蟹に代わる町おこしとしてはじまった出版レーベル
「本と温泉」の副理事長であり、志賀直哉が宿泊した旅館として有名な「三木屋」の十代目当主も務める片岡大介氏
──温泉地発というのはかなり珍しいと思いますが、城崎温泉で出版レーベルを立ち上げられた経緯を教えてください。
城崎温泉発の出版レーベル「本と温泉」は2013年に立ち上がりました。城崎は兵庫県北部の豊岡市内にある、蟹で有名な温泉街です。一方、文学好きの方ならご存知かもしれませんが、文豪・志賀直哉の短編小説『城の崎にて』の舞台になった土地でもあります。出湯のまち・文学のまち・浴衣の似合うまち、という3つの言葉で昔から城崎は形容されてきました。そして先ほど話にあがった志賀直哉が、初めて城崎を訪れたのが大正2年=西暦1913年になります。2013年はそこから数えて100周年目。改めて“文学のまち”を発信するのに良い機会では、となったのがきっかけです。
立ち上げに関わったのは、45歳以下の旅館経営に関わる若旦那衆が集まった「城崎温泉旅館経営研究会」、通称“二世会”とも呼ばれているメンバーです。親世代は、城崎を、“関西圏で蟹を食べに行く温泉街”として流行らせました。ずっと蟹だけに頼ってはいられないし、自分たちの世代で売上を築くカンフル剤が必要でした。それで、メンバーのほとんどが文学に詳しいわけではなかったのですが、挑戦することにしたんです。
──そこでリーダーになる、と手を挙げられた?
文学でまちを盛り上げるとはなったのですが、いちばんの問題となったのが「誰が旗を振ってやるか」です(笑)。二世会のメンバーは、志賀直哉の名前は知っているけれど、文学的なことはほとんど知らない人ばかり。みんな自信がないわけです。私が十代目当主を務める「三木屋」は志賀直哉が泊まっていた宿として知られています。もうおわかりだと思いますが、城崎が文学のまちということで取り上げられる機会が増えると、自ずと三木屋も取り上げられる機会が増えるだろうという理由から、私に白羽の矢が立ちました。
城崎は戦後、観光地化する際に、まちの“外湯文化”が廃れないよう旅館内に作る内湯の大きさに制限を設けました。そのため、小さな旅館がほとんどです。まち全体で72軒の旅館がありますが、そのうちの大半が部屋数20室以下になります。三木屋も16室です。100室近くある大規模宿泊施設はまちの東端と西端にあり、まちの中心部は先ほどの小規模宿泊施設がメイン。旅館内で行動が完結するのではなく、浴衣を着て外湯や商店を巡るという“まち全体がひとつの旅館”という考えを貫いています。つまり、まちのみんなが関わり合うことを前提にビジネスが成り立っているんです。ですので、“文学のまち”として改めて打ち出すことで三木屋が取り上げられる機会が多くなったとしても、結果としてはまちに還元できると、二世会では考えていました。
奇跡的につながっていく縁と、貫いたこだわり
片岡氏が当主を務める「三木屋」のロビーラウンジ。奥に見えるのが幅さんと手掛けたライブラリーコーナー
──皆さんが文学に詳しくなかったとのことですが、「本と温泉」のプロジェクトに関わられているのはそうそうたる面々です。どのような経緯があったのでしょうか。
最初のきっかけは、東日本大震災を契機に豊岡市にUターンをして、「城崎国際アートセンター」館長に就任した、田口幹也さんに相談したことからはじまります。田口さんは豊岡市に戻る以前は、東京で飲食店の経営をしながらメディアの立ち上げなどに携わっていた方。色々な仕事で培った豊富な人脈の中から、「本と温泉」を盛り上げるならこの人しかいない!」と、ブックディレクターの幅允孝(はばよしたか)さんを紹介してくれました。
幅さんが運営されている会社「BACH(バッハ)」は、本屋さんをつくったり、図書館をつくったり、本自体を編集・制作したりと、本にまつわるあらゆることをされています。2013年に三木屋をリノベーションした際、志賀直哉ゆかりの宿として、旅先で読みたくなる本や、本と触れる喜びが感じられる本を提供したいと思いラウンジスペースにライブラリーコーナーを設けました。その本のセレクトも幅さんにお願いしたのですが、逗留者の本や作家の旅本、本のある空間の写真集など、約250冊を選書して頂き、幅さんのおかげで意図通りのセレクトになったと自負しています。
田口さんのおかげで出会えたのが、本のスペシャリストである幅さんです。幅さんのおかげで出会えたのが、幅さんのご友人でもある東京・中目黒にあった伝説的ブックショップ「ユトレヒト」のオーナーだった、江口宏志さんでした。お二人で城崎に来てくださったんです。冬の時期だったこともあり、蟹とお酒を楽しんでいただき、温泉も堪能いただきました。城崎は満喫していただけたのですが、「文学の香りがしない」、「ポテンシャルがあるのに勿体ない」というフィードバックもいただきまして、ここから、本格的に「本と温泉」のプロジェクトがはじまっていきました。
ちなみに、江口さんには2013年に刊行した、「本と温泉」の初めての出版物である『注釈・城の崎にて』で解説を担当いただいています。
──城崎限定販売になったのも皆さんからのご提案だったのでしょうか?
