をノックしないですよね。
照れをなくして生まれる「佇まい」。作家と思って書き直したことで、エッセイの内容が変わるわけではないんです。でもやっぱり、言葉から漂う「香り」みたいなものが変わる。モデルさんも、ただちょっと立つのと、「モデルとして」立つのとは違うのではないでしょうか。文章もそう。スイッチが違うんだと思います。
私が好きな文章って香りが立っている。文学者はそれぞれの香りを持っていると思うんです。多分それは、ちょっとした「てにをは」や「体言止め」の使い方だと思います。「リズム」かもしれない。
自分の「香りがするかどうか」、「佇まいがあるかどうか」。それが違いだと思います。
あとは、コピーライターだったこともあって、「短い文章でキメる」ことは意識していました。人の心に届くものを「ぱっと」伝える。そういうトレーニングを受けていたので、エッセイでも最後の「締めの言葉」だけは気をつけていたんです。終わりよければすべてよし。
最後の余韻って、大事ですよね。
「『生きるコント』は普通の人が経験する日常を、落語みたいにしたい」と話していました。日々の暮らしで遭遇する少し悲しいこと、辛いことも、「コメディだよね」って思うと、おいしくなってくる。楽しくなってくる。だから、最後は「おあとがよろしいようで」って感じになるよう落としどころ、キメを考える。それが自分のなかの決まりごと、「型」として作ったことでした。
言葉には「人を立ち上がらせる」力がある
本棚には、パワーストーンとともにこれまで手がけた作品が並ぶ。映画『海でのはなし。』は、大宮氏による監督作品
──絵画や音楽、執筆やパフォーマンスなど、様々な表現方法がありますが、「言葉だけが持つ力」はどのようなものだと考えていますか。
言葉を尽くせば誤解が減るし、言葉でしか突破できないこともあります。でも、言葉が人を傷つけることもある。諸刃の剣ですよね。
ただ、我々はやはり言葉を扱う生き物なので、言葉の力を信じたいですよね。言葉は、ちょっと心がけて鍛錬することで伝える力をある程度、誰かの心にすうっと浸透しやすくすることができると思うんです。鍛錬とはまた違うけれど、言葉についてよくよく考えている寡黙な人がふと紡ぐ、何気ない一言、これもね、強烈な突破力を持つことがありますよね。
そうそう。すごく「力があるな」と思っている言葉があるんです。それは、「もしもし」っていう言葉なんです。
東日本大震災の後、ショックが強くて、言葉がうまく出てこなくなってしまったんです。友達からの電話にもしばらく出られなくなってしまいました。でも、たまたま間違って電話を取ってしまったことがあり、でも声が出なくて、黙っていたんです。すると、相手は電話の向こうでずっと「もしもし、もしもーし」って呼びかけてくれていて。その声を聞いているうちに、すごく不思議なのですが、「もしもし」って声が出たんです(笑)。
そのとき、「もしもし」ってなんだろうって。遠くの灯台のような、「こっちだよ」って寄り添って、安堵の方向へ誘ってくれるような力があるな、と感じました。
このことがきっかけで、「孤独の電話ボックス」という作品が生まれました。孤独になったら駆け込む電話ボックスなんですが、受話器を取ると、いろんな人の「もしもし」が受話器から聞こえてくるんです。他に、「元気?」、「大丈夫だよ」、「また明日ね」という4つの言葉も入れました。短いけれども、すごく人の心をノックして、安堵へ誘う言葉だと思ったんです。声をかけるって、大事ですよね。
「また明日」には、こんな思い出もあって。会社員時代、休暇を取ってギリシャのサントリーニ島に行ったんです。夕日で有名な島で、海が真っ赤に染まるんです。そこでその有名な夕日を見にいきました。日が沈む前からそこには島の人が集まっていて、ワインを飲み、サンドイッチを食べながら日が沈み、海が染まるのを待っていた。
そしていよいよ美しいサンセットが眼前に現れると、みんなワーっと拍手して、「きれいだったなぁ!」、「また明日ね」、「また明日ね」って声をかけあってハグして去って行くんです。明日も来るんだ!?と、じゃあ私も明日も来よう、と。すると翌日もまた同じように島の面々がいる。「毎日来てるんですか?」って聞いたら、「夕日は毎日違うからね」と。
そのときに、島の人が声かけあっていた、「また明日ね」ってすごくいい言葉だなと思ったんです。結局1週間、私も島の人たちと一緒に、毎日夕日を4時ぐらいから待ち構えて見ていました。
言葉って、別に「上手」じゃなくてもいいと思うんです。片言でもいいし、手紙で一言「ありがとう」って書いてあるだけでも、なんかいい。
文章が読みたいんじゃなくて、その人の何かを感じたいわけだから。え? AIはどうかですか? そうですねぇ、確かにAIが代わりに文章を作って手紙を書いてくれたりするそうですけれど、AIが作ってくれる綺麗な言葉よりも、人が不器用に生み出す言葉が持つ、「本人であることの重み」が意外と、なおさら大事になってくるんじゃないかなと思っています。
言葉があるのは人間だけですし。ただ、言葉は諸刃の剣でもありますよね。言葉にすると伝わりにくくなるものもあるんですよね。でも、言わなきゃわからないこともある。感謝は、やっぱり言葉のほうが伝わりやすいかなあとも思います。ありがとうって、言い過ぎてもいいですよね。
──ご自身が受け取った言葉で、印象に残っているものはありますか?
