鋳物の良さがひと目でわかる
製品を作りたかった
――2016年に初の自社製品として発売されたケトルベルの販売が好調です。ヒットのきっかけは何だったのでしょうか?
一気に売り上げが上がったのは2020年、最初の緊急事態宣言が発令された直後でした。ジムが閉鎖されてしまい自宅でトレーニングをしたい方が増えたためか、ケトルベルの注文数が前年の通算注文数の2倍以上に跳ね上がり、びっくりしたのを覚えています。SPORTEC(日本最大のスポーツ・フィットネス・健康産業の総合展示会)などへの出展や商品サイトを作るなど、認知度を高める努力はしていましたが、ここまで伸びるとは予想外でした。一時的なブームではなく、現在も安定して数字が伸び続けているのもありがたい限りです。
伊藤鉉鋳鋼所製の「ハードスタイルケトルベル」。重さは8~48kg。一つひとつが職人の手作りで、海外の大量生産品にはない表面の風合いやぬくもりを感じさせる手触りが好評だという
――ケトルベルを製造するのは国内初の試みだったそうですね。まずは自社製品の開発に至った経緯を教えてください。
2011年に3代目に就任した当初から「新しいことを始めなければ」という危機感がありました。安く大量に輸入される競合品との価格競争や後継者不足などの問題で、鋳造業界が衰退しつつあることを肌で感じていたからです。既存のやり方のままでは事業は先細りしていくだけですし、後進となる職人を育てていかないと技術も失われてしまいます。20年、30年先も会社を続けていくためには何をするべきなのか、どうすれば鋳造の仕事に興味を持つ人を増やせるのかと、前に進むための方法を模索していました。
契機となったのは、工業高校の生徒をインターンシップで受け入れたときの出来事。当社が手掛けているのは主に機械部品のため、「これは何に使う製品ですか?」と質問を受けても「何かの部品」としか答えようがなかったんです。明らかに関心を失っていく彼らの反応を見て、「用途がわからないものを作る仕事では今どきの若い人には興味を持ってもらえない。わかりやすい自社製品が必要だ」と痛感しました。
――“わかりやすい自社製品”に、これまでに手掛けたことのないトレーニング器具を選ばれた決め手は何だったのでしょうか。
鋳物の良さであり特徴でもある、“重さ”を生かせる製品だったからです。当時は工業製品に軽量化の波が来ていて、鋳物でもいかに軽い製品を作るかがトレンドでした。しかし、どんなに軽量をうたった製品でも結局は金属の塊なので、実際に持ってみると重いんですよね。そこから、「どうせ重いなら、その重さを喜んでくれる人に向けた製品を開発したほうがいい」という発想が浮かび、「重ければ重いほど喜ばれるものは何だろう?」と突き詰めた末に行きついたのがトレーニング器具でした。
しかし、ダンベルや鉄アレイは低価格の輸入品が多く、価格を安くしなければ対抗できないため、当社で作る意味がありません。未来の看板商品にするのなら、日本で作られていないものがいい。そんな思いで調べるうちに見つけたのが、ロシア発のトレーニング器具・ケトルベルだったんです。筋トレブーム前の当時の日本ではほとんど知られていませんでしたが、輸入品の数が少なく採算がとりやすい価格帯だったことも採用の決め手になりました。
――認知度が低く、販売実績などの前例が少ないケトルベルを採用することに、不安や反対の声はなかったのでしょうか。
何に使うかわかる製品を作ることが一番の目的でしたからね。「やってみて、売れたら嬉しい」くらいの気持ちで不安はなかったです。
また、当社は規模が小さくアイデアを出すのも行動するのも自分1人で行っているので、会社に影響がない範囲で好きにやらせてもらいました。ですが最初の頃は周囲の同業者をはじめ、いろいろな人から「そんなニッチなものが売れるわけがない」と言われていました。
ただ、僕自身の中に期待はありました。理由は2014年あたりから筋トレブームが徐々に広がり、「クロスフィット」という様々な器具を使って行うトレーニングが日本で流行り始めたことです。これらの波に乗って、ケトルベルも自然と認知されていくのではないかと考えていました。
伊藤絃鋳工所は昭和25年に創業。先代より引き継いだ職人の技術を継承し、鋳物を製造している
自身がケトルベルにハマったことが
製品の付加価値を高める契機に
――ケトルベルの開発から販売に至る過程で、苦労された部分について教えてください。
一番苦労したのは、自分でケトルベルを使えるようになるまでのトレーニングです。ケトルベルは単純な形状なので、物を作ること自体は簡単でした。しかし使い勝手を知らないままでは、商品の良し悪しがわかりません。そのため使い方を学ぶワークショップに参加したのですが、当初は筋力も体力もなかったので開始10分でダウンしていました(笑)。
しかし、本格的にトレーニングを始めてみると体が変わっていく過程はもちろん、トレーニングに関する知識や仲間が増えていくことがすごく楽しくて。ケトルベルの魅力にすっかりハマって会う人みんなにその話をしていたら、身近にケトルベルのことを知らない人はいなくなりました(笑)。「そこまで信念を持ってやるなら、いい線行くんじゃない?」と応援してくれる人が増え、製品の開発とともにトレーニングも順調に進み、開始から2年後にはアメリカの団体が認定するケトルベルインストラクターの資格を取得しました。
――販売時の付加価値を視野に入れて資格を取得されたのでしょうか。
それもありますが、ケトルベルの良さを実感してもらうためには製品を作って売るだけではなく、お客さんからの質問に答えていくスキルも必要だと思ったことが大きいです。そのことに気づいたのは、先輩インストラクターの「ケトルベルは製品そのものより、“ケトルベルを使ってトレーニングをするメソッド”に価値がある」という言葉でした。僕自身がインストラクターとしてトレーニングの方法や、使う方の体形に合わせた重量の選び方をアドバイスできることは、海外の競合品に負けないひとつの強みになっているのではないかと思います。