城崎限定の販売にしたのは二世会の面々で決めました。そもそも「本と温泉」のプロジェクトを立ち上げ目指したのが、「存在を知ってもらい城崎に観光に来ていただくこと」です。プロジェクト単体で利益をあげることを目的にしてプロジェクトを立ち上げたわけではありません。ですので、オンライン販売なども当初、アイデアとしてあがり検討はしたものの、“城崎でしか買えない”を貫くことにしました。本自体も、非常に魅力的なものには仕上がりましたが、話題性や観光客の増加などの観点を踏まえると、自分たちの判断は間違っていなかったなと思っています。
キーワードは「なにこれ?」。遊びと意外性が生む、ワクワクするお土産を
左から『城崎ユノマトぺ』(著者:tupera tupera)、『城崎へかえる』(著者:湊かなえ)、『城の崎にて』『注釈・城の崎にて』箱入り二冊組(著者:志賀直哉・解説版:江口宏志)、『城崎裁判』(著者:万城目学)
──2013年に刊行された『注釈・城の崎にて』から今まで刊行された4冊について教えていただけますか。
まずは第1弾の『注釈・城の崎にて』ですね。志賀直哉の『城の崎にて』は、マメ本サイズの文庫にしても、あまりページ数のない短編です。そこに本編よりも厚い網羅的な解説を加えたのが『注釈・城の崎にて』になります。古典文学を新しくパッケージングしたこの試みもすごく面白かったのですが、第2弾は「現代の作家さんに城崎に来て小説を書いてもらおう」という案になりました。城崎を舞台にした小説を、現代文学にアップデートする意味で、必要なチャレンジでした。
関西にゆかりのある作家さんにお願いしようという話になり、そこで候補として上がったのが万城目学(まきめまなぶ)さんです。万城目さんは当時すでに、京都・奈良・大阪・滋賀と、近畿の土地を舞台にした小説を発表されていましたが、兵庫だけまだ作品がありませんでした。万城目さんと親交があった幅さんにご紹介いただきオファーさせてもらったのですが、「ネットで本が買える時代に、わざわざ城崎に来ないと買えないという売り方を応援したい」とコンセプトに共感してくださり、参画いただくことになったんです。城崎に2泊3日×2回滞在していただき、出来上がったのが2014年刊行の『城崎裁判』です。
──ここでも縁が繋がっていったんですね。
第3弾の『城崎へかえる』は実は少し違っていまして……。執筆いただいた湊かなえさんへのオファーは、「本と温泉」とは全く違うところで実施された湊さんと万城目さんの対談がきっかけなんです。湊さんは淡路島に在住のため、『城崎裁判』の存在は神戸新聞を通じてご存じだったそうです。また毎年、城崎に蟹を食べに行くというのを恒例にしてくださっているので、対談前に『城崎裁判』を買っていたそうなんです。そういった背景があったためか、対談で会われた際に、万城目さんに「むしろ自分の方が書く資格がある」という発言もされていたらしく(笑)、それを万城目さんからお聞きして、無理を承知でオファーさせていただいたところ、思いがけず快諾していただきました。
『城崎へかえる』は湊さんの城崎での記憶を背景に書かれた小説のため、温泉と蟹が重要な要素として登場します。ですので、小説を収納したケースは、本物の蟹の殻を思わせるような特殊印刷にこだわりました。 殻から身を抜くように箱から小説を取り出し、じっくり味わっていただく、というコンセプトになっています。
──第4弾は今までの文学作品とは毛色が違いますね。
もともと「本と温泉」という名称を考える時に、「文学と温泉」という案もあったんです。ですが、文学だけでなくもっと範囲を広くとらえようという想いから最終的に「本」になった経緯がありました。第4弾ではもっとその「本」の幅を広げてみようということになり、さまざまな案の中から絵本に決まったんです。
自分を含め子どもを持つメンバーが二世会には多く、せっかくなら自分たちがファンの人に頼もうとなりまして、『かおノート』で知られるtupera tuperaさんに第4弾はお願いしました。ジャバラ型の絵本になったのですが、下駄型のユニークな表紙を開くと、鮮やかな切り絵作品があらわれ、まちの来歴を表す多くの人や場所が隠れているというユニークな1冊に仕上がりました。
──どれも装丁がとても面白く、思わず手に取ってみたくなりますね。一方で、本らしくないとも言えます。“本らしくしない”ことにも理由があるのでしょうか。
書店への流通を管理している取次を通す場合は、本来広く使用されている版型(本のサイズ)にしないと書店に流通してもらいづらい・させてもらえないという制約があります。突飛なデザインも同様に流通させてもらえません。ですが、「本と温泉」は城崎限定のため取次(卸)を介していないため、そういった制約から解放されました。
できれは「本と温泉」では、ぱっと見て本とわからないデザインの方が好ましいと思っています。なぜなら、お土産屋さんや飲食店などにも置くため、あくまでも温泉地で見つけた“お土産として買いたくなる”ものであることが重要で、「なにこれ?」と思わせることが肝心なんです。そうじゃないと「本と温泉」らしくないし、本として売るということに捉われないことが自分たちの強みだと感じています。
■プロフィール
片岡大介
創業300年以上を誇り、志賀直哉が宿泊した宿として知られる旅館「三木屋」の十代目当主。またNPO法人「本と温泉」副理事長も務める。他にも城崎の観光協会でまちの文化部長を担当。城崎温泉の文化発信の役割を担っている。
本と温泉 ※外部リンクに移動します
■スタッフクレジット
取材・文・編集:井上峻(監修:コンデナスト・ジャパン)
写真:井垣真紀(イガキフォトスタジオ)
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