パンを人々のライフスタイルに根付かせたい
ブレッドサンド株式会社ジャパン ベーカリー マーケティング株式会社(JBM)はベーカリーを作る事業をしています。ベーカリーを開業しようとする方々に、パン作りの基本を教えるのはもちろん、商圏をリサーチし、それに見合った商品を開発し、技術指導をしています。さらに、お店ごとの最適なオペレーションを考え、お店を地域の人々に広めるお手伝いもしています。私は1998年に新卒でホテルに入社し、ホテルのベーカリーでブランディングとマーケティングに携わりました。それが今の仕事を始めたきっかけです。この仕事を通じて、街のパン屋さんをはじめ、様々な業種のお店を見て回ったんですね。当時、巷に「ショコラティエ」とか「デザイナーズホテル」などが出始めた頃で、新たな付加価値を備えた、様々な面白いお店が出てきました。ところがパンのお店だけは旧態依然のまま。大体2つのパターンのどちらかしか、ありませんでした。商店街でご夫婦で営む昔ながらのパン屋さんか、または、本場フランスで修業をした方が営む「ブーランジェリー」などと呼ばれるタイプのお店か。他の業種に比べて、接客の方法や売り方の工夫がまだまだ足りないと感じました。この時の経験は、「おいしいパンを売るだけでなく、人々のライフスタイルにどのようにパンを根付かせていくか」を考える契機になりました。その思いから2006年、30歳の時に独立し、横浜の大倉山駅前に「TOTSZEN BAKER’S KITCHEN」を開業したのです。店舗はホテルのような内外装を施し、店員はスーツを着て、お客様一人ひとりに「今日のご夕食はどのようなお料理でいらっしゃいますか」と聞きながら、対面販売で、それに合うパンをご提案しました。ホテルのコンシェルジュ・サービスを取り入れたわけです。こうした取り組みが話題を呼び、メディアにも取り上げられ、遠方からもお客様が来てくださるお店に育てることができました。
「良い商品」だけではまだまだ足りない
この業界には「おいしいパンさえつくれば売れる」という根強い考えがあります。確かにおいしいパンをつくることは大事なのですが、その考えだけにとらわれるのは良くありません。例えばうちの店では、お客様用に常に30本くらいの傘を用意していて、突然雨が降ってきたときに差し上げたり、夏の暑い日には無料で麦茶をご提供しています。自分はホテルにいたので、このようなサービスが当然に思えるのです。それをよそのオーナーさんにお勧めしても、「おいしいパンさえ提供していればそんな必要はない」と断られてしまいます。
あるお店を訪問した時の光景を今もよく覚えています。自身がパン職人でもあるオーナーが、若い社員に向かって、「こんなやり方ではいつまで経っても食パンやメロンパンしか焼けないぞ!」と叱っていたのです。もっと焼くのが難しいパンの製法を、教えようとしていたのでしょう。でもお店の売上を見ると、食パン、メロンパン、あんパンなどが上位に並び、焼くのが難しいパンほど売れていない。つまり、難しいパンをつくることと経営は別の話なのです。
さらに、2000年代に入ってから製パン機が著しく進化し、特に食パンは機械中心の作り方でおいしいものが焼けるようになりました。ベーカリーで修業していない異業種の人々が、自由な発想でベーカリーを開業できる環境が整ったのです。そのような店をプロデュースして、既存のベーカリーとお互い切磋琢磨する関係が築ければ、業界全体の発展に寄与するだろう。そう考えて2013年、ジャパン ベーカリー マーケティング株式会社(以後JBM)を起業しました。
ベーカリーは地域活性化に貢献する商売
このような仕事をしていると、正直、強い風当たりを感じるときもありますが、この事業をやりたい、やらなければならないという強い気持ちが自分にはあります。なぜなら、「パンは社会性のある食べ物だ」と考えているからです。