うーん、あんまりないんですけれど、影響を受けたというなら、俳優の緒形拳さんの言葉は、そうですね。
会社に勤めていた頃、ラジオのCMの仕事を緒形さんと一緒にさせていただいていたんです。数年ご一緒させていただいたのですが、最後の収録の後、エレベーターホールまでお見送りに行ったときに、緒形さんがエレベーターの「開く」ボタンを押しながら言うんです。「大宮さぁ、長い物書かないのか?」って。「長い? 何秒くらいですか?」って聞いたら、「秒じゃなくて」とおっしゃるので「何分でしょう」というと、じっと私の顔を見て「いや、演劇とかさ」って。びっくりしました。
恥ずかしさもあって、「え、書いたら出てくれるんですか?」って茶化して聞いたら、ニヤッっとよくわからない笑顔のまま、緒形さんは「閉まる」を押して、扉が「チーン」。降りていかれました(笑)。
それからなんとなくCMとかコピーライティングから文筆の方向に意識が向かったかもしれません。そしてしばらくして、ドラマを撮るようになりました。それなのに私、全然緒形さんに連絡していなかったんですね。そうしたら突然、現場に緒形さんが現れたんです。「よぉっ」みたいな感じで。
「私、会社を辞めてドラマを撮るようになったんですよ」って伝えたら、「知ってるよ」って。そのとき緒形さんは「現場が近くだったから寄った」と言われていたんですが、後で調べたら緒形さんのスタジオの場所は、近くなかった。それから数日後に亡くなられました。
なんかこう、「知ってるよ」って、言葉を届けに来てくれたんだなと思います。嬉しかった。
相手に伝わる「伝え方」を鍛える
取材は大宮氏の事務所兼アトリエでおこなわれた。「植物がよく育つ」という室内には、あちこちに緑が
──文学者はそれぞれの香りを持っているとおっしゃっていましたが、どのように感じ取られているのでしょうか?
東大入試のときに過去の入試問題集をやったんです。みんなやりますよね? いわゆる赤本です。それの国語に出てくる問題の文学作品がありますよね、といっても10行ぐらいの文集の抜き出しですが。泉鏡花とか、小林秀雄とか。あれで、読んだ気になってるんですよね(笑)。
でも、すごく難解な言い回し、文体もあって、苦手だなと思っていたときに、予備校の先生が「作家と膝を突き合わせて会話するみたいな気持ちで読むといい」って言ってたんです。そうしてみたら、なぜかすっと入ってきた。「難しい文体を読むぞ」と構えると内容が入ってこない。でも「お話をうがかいます」って心構えにしてみると、すっと入ってくるんです。
やはり、心構えなんですよねぇ。で、その作家さんの先ほどまで難しいと思えていた言い回しや文体が、今度は「味」とか「香り」になってくるんです。
問題なんでね、全部は読んでいません(笑)。でも数行でもね、一生懸命向き合うと、その作家の放つ「香り」がわかる。「泉鏡花の文章、香ってるなぁ」って。
たった10行、されど10行。いいなぁって、味わえばいいんです。
小林秀雄と対峙した時間、芥川龍之介と向き合った時間。そうして学んだリズム、文体、言い回しは、いまもすごく糧になっています。
──言葉を「鍛錬することもできる」ともおっしゃいましたが、言葉を鍛えるために意識されていることはありますか?