2017年には「ハードスタイルジャパン(HSJ)」というケトルベルの団体を立ち上げ、工場の隣にジムをオープン
――実際に体作りを行う中から得た、アイデアや気づきはありましたか。
まず、「トレーニングをする人は重ければ重いほど喜ぶ」は間違いということに気づきました(笑)。やはり適正な重量で行わないと体を壊します。家でトレーニングをできることや、やり方さえ覚えてしまえば仕事や勉強の合間にも運動できるという、お客さんのメリットを理解できるようになったのもよかったです。
トレーニング仲間が増え、一緒に「力石」という古くから力試しに用いられてきた石を担ぐため、全国の神社を巡り歩いたことも新しい製品開発のヒントになりました。大きな石を担ぐためには、握力や指の力、保持する力も必要なんです。これは「ハードスタイル」というケトルベルのトレーニングにも共通することで、本当にケトルベルを極めるためには全身を鍛えなければいけないと気づいたんです。
その気づきを元に目をつけたのが、握力を鍛えるための「ブロックウェイト」です。ケトルベル同様、日本にはない物なので自社で製造し製品のラインナップに加えました。
握力トレーニング用器具「ブロックウェイト」。バリエーションは16~23kgの4種類
「売れない=失敗」にならないように楽しみながら
何度も挑戦できる環境づくり
――3代目社長として現在、力を入れていることを教えてください。
コロナ禍で不安定になった現状を乗り越えること、そして製品の価格を適正にし、将来の備えをしていくことが私の責務であると思っています。
これまで相場に合わせて価格を設定していたのですが、「うちの会社はどのくらいの利益があればやっていけるのか?」という部分をきちんと把握できていませんでした。要は当たり前のことができていなかったというわけです。
そのことを自覚したのはコロナ禍で、原材料の値段は上がるが仕事は減るという苦しい状況に陥ったことがきっかけでした。元から利益をしっかり取れていれば動じずに済んだのかもしれませんが、待ったなしで値上げをしないと赤字になってしまう状態だったんです。運転資金は最低限確保できていたため、それまではなんとなくでやってこられましたが、どんぶり勘定で物を売っていてはダメだと痛感しました。
ましてや自分が60~70歳まで仕事を続けていくなら、あと30年以上をちゃんとやりきるためのプランや、コロナ禍のような不測の事態を乗り切るための備えもしておかなければなりません。そのための一歩として、適正価格の定義を改めてお客さんと話し合っていければと考えています。
――現状を変えるための一歩を踏み出すには、どのような心構えが必要だと思われますか。
当社のように小さい企業が新規事業に挑戦するのは、とてもエネルギーを使うので「何でも自由に」というわけにはいきません。だから「失敗しても会社がつぶれない」と思える程度の、小さいチャレンジをたくさん積み重ねていくんです。小さい試みならつまずいても取り戻しやすいですし、数が多いほうが成功する確率は上がります。
「チャレンジする」というと大きなことをしなければいけないように感じますが、失敗を恐れて最初の一歩を踏み出せないままでは前に進めません。やる前から成功や失敗にこだわるより、「やってみればわかる」くらいの感覚でいいのではないかと思います。
伊藤氏自らがケトルベルインストラクターとしてメソッドの指導や、顧客へのアフターフォローを行う
――これから新規事業の立ち上げを目指す方に向けて、アドバイスをお願いします。
ひとつはブランディングにこだわらないことでしょうか。いい製品を作って当たり前に利益を出すのが商売本来の正しい在り方で、労力や経費をかけて行うブランディングは苦肉の策だと思うんです。
事業を推進するうえで何より重要と考えるのは、自分自身が楽しむこと。僕が「売れなくてもいい」と思いながらも突き進んでこられたのは、ケトルベルを自分の好きなことにしたからです。売ることや儲けを目標にしてしまうと「売れない=失敗」になってしまいます。その点、好きなことなら仮に売れなかったとしても「挑戦できて楽しかった」と納得しやすいものです。
だからこそ意識していただきたいのは、ブランディングのために行動するのではなく、「気の合う仲間と楽しいことをしていたら、結果的にブランディングになっていた」という流れ。楽しむ気持ちを持つことは、お客様視点からのニーズの発掘や新規事業のアイデアにもつながります。
あとは、同じ志を持つ仲間を作ることです。難しく考えずに「趣味が合う」「同じような課題や目標を持っている」など、つながる理由は何でもいいと思います。「好きだからやり遂げたい」という気持ちがあっても、ひとりではアイデアの数にも限度がありますし、未知の試みや難しいことに挑戦し続ける気持ちを保つのも難しいと思うんです。僕がケトルベルと向き合い続けてこられたのも、ともにトレーニングを楽しむ仲間たちのおかげです。
■プロフィール
伊藤允一(いとう・まさかづ)
伊藤鉉鋳工所 代表取締役
1983年、三重県桑名市出身。2008年、祖父の代から続く伊藤鉉鋳工所へ入職。2011年に先代の跡を継ぎ、3代目社長に就任。鋳物業界の未来に不安を感じ、若手人材の確保と事業を盛り上げるための新規事業の開拓に取り組む。2016年に日本初の国産ケトルベルを発案・製造。2017年にはケトルベルを普及するための団体「ハードスタイルジャパン(HSJ)」を発足。工場の隣にジムをオープンし、トレーニングメソッドの普及にも励む。
■スタッフクレジット
取材・文:松島佑実 編集:後藤文江(日経BPコンサルティング)