例えば、夜にコース料理を提供するようなレストランの場合、一日の来客数はせいぜい数十人でしょう。しかしベーカリーの場合、小規模のお店でも一日の来客数は200~300人に上ります。非常にたくさんの人々に影響を与え、おいしいパンを通じて、人々にささやかな笑顔を届けることができます。もちろん、ベーカリー開業を通じて雇用を生み、税金を払うことでも地域に貢献できます。地域活性化に結びつく商売なのです。
JBMではさらにこの考えを推し進め、2018年11月に「山陰プロジェクト」という企画も立ち上げました。これは、日本で最も人口が少ない鳥取県と島根県でベーカリーを4店舗開業するという取り組みです。ブランドと店舗運営を確立するまでを当社がお手伝いし、地元企業に売却するという新たなスキームの事業になります。このようにベーカリーの開業支援を通じて地方創生をお手伝いし、日本全国、そして世界を元気にしていきたいと考えています。
順調な滑り出しから、自らの給料ゼロの事態に
これまでの話で私が順風満帆な経営を続けてきたと思われるかもしれませんが、資金で苦労したこともあります。特に思い出すのは2006年、TOTSZEN BAKER’S KITCHENをオープンしてからのことです。開業にあたり、政策金融公庫からの借り入れや自己資金などで約1900万円を準備し、今までにない新たなベーカリーということで開店直後から話題を集め、全国からお客様が集まるようになりました。しかし3、4年経つと、売上が思うように伸びなくなったんです。後から考えれば、商圏とターゲットの設定を見誤ったのが原因でした。
オープン直後からスタッフを何人も雇っていたこともあり、売上が落ちると自分の給料も確保できないほど苦しくなりました。もちろん返済もあります。特に夏場、ひどく客足が落ち込んだのをよく覚えています。「いっそのこと店を閉めてトラック運転手になろうか」と真剣に悩みました。
尻に火が付いた状態となってようやく、「やり方を変えよう」と決断しました。商圏を半径2kmに限定し、ターゲットをこのエリアに住む人たちに絞って、商品構成を考え直しました。「お店をリニューアルしました!」と謳うため、当時のなけなしの50万円をかけて店の入り口にデッキを取り付け、あとはお金がないので自分たちで折り紙を折って店内を飾り付けしました。そして、当初の“売り”であった対面販売をやめ、焼きたてのパンを次々に並べ、お客様ご自身が楽しみながら選ぶスタイルに変えたんです。結果、売上は回復し、経営を波に乗せることができました。
同時にこの頃から私は少しずつ店を離れるようになりました。TOTSZEN BAKER’S KITCHENのオープンから、ずっと店頭に立ち続けていたのですが…。ある時、ベーカリー業界で活躍するジャーナリストから、「経営者が店に立つのも大事だけど、他にもいろんなやり方がある」と言われて目が覚めたんです。自分が社員やアルバイトに気を使い過ぎていたこと、そして、起業した頃の熱い思いが小さくなっていたことに気づきました。
「何かを変えなければ」と思った私は、店をスタッフに任せ、外でベーカリー業界と無関係の人を含めたくさんの人と会うことにしました。色々な話を聞くうちに、「幸せのカテゴリーは一つだけではない」ことに気づきました。そこから得た知識の中には、本業に生かせるものも多々あり、結果的にJBM起業を決断する契機となりました。それまで「事業拡大とは支店をつくること」としか考えていませんでしたが、そうした思考の制限も取り払うことができたんです。
横浜市の大倉山駅前にある現在のTOTSZEN BAKER’S KITCHEN。キッチンで焼きあがったパンが次々と運ばれ、ひっきりなしに客が訪れる
実績を積むまでは“自転車操業”
2013年にようやくJBMを設立しましたが、最初の2、3年は正直、自転車操業に近い状況でしたね。オフィスはワンルームマンションの1室。TOTSZEN BAKER’S KITCHENで取引がある会社役員がスーツ姿で続々とお祝いに駆けつけてくれたのですが、部屋がどうも手狭で…。銀行から融資を受けようにも、誰もやったことがない事業なので、私自身うまく説明することができず、融資をお願いすることはしませんでした。
設立当初から社員も雇いましたし、社会的な認知と信用を得るためにはマンションの1室ではまずいだろうと、横浜みなとみらい地区のランドマークタワーのレンタルオフィスを借りて登記しました。オフィス以外にも、パン作りを教えるラボとして使う物件を借りるなど、初期投資はかなりかかりました。TOTSZEN BAKER’S KITCHENの方は内部留保をきちんとしなければと考えていたので、そちらの利益を回すわけにはいきません。手元の資金で何とかギリギリしのぎました。交通費や宿泊費の捻出にも苦労しました。お声がかかれば全国各地に駆けつけましたから、専務の妻と2人で行くので、九州辺りに出張となると宿泊費も含めて10万円以上はかかります。それで契約できない場合もあるわけです。本当にもどかしく、金銭的には胃が痛くなる日々でした。開業から半年で、最初の契約をいただくことができましたが、この時のクライアントには本当に感謝しています。ようやくホームページを作るお金もできました。実績を積むことで認知度もぐんと上がり、その後もお客様に恵まれ、3年目ぐらいでやっと経営を軌道に乗せることができました。
これまで岸本氏は360余りのベーカリーをプロデュースしてきた。写真はその一つ、東京・用賀にある高級食パン専門店「くちどけの朝じゃなきゃ!!」。岸本氏独自のネーミング・センスも光る。
現金ベースで1日の損益を見ることが大事
ベーカリーを成功させるには「つくること」「売ること」「広めること」の3つが最低限、必要ですが、その上で経営の決め手となるのは経営分析です。お金で苦労しているオーナーの多くは自分の足元を見失って、夢ばかり追いかけて、原価率が30%を越えてしまっているケースもあります。それでは経営は成り立ちません。
大事なのは現金ベースで1日の損益を見ること。例えば10万円の売上に対して、アルバイト代で4万円支払ったとします。そうすると人件費だけで40%を越えてしまい、さらに製造原価を加えたら利益はほとんど出ません。人件費がかさむのは商品数が多いからなので、売れないパンを見極めて、商品数を減らし、仕込みの数を減らしていきます。その見極めを日々積み重ね、収益を安定させるのです。丁寧に手をかけて微修正を続けることが大切です。
それに加えて、自分がどれだけ稼ぎたいか、はっきりさせることが大事です。年収300万円で良いという考えなら、月々25万円くらいです。それならアルバイトを採用せず、1人で何とか頑張って続けることができるでしょう。
経営が目の届く範囲に収まるので、分析も比較的容易にできますね。ところが年収1500万円を稼ぎたいというなら、相当の能力がないと経営はできません。店の規模を大きくして、人を雇う必要があります。それで経営分析を怠ると、人件費やその他の諸経費が大きく膨らみ、結局、年収300万円にもならず、借金だけがかさむ事態になりかねません。
自分がいくら稼ぎたいかをきちんと決めて、毎年それを見直し、目標を立てること。これをしっかりやれば、売上が少なくてもお店を続けることはできます。背伸びは絶対にいけません。規模を大きくしたいなら、まずは地に足のついた経営をしっかりやって、少しずつ目標を大きくすることですね。
■プロフィール
岸本拓也(きしもと・たくや)
ブレッドサンド株式会社 代表取締役社長
関西外国語大学卒業後、外資系ホテルの横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズ入社。広報PR・ブランディング・レストランカフェ・ホテルベーカリーショップのマーケティング及び企画業務を担当。ベーカリー開業に伴い退社し、有限会社わらうかどを設立。横浜・大倉山にて「TOTSZEN BAKERʼS KITCHEN(トツゼン・ベーカーズ・キッチン)」をオープン。2013年にジャパンベーカリーマーケティング株式会社を設立、2023年に社名変更し、現職。現在進行中の案件も含め400店以上のベーカリーをプロデュースしている。
■スタッフクレジット
記事:菊地原 博 編集:日経BPコンサルティング