「どういう言葉を使ったら、目の前のこの人に伝わるのか」ということは考え続けています。文章を読むときも「ここで『である』を持ってくるべきか、『だ』がいいのか、『です』なのか、名詞で終わらせる体言止めが伝わるのか、疑問系がいいのか」とか。それから、人の話を聞いたり、何か映画を見たり、本を読んだり、音楽を聞いても、「このかたが、他の言葉ではなくこの言葉を、このニュアンスを選んだのはどうしてだろう」と考えるのも楽しい鍛錬ですよね。
私、昔から古文が好きなんです。「をかし」って言葉が特に好きで。
あの、をかしって、「趣深い」という意味ですよね。昔の人は自然を感じたりしながら、「趣」というものを大事にしていた。でも現代の日常会話でいきなり「趣深いよね〜」とは言わないですよね。だけど、その「趣深さ」を共有できるように持っていく言葉の連なりがあると思うんです。個人戦ではなく団体戦です(笑)。
たとえばこの前、岡山の美作(みまさか)に行ってきました。9月にそこでオブジェを作ることになっていて、地元の人とやりとりをするなかで振興委員の方々が、「美作の蛍を見にきて欲しい」っておっしゃられて。水が綺麗でね、本当に美しいんですよ。美作の蛍は、
川が土手よりもかなり低いので、橋から見るとかなり空間全体に光が飛び回るんですね。
雪のようでした。
その蛍のさまを見て、「綺麗だね」でもいいんですが、自分的には、「趣深いなあ」って時間なんですよね、それを一緒に見ている人に共有したくなった。でも、いきなり「ねえ、趣深くない?」って言っても……(笑)、「は〜?」となる。
だから、代わりに言葉の連なりを考える。「昔の人は当たり前のようにこの景色を見ていたんだよね」だとか、さらには、「私たちはこうやって蛍祭りがあるから来たりするけど、昔の人にとって蛍は日常の一部だったんだろうね」とか、「季節の移り変わりの、ワンシーンを楽しむって、美しい気持ちになるね」とか言って、自分が趣を感じた理由を話すんです。まあ、正解がないんで、雲をつかむような、たどたどしさを自分でも毎回感じるのですが。
でもなんだか、そうやって伝えるって、どきどきしますし、いいと思うんです。自分が感じた趣深さを共有できたとき、ちょっと感動したり、やっぱり人っていいなあとか、言葉っていいなあって、ジーンときたりしますね。
最後に告知をさせてください!
言葉のワークショップ「大宮エリーの感性のととのえかた ~言葉のない世界で言葉をつむぎだす~」
2024年11月23日(土)17時半〜20時(予定)
※時間は変更となる可能性がございます。あらかじめご了承ください。
超少人数で、京都の妙心寺 桂春院にて開催します。
ワークショップ会場、妙心寺 桂春院
重要文化財である狩野山雪の襖絵を貸切で堪能していただき、それを題材に参加者それぞれが自分の新たな感性に気づき、心の声を聞きとり掘り下るナビゲートを大宮エリーが致します。そしてそれをわかりやすく相手に伝える方法などを参加者と交流しながら演習していく、アーティストメイドならではのワークショップ。
狩野山雪筆 襖絵「金碧松三日月図」
また、狩野山雪にインスパイアーされて大宮エリーが発表した襖絵をご覧いただきながら、言葉のない世界をどう制作するのか、また、その制作においてどう言葉を介在させているのか、構築過程をこっそりお教えします。言葉がないものを言語化する頭のトレーニングも楽しんでいただけます。
お申し込みなど詳しくは、以下窓口まで件名「妙心寺ワークショップ(ことば)」で、お問い合わせください。
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■プロフィール
大宮エリー
1975年大阪生まれ、東京大学薬学部卒業。作家、画家、演出家、ドラマ・映画監督、ラジオパーソナリティなど様々な肩書きを持つ。著作に『生きるコント』、『思いを伝えるということ』(ともに文藝春秋)など。画家としては、十和田市現代美術館をはじめ、香港、パリ、ミラノなど国内外で個展を開催。奄美大島のこどものための図書館「放浪館」の壁画や、十和田市の水力発電所の壁画、瀬戸内国際芸術祭にて出展作家として「光と内省のフラワーベンチ」「フラワーフェアリーダンサーズ」(犬島)を発表し、最新作の巨大オブジェが、今年9月、岡山の美作で発表されるなどパブリックアートも精力的に制作。また昨年、自らの絵画で構成し、脚本、演出を務めたVR映画作品「周波数」がベネチア国際映画祭でノミネートされる。これからの新しい試みに、11月に国宝である狩野山雪の襖絵とのコラボレーションとして伝統文化である襖絵にチャレンジする、京都、妙心寺(桂春院)での個展が控えている。(会期:2024/11/15~12/8)
大宮エリー(外部サイトに移動します)
■スタッフクレジット
文・編集:クーリエ・ジャポン(講談社) 写真:日下部真